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関西の地方銀行のH銀行営業職からJBAコンサルタントへの転身を決めた、赤木元太郎さん。
すでに社会人として活躍しながら、その環境を捨て、JBAでの新たな人生の船出を決めたキャリア入社社員。学生時代に打ち込んだことから、就活のエピソード、前職での葛藤、数ある企業の中からJBAを選んだ理由、さらには実際にJBAで働いてみてのギャップに至るまで、本音を直撃しました。
まずは自己紹介をお願いします。
神戸市生まれ、神戸市育ちの赤木元太郎です。これまでずっと神戸で過ごしてきました。5歳からラグビーをはじめ、憧れの同志社大学ラグビー部に入るために二浪するほど、ラグビー一筋の人生を送ってきました。新卒では、地元の地方銀行のH銀行に入行します。入社4年目くらいから転職を意識しはじめ、5年目の29歳ので本格的に転職活動を始動。18年秋よりJBAに入社しました。
二浪してまで同志社ラグビー部にとは、ものすごい執念ですね。ラグビーをはじめたきっかけは何だったんですか。
父親が高校時代にラグビーをしていたんです。父親曰く、男の子ができたらラグビーをさせる!と昔から決めていたそうです。そのため5歳から近所のラグビークラブに通い始めました。実は、小1まではラグビーが嫌いでした。すごくスパルタで、「水を飲むな!」というような指導をするスクールだったんです。毎週日曜に練習があるのですが、朝に熱を測り、平熱なので渋々行く、というような日々を繰り返していましたね。転機となったのは小1の11月の県大会。決勝戦で負けて、2位になりました。そのとき、人生ではじめて悔し泣きをしたんです。勝てないってこんなにも悔しいことなのかと思いましたね。それから練習も楽しくなり、ラグビー中心の毎日になりました。
中学にはラグビー部がなかったので、体力づくりのため陸上部に入り、メインは地元のクラブでのラグビーをしていました。高校も強豪の公立高校に入り、県ベスト4になりました。
同志社大学ラグビー部にそこまでして入りたかった理由はなんですか。
家族も皆ラグビー好きなので、休日はラグビーを見に行くことが多かったんです。その中でも同志社のラグビーが抜群に面白くて。関西でも伝統校で、全国でもトップクラス。さらには平尾誠二さんなどの有名選手も数多く輩出しています。ここでやってみたいなと憧れるのは当然の流れでした。同志社大学ラグビー部には、レギュラーしか切れない紺とグレーのファーストジャージ、通称「紺グレ」があります。俺も紺グレを着るんだと闘志を燃やしていました。
とはいえ、高校生の頃は全然勉強ができませんでした。また、同志社から推薦がかかるような選手でもありませんでした。受験するしかないけれど、当時の偏差値は40。3年の11月までラグビーに打ち込んでいたので、はじめから浪人を覚悟していましたね。
浪人時代は予備校に通いました。1浪で行ける手応えはあったのですが、不合格。すべり止めも全部おちてしまったので、やむなく2浪しました。そもそも同志社大学ラグビー部は強豪校なので、高校日本代表など世代を代表する選手がわんさかいます。一般入試で合格しても、体育会に入るのは難しいこと。ゴールデンウィーク前まで仮入部という形でセレクションされ、場合によってはそこで落ちることもあります。体育会に入るために浪人する自分は、本当に変わり者でした。運よくその年は例年よりも入部希望者が少なかったので、念願のラグビー部に入ることができました。
夢の紺グレは着ることができたのでしょうか。
高校まで、兵庫県の中では強い方だと思っていたのですが、大学では全然通用しませんでした。二浪したこともあり、基礎体力がダントツに劣っていました。まずは身体を作ることからはじめましたね。
ラグビー部には、総勢140名がいて、AからDチーム、そしてD以下に分類されます。D以下は試合に出ることもできません。僕はBチームで2度、紺グレを着ることができました。一軍のAチームになることは叶いませんでしたが、憧れの紺グレに袖を通すことができたのは感慨深かったですね。
赤木さんの就活は、どのようなものだったんしょうか。
就活は3回生の12月に始まりました。オフシーズンではあったので、全体練習がなく、個人で基礎トレをしていました。なので優先的に就活をやっていましたね。午前に就活、午後から筋トレという感じでした。
父親が商社に勤めていたので、自分も商社に働きたいなと考えていました。メーカーは視野に入れていませんでした。文系の自分には営業しかできないだろうし、メーカーでは「モノ」がすべて。何を扱ってもいい商社か、モノを持たない銀行か、どちらかだと思っていました。要するに、自分の力どうすることのできない「モノ」よりも「人間力」で勝負がしたかったんです。学生時代は頑張ってきたし、ほかの学生に人間力では負けんぞ!という自信はありましたね。
商社もいくつか受けましたが、H銀行に決めたのは、面接をしていて一番自分の話を聞いてくれたから。ラグビーの話をひたすらしたのですが、自分のパーソナルな部分に興味を持ってくれている印象がありました。内定も一番最初にいただきましたし、ラグビーにもう1回集中してやりたかったので、即決でした。
実際にH銀行に就職してみて、どうでしたか。
僕は別に、支店長になりたいとか部長になりたいとかは思っていませんでした。それよりも地域に貢献し、地元で必要とされる人間になりたかったんです。
お客さまと接していて、「赤木さんのおかげです」と言われると嬉しかったですね。銀行はどの駅に行ってもひとつやふたつあるくらい、たくさんあります。お客さまからすれば選択肢が多いけれども、取り扱っているもの自体はそれほど変わりません。選ぶ理由は、「人」にほかなりません。「自分を買ってくれる」ということにやりがいを感じていましたね。たとえば、大手証券会社と取引されているお客さまがいました。その方は証券会社の担当者が全然フォローしてくれないことに不安を持っていました。そこで私がマーケットについて情報提供するとともに、証券会社で保有している銘柄についてもフォロー。その結果、お客さまからの信頼を得て、証券会社で運用していた商品を解約し、H銀行に預け替えてくださったんです。規模では大手証券会社に負けますが、僕のお客様に対する誠実な姿勢を評価していただけたんだと思います。学生時代から自信を持っていた「人間力」で十分勝負できていたと思いますね。
やりがいを感じていたようですが、転職を考えたきっかけは何ですか。
一言でいうと、「焦り」です。銀行のビジネスモデルに限界を感じていました。AIが台頭し、人の仕事が失われていく中で、10年先も伸びる産業ではないなと思っていました。近い先輩には、「このままじゃだめです」と 、短期的なノルマに重点を置いた営業や古い社内制度について訴えることもありました。しかし金融業界自体が成熟しているため、僕一人の力では組織や現場に働きかけることができません。サラリーマン人生が後何十年もあるのに、未来が見えないまま働き続けることはできない、そんな焦りを感じていました。
もう1つ、大きな理由があります。銀行ではコンプライアンスなどの関係上すぐ転勤となり、お客さまと短期的な付き合いしかできません。全社的に「投資信託をどれだけ売れ」「保険をなんぼ売れ」とノルマを課せられ、この人には別に必要ないだろうなというものも売らねばならないのです。長期的に関係性を築けばもっとお客様のためになれるのに、短期的な目線でしか見れないため、将来的にお客様に不利益なことをしてしまう。そこにむずがゆさを感じていました。
銀行時代も毎日楽しかったんです。やりがいも感じていました。でも正直なところ、楽だなと思うこともありました。ルーティンワークばかりで、このまま同じことばかりやっていても自分は成長できない。30を超えたら、自分の転職市場での価値も下がるはず。30になる前に一歩踏み出そう、そんな思いで転職活動を始めました。
転職活動において軸にしていたことは何ですか。
数字を達成することに重きを置く企業にはいきたくないと思っていました。友人からリクルートにも誘われていましたが、扱っているものは違えど、核となるのは数字です。ノルマを追いかけると、無理な営業をしなければなりません。業種が変わってもこれでは変えられないと思いました。
一方で「営業職」にはこだわっていました。お客さまと直接対峙して話したかったからです。とはいえ、数字にこだわらない営業職などそうそうありません。自分でも無理な条件を出しているのはよく分かっていました。
そんな時に紹介会社から教えていただいたのがJBAでした。「ノルマなし」「長期関係性モデル」「感動を与え続ければ利益は後からついてくる」そんな言葉に衝撃が走りました。銀行でも、目の前のお客さまに情報を与えて10年後に利益あげられればいいのでは、と考えていましたが、現状のビジネスモデルを考えるとそれはできませんでした。本当にそんなことできるのだろうか、正直ちょっと怪しいかも…、半信半疑でオフィスを訪ねました。
たしかにちょっと怪しい感じもしますよね。実際にJBAに来てみてどうでしたか。
はじめてJBAで面談してもらった武田さんという部長さんはとても熱く、こんなにも熱い人が世の中にいるのかと驚きました。仕事内容も聞かず、事業内容も聞かず、ただ「長期関係性モデル」について、とことん議論しました。銀行の支店長とは、こんな前向きな話をしたことはありません。50を超えたおじさんが、なんの恥ずかしげもなくの夢を語れるのは純粋にすごいなと思いましたね。
JBAへの転職の決め手はなんでしたか。
選考で社長を含め、4名の方とお話ししたのですが、どの方もすごく熱くて。うちの仕事は楽しい、世の中のためになる仕事ができると語っていらっしゃって、皆が言うから本当にそうなんだろうなと思いました。ここで働いてみたいという思いは強くなりましたね。
とはいえ、タイミングがすごく悪かったんです。JBAとは5月末ごろから面談をしていたのですが、7月に転勤が決まりました。周囲から営業での数字を期待されて転勤になったのは自分自身もよく分かっていましたし、その期待に応えたいという気持ちもありました。また、同僚や上司からは転職を反対されたりもしました。「聞いたこともない会社に行って、大丈夫なのか」そんな風に言われたこともありました。でもやっぱり挑戦してみたい。当時はすごく葛藤していましたね。
そんなとき背中を押してくれたのは、はじめに面談してくださった武田さんの、「いっしょに日本一を目指しませんか」という一言でした。大学までラグビーを続けていて、「日本一」に強い憧れを抱いていました。銀行では日本一のビジネスはできない。どっちがいい、悪いということはないけど、僕も日本一を目指してチャレンジしてみたい。それがJBAへの入社の決め手となりました。
入社してから、何かギャップはありましたか
面接の際に業務内容をちゃんと聞いていなかったので、オフィスに入ったときは雑誌の出版社に来たのかと思いましたね。ライター、校閲、デザイン、なんて言葉が飛び交っていて、まったく違う世界に来たなと感じました。
また、面接時にも聞いてはいたものの、ビジネスの凄さは再認識しましたね。ある化粧品メーカーの商談に同行したのですが、「うちの関連会社のこともやってくれませんか?」とお願いされるんです。銀行時代は、アポを取りまくって、会いに行っても会ってくれないのが当たり前でした。営業もしていないのに、「お話し聞かせてください」と言われるのは、本当にとんでもないことだなと思いますね。
JBAの良いなって思うところはありますか。
素直な人がすごく多いなと思います。レスポンスも早く、分からないことを投げればすぐに連絡が返ってきます。また、入社してから何度も「銀行のこと教えてください!」と話しかけられました。積極的に興味をもって取り組める文化はなかなかないんじゃないかなと思います。
とくに、中井さんも話していた「社内MTGに遅刻する人がいる」という問題についてですが、(詳しくはこちらをご覧ください!)
あの後、僕と中井さんで「銀行における時間の捉え方とルール」をテーマにJBC(JBAの毎朝の勉強会)に講師として時間をいただいたんです。こちらとしては、何も変わらなくとも、銀行での時間の捉え方を知識として知ってもらえればという考えでした。しかし驚いたことに、すぐに効果が出ました。メールで連絡してくる方もいらっしゃいましたし、その後のチームMTGでは、「このチームでは時間の管理についてどうするか」を話し合っていました。意見に対し素直に受け入れ、よくしていこう、むしろ気づかせてありがとう、そんな姿勢を持っている方ばかりいることに改めて驚かされました。いい人材が集まっているんだなと実感しましたね。
私もJBCに参加しましたが、すごく身に沁みました。発信してくれるのはありがたいです。
発信できるのも、JBAの良いところだと思います。銀行は成熟しているので、言ったところで何も変わりません。飲み会で愚痴のように出てくることはありますが、変えることはできません。また、反応もよくないんです。支店長などの立場の人は、自分が退職するまでの数年間もちこたえればいいという考えの元で動いているので、銀行の将来のために何かをしようという発想はありません。そのため目立つ発言やや変化は好まないのです。誰でも意見を発信し、ルールを作っていく主体となれる文化自体、自分にとっては新鮮に感じました。
赤木さんの今後の目標を教えてください
今後の目標は、自分だけの領域をつくることです。クリニックしかり、製薬業界しかり、JBAには「この事業ならこの人!」というスペシャリストがいます。自分も「これといえば、赤木」というものを作りたいですね。ゆくゆくはそれ自体を1つの事業にしていけたらと考えています。
―ありがとうございました!これからもよろしくお願いします。