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2017年にTAMのイギリス法人を立ち上げ、今年9月から新たに東京にも拠点を構えたTAMLO代表の石野雄一さん。もし10年前の自分に「将来、独立して海外で働いてるよ」と伝えたら、「それはない!」とすぐさま否定すると思う――そう語るくらい、いまのキャリアは予想外のことだったといいます。
英語も話せない、マーケティングの知識もない。そんな石野さんが、日本から遠く離れたイギリスの地でなぜビジネスを軌道にのせることができたのか、その軌跡をたどりました。
“抜け落ちた”言葉を編集する、日・英バイリンガルの事業展開
――TAMLOでは主にどんな事業をされているんですか?
メインとなる事業領域は、「バイリンガルでのコンテンツマーケティング」です。日本企業の海外進出や海外企業の日本進出を、コンテンツを通して支援しています。英語と日本語の2つの言語を扱うんですが、コンテンツのローカライズ(現地化)はひと筋縄ではいきません。その国の「言語」「文化」「市場」のすべてに精通している必要があるんです。
――単純に“英語と日本語が使える”だけでは通用しないんですね。
宣伝のコピーひとつとってもそうです。例えば、「セブン-イレブンいい気分」は日本語の語呂があってのコピーなので、そのまま英訳するのは難しい。日本語のコピーがもつニュアンスや背景にある文化的な意味は抜け落ちてしまいますよね。
一方で、インテル社の「インテル入ってる」のローカライズは素晴らしい。一見そのまんまなんですが、「intel inside」はいろんなものを汲み取った天才的な訳だと思います。それぞれの言語がもつニュアンスもリズム感も活かされていますし。
こういう作業を、翻訳業界あるいはマーケティング業界で「トランスクリエーション」といいます。「トランスレーション」と「クリエーション」を掛け合わせた言葉なんですが、僕たちはデジタルマーケティングの世界で、トランスクリエーションに気を配りながらコンテンツの企画、制作、配信、分析をしています。
外大卒なのに英語を話せない。そのコンプレックスが道を拓いた
――海外生活はロンドンがはじめてですか?
はじめてですね。実は英語ができなくて。外国語大学を卒業しているんですが、簡単な自己紹介と挨拶くらいしか話せなかったんです。それがずっとコンプレックスでした。「フランス語学科出身なので」と言い訳したりして(笑)でも、フランス語も全くダメなんですけどね。
――英語を話せないのに、なぜ海外でのお仕事を考えられたんですか?
きっかけとなったのは、28歳のとき。出版社で編集記者をしていた頃に行った海外取材です。チリでの取材だったんですが、英語を話せないので現地の通訳をつけてもらって。全部で10日間くらいだったかな。あの縦に長い国を、アンデスからパタゴニアまで車と飛行機で縦断しました。
通訳の人はルイスっていうんですが、必然的に一緒に過ごす時間がたくさんあって、お互いの家族のことや仕事の悩み、将来のことまで日本語でいろいろ話しました。そんななか、ルイスにいわれたんです。「僕に頼るような仕事をしていちゃもったいないよ」って。つまりそれは、「英語を勉強したほうがいい」という彼からのメッセージでした。英語を話すことができれば、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えられるようになる。会う人が増えれば、君の人生はもっと楽しくなるはずだ、と。
そのときのルイスの言葉がすごく響いたんですよね。チリの歴史のなかでも激動の時代に、ルイスの家族がどんなふうに生きてきたかの話も聞いて、僕には知らないことがあまりにも多すぎると。ルイスのような人といっぱい話したい、世界中のいろんな人に会ってみたいと思いました。それで、これが最後のチャンスだ、英語を身につけよう、30代は絶対に海外で仕事しようと心に決めたんです。
繰り返した転職が、得意なことを少しずつ増やしていった
――単純に英語を使えるだけでは通用しないとのお話がありました。ロンドンでの法人立ち上げはそれこそひと筋縄ではいかなかったのでは?
最初にイギリスに渡ったのは31歳だったかな。イギリスに親類がいたので、少しのあいだ居候させてもらいました。その時点ではまだ英語を話せていませんでしたね。2か月くらい語学学校にも通いましたが、すぐ話せるようになるわけでもなく。もちろん、それでは仕事にならないので、夜はヘッドフォンをつけてBBCのニュースを流しっぱなしにしながら寝たり、ランゲージエクスチェンジ(言語交換)のパートナーを見つけてきて毎日誰かとディベートしたり、めちゃくちゃ必死で英語を身につけました。
あと、英語以外にもうひとつコンプレックスがあって。僕、独立するまでにけっこう転職を繰り返してるんです。最初は放送局。営業の仕事を経験したんですが、全然ダメで会社に迷惑をかけてしまって。次が出版社、その次がWebメディア。渡英はもう、完全に背水の陣でした(笑)
いきあたりばったりで長続きしない自分が情けなかったんですが、いま振り返るとどの職にも共通することがあるんですよね。それは、一貫して「媒体」で働いてきたということ。失敗とか挫折とか味わいながらも、いろんな媒体で得意なことを少しずつ増やしていって、それが結局いまの事業を支える軸になっています。
――得意なこととは、具体的にどんなことですか?
放送局ではとにかく人に会いました。僕、本当はシャイなんですが(笑)毎日いろんな人に会って話しましたね。それはいまでも続いていて、たくさんの人と会うなかでビジネスが広がることが多いです。いや、大体がそう。日本でもロンドンでもいろんな人に会ってみたいと思うし、出会いに対する好奇心が強いのかもしれません。
とくに、ロンドンで起業した頃は人脈がゼロだったし、人に会うためにできることはなんでもトライしました。業界のセミナーに片っ端から参加したり、ビジネスのマッチングアプリが出たらすぐ試したりして。結局、そのときに出会ったイギリスの会社といま大きなプロジェクトを進めていますし、動けば光は見えてくるものなんですよね。
放送局の次に働いた出版社では編集を基礎から徹底的に学びましたし、Webメディアではデジタルの編集に加えてマネージメント力を身につけることができたと思っています。海外で仕事をしようと思ったときも、編集のスキルを活かすことをまず考えました。それがいまのバイリンガルでのコンテンツ作成につながっています。
――コンプレックスだった英語も転職も、すべていまに活きていると。
あんなにコンプレックスだったのに、いまでは英語を武器にして仕事をしているわけで、不思議な気分になることもあります。でも、「Never too late.」。何を始めるにしても決して遅すぎるってことはないんですよね。英語に関してはルイスが背中を押してくれたんですが、なんというか、心のスイッチがふっと入る出会いは必ず誰にでもあると思うんです。
その出会いが、人なのか、物なのか、言葉なのか、景色なのかはわかりません。ただ、タイミングがあって、状況がそろっていて。その出会いに気づけるかどうか、チャンスにできるかどうかは自分の判断にかかっているんじゃないかなと。アルキメデスの浮力の原理だって、お風呂に浸かってあ~気持ちいいって思ってるだけでは世紀の発見につながらなかったはずですもんね。
――石野さんは、そのチャンスをつかむことができたんですね。
そういうのを「セレンディピティ」っていうみたいなんですが、ビジネスでもセレンディピティに対する感覚はけっこう大切にしています。ピンチのときって、いつも偶然に人とか何かにつながって、いい方向へと動いていくんです。自分でも不思議なんですけど。
普段はわりとロジカルに考えがちなんですが、仕事をしていて計画通りにいくことなんてまずないんですよ(笑)うまくいかないとめちゃくちゃツラいんですが、後から振り返ると「あのピンチがあってよかった!」と思うことも実は多くて。突発的な出来事、偶然の出来事を楽しめるようになると無敵だなと思います。
――できればピンチは避けたいと思ってしまいます…(笑)
「ツラいほう」と「ツラくないほう」と2つ選択肢があったら、ある時期からツラいほうを選ぶようにしてきました。ツラいって思うってことは、一度それを経験してるんですよね。だからツラいってわかる。つまり、1回目で失敗してるんです。ツラいほうをとる=2回目にトライするっていうこと。2回目ともなると、1回目の失敗で学んでいるから、うまくいく確率が高いんです。
そもそも、世の中やってみないとわかんないことだらけですよね。ロジックといいつつ、昔から冒険家が好きで。植村直己さんに憧れていました。これも好奇心なのかな。わからないもの、知らないものを見てみたいって思うんです。
――英語も話せない、マーケティングの知識もない。なのにロンドンで法人を立ち上げる。それって相当な冒険ですよね。
僕もですし、なんのあてもなくロンドンに行こうとしている若者がいて、その挑戦を全力でサポートするTAMもなかなかですよね(笑)これはずっと続いていて、いろんな面で支えになっています。TAMとの出会いがなければこんな冒険はできなかったですね。
英語は自分でなんとかできたんですが、とりわけマーケティングについてはTAMに参加したからこそ得られたことがたくさんあります。手前味噌になっちゃいますが、TAMはマーケティングを学ぶ場として最適だと思っていて。会社というより、みんなで自分を磨いていく場でもあるなと。
僕はずっと媒体でコンテンツを作ってきたんですが、オールドメディアで「いろは」を学んだので、わりと「センス至上主義」のマインドをもっていました。でも、センスだけではどうしても行き詰まる。とくにクライアントに対しては、センス推しでは通用しない時代になりました。
当たり前ですが結果が求められますし、昔と比べて段違いにシビアです。データでしっかりと証明しなければならない。センスではなく、「マーケティング」のフレームワークでプロジェクトを推進していく大切さは、TAMで学んだと思っています。
ロンドンと東京。これからのTAMLOが描くもの
――新たに東京に拠点ができました。今後どんな展開を描かれているのでしょうか?
ロンドンは、世界でもトップクラスのデジタルマーケティングが展開される場所。例えば、僕たちはいま「ソーシャルリスニング」といってソーシャルメディアを傾聴し、そこで行われている会話を分析することにも力を入れているんですが、使っているのはイギリスで開発された最新のツールです。
デジタルマーケティングの領域は日進月歩。トレンドの移り変わりも早い。ロンドンに拠点があることで、常に新しい情報や技術をキャッチアップできますし、それを日本でのビジネスにもどんどん活かしていきたいですね。
英語を使ってメッセージを届けたい日本企業をお手伝いしたいし、その逆もそう。イギリスやアメリカなど英語を使ってメッセージを打ち出している企業が日本でマーケティングを展開したいとき、日本語にトランスクリエーションする。そこでいくと、日本のメトロポリスである東京に拠点を置くのは意味があることだと思っています。
――31歳で渡英して7年。また新たなフェーズがスタートするんですね。
いまやっている仕事、全部がおもしろくて。心の底から「これしかない!」と思えます。コンプレックスだった英語を使って仕事できているし、めちゃくちゃ楽しいです。クライアントとも対等な関係でプロジェクトを進められていて、そうやって全部任せていただける状況がすごく幸せだなと。
これからもロンドンと東京を行き来する生活は続きますが、とにかくロンドンだけで仕事をするというフェーズは一旦終えました。信頼できる仲間たちがロンドンでしっかりやってくれていますから。アメリカをはじめ、これからはイギリス以外の国とも積極的に取引を増やしていきます。新たに東京の地に拠点を構えたメリットを存分に活かしつつ、コンテンツを通して日本と海外の橋渡しをしていきたいですね。
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“ピンチのときのセレンディピティ”でこれまでやってきた、そう笑いながら話す石野さん。人との出会いをひとつずつ積み重ねた日々のお話、知らないものへの好奇心をにじませる語り口に耳を傾けていると、セレンディピティは偶然に舞い降りるものではなく、鋭い感性と洞察力をもち、常にアンテナを張る人を選んで訪れるのではないかと思えてなりません。
TAM英国子会社 TAMLO 代表 石野雄一
1981年、京都生まれ。ロンドンと東京に拠点をおくコンテンツマーケティング会社 TAMLO代表。大学院卒業後はニッポン放送に入社し、番組企画ほか、国内大手の広告キャンペーンを多数担当する。出版社に移籍し編集記者。その後、Web業界に転じ、日本最大級の生活情報サイトAll about編集部のマネジャーとなる。 2017年、TAMの英国子会社TAMLOを設立。現在、外資メーカーのオウンドメディア編集、国内メディアの海外向けコンテンツのコンサルティング、大使館や大学のソーシャルマネジメントほか多数のプロジェクトを指揮する。@ishinoyuichi
[取材・文・編集] 藤田幸恵 [撮影] 三浦千佳、Nobu Tanaka