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PR TIMESでは、お互いの過去の葛藤や失敗、乗り越え学んだこと、その人ならではのオリジナリティ溢れる経験をシェアし、自らの糧にしようという試みを「PR TIMES塾」という学びの場を通じて、定期開催しています。
第6回には、2022年上期社員総会でMVPを受賞した三浦和樹(みうら かずき)さんが登壇。入社2年2カ月で、当時最年少で事業部長に抜擢されたものの1年4ヶ月で降格し、1メンバーとしての再スタートも経験。そして現在はカスタマーリレーションズ本部(以下、CR)の本部長として、PR TIMESのサービス運営の責任者を務めます。そんな三浦さんが経験してきたハードシングスや、入社当初から現在に至るまでの数々のキャリアストーリーの一部を、本稿でご紹介していきます。
エリートに見える肩書き。表裏一体の「裏」とは
三浦:今日はよろしくお願いします。まず自己紹介からですが、僕はスラムダンクを読んだことがきっかけで、高校時代は部活でバスケに熱中しました。在籍時には、創部史上初の東京ベスト32の記録を残すことができました。
大学は、明治大学法学部法律学科で商法・会社法を専攻。複数のインターンを経験し、就活は斜に構えていました。PR TIMESとは、逆求人イベントを通じて出会い、一次面接免除だったのでラッキー!と思って受けたのがきっかけです。山口さんとの最終面接が決め手となって入社し、2年2カ月後には最年少事業部長になりました。現在は40名規模のCR本部の本部長をやっています。
… という、ここまでが「友達になれそうにない」表向きのプロフィール。その裏にある“悲惨な実態”をご紹介したいと思います。
先程お伝えした通り、僕は高校時代バスケ部の部長だったのですが、実際はスタメンで1番下手でした。足も遅いしシュートも入らない。選手として全然ダメだったんですが、後輩たち含む仲間の力と運を借りて、東京都ベスト32を勝ち取りました。
大学は中学からの内部進学で8割ぐらいはエスカレーター式に入学できるんですね。僕が入学した法学部は毎年枠が残ってるんですが、単位を取るのが難しくて「地獄の法」と言われていました。就活時は、PR TIMES以外の内定はゼロでした。逆採用イベントで運良く人事担当の方にお会いすることができ、今のご縁につながりました。
最年少事業部長に大抜擢されたのはいいものの、就任から1年4カ月で降格。動画配信サービスの事業を任されていましたが、コロナ禍真っ只中で、どの企業も対面のイベントを開催していない頃。ほとんどの仕事がなくなり、どうやって立て直すか答えが出せず、しかも誰にも相談しようとせず、そんな時期でした。結果的に、降格が告げられたかたちです。
その後、カスタマーリレーションズ本部の責任者を任せてもらえるようになるまでも色々ありましたね。
CR本部は“困っている人をほっとけない”集団
三浦:僕がいるCR本部は、現在37名が所属しています(○○時点)。PR TIMESのサポートデスクとウェブクリッピングのデスクがあり、時短かつ完全在宅のリモートチームがあるなど、メンバーの働き方も様々です。
CRは電話やお問合せなど、お客様対応のイメージが強いと思いますが、実はこれらの業務は全体の3割くらい。残りの7割は、PR TIMESのサービス運営です。
新規でご登録いただいた企業が、お客様になっていただけるかどうかを審査します。企業の方からいただいた情報と事業内容、配信予定のプレスリリースや配信したプレスリリースを共有していただき、難しい場合はお断りします。あとは、プレスリリースの審査です。1日1000件以上の件数を大体1日6〜8名で、全て目視で確認しています。加えて、パートナーメディアの方々へプレスリリースとデータを提供するのも我々の仕事です。PR TIMESの勉強会や、お客様から配信前にいただいたものを添削してお戻しするといったことも、就任して1年後に始めました。
三浦:CR本部が大事にしているのは「社員一人ひとりの困っている人を助けたいという思い」を尊重すること。CR本部は、困っている人をほっとけない人や、人の役に立ちたいと思う人で構成されている集団です。見て見ぬふりをして効率化を追求すると、私たちが役に立っているという実感が薄くなってしまう。
加えて、お客様には「必要なサポートをしてくれなかった」という体験を与えてしまう。なので効率を求めず、生産性を高め、困っている人を助けたいと思い、しっかり一つ一つの業務に時間を割くようにしています。
目標設定においても、通常のカスタマーサポートでは「1時間あたりの処理件数」など目標値を設けると思うのですが、僕からは一切そういったことは言わないです。電話が長引いても全然問題ないと思っていますし、効率化という点においてはほぼノータッチです。戦術としては、カスタマーサポート職のプロフェッショナルを目指すのに加え、広報やPR、その周辺にあるSNS、広告やマーケットに詳しいという、全方位的なプロを目指したいと考えています。
最年少で抜擢も、ゼロからの再出発。
三浦:前置きが長くなったのですが、改めて僕のこれまでの日々を振り返っていきたいと思います。入社してからの5年5カ月のお話をするにあたり、総会のプレゼン資料には、「苦闘を愛せ」と言うタイトルを付けました。
1年目は、営業をしていて、北陸銀行と千葉銀行、横浜信用金庫のそれぞれと業務提携の担当をしていました。3年目の6月に最年少で事業部長に就任して、1年4カ月後に降格。まさにゼロからの再出発でした。振り返ると、当時は「能力が足りていない」とか「知的体力がない」という自分の不甲斐なさを素直に認められずにいました。フィードバックに対しても、「でも」や「そうは言っても」という言い訳で逃げていたんです。
でも僕なりに、顧客対応を1つ1つやり抜いていって。その後、CR本部内のマネージャー職を努め、さらに本部長代行に任命していただきました。ここから再び、と思っていました。
三浦:ですが、その当時の半期評価で山口さんから「半年前に、強く覚悟と勇気を持って三浦さんを抜擢しました。三浦さんがもしかしたらすぐに卓越した結果を出して、これを機にめちゃくちゃ成長するかもしれないという淡い期待は現実になりませんでした。」というフィードバックを受けたのです。覚悟をもって抜擢して期待をかけてくれた山口さん、CR本部の仲間、丁寧にバトンタッチしてくれた前任者に申し訳ない気持ちで溢れていました。事業組織でも事業部長の役割を果たせず、機能組織でも結果を出せていない焦りがありました。
PR TIMESは有難いことに、年々業績が伸びているので、一人当たりがサポートしなければいけないお客様の数は多くなっていきます。一方で、採用や育成がなかなか上手くいかない。CRでやりたいことがあるのに、それを始めることすらできない。必死に取り組みましたが、思うように成果をあげられない時期が続きました。
後編はこちら
執筆=倉本亜里沙、構成=田代くるみ(Qurumu)