医療×ITで、「納得できる医療」の実現をめざす
2009年の創業以降、「納得できる医療」の実現に向け、着実に歩みを進めてきたメドレー。個人的な医療体験をきっかけに創業を決意した瀧口氏に、医療分野ならではの難しさや、やりがいについてうかがった。
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みなさん初めまして、藤野と申します。株式会社メドレーで、オンライン診療アプリ「CLINICS」の営業統括責任者をしております。連載開始から2年が経った「メドレー入社理由ブログ」ですが、今回は、私がDJから中小企業の営業に転身、最年少役員になったキャリアを経て、メドレーで「いち営業担当」として再出発した理由をお伝えさせていただきます。
今では営業が板について来た私ですが、実は高校生の時にDJを志し、大学在学中から5年程はDJとして活動していました。
もともと小さい頃から音楽が好きでギターやドラムをやっていたのですが、姉が持っていたDJ機材を触らせてもらっているうちに、自分もDJをやりたくなって始めました。もちろん、やりたいと思ってもいきなりDJをできる場は用意されていません。DJスキルを磨く傍で、自らイベントを企画して出演し、そこに来ていただいた人とつながり業界の人脈を作ることで、次の仕事を獲得するということをやっていました。
DJの仕事に触れたことがない方も多いかもしれませんが、状況に合わせて臨機応変に選曲を変えていき、フロアに一体感が生まれた瞬間の喜びは、本当に代え難いものです。フロアの雰囲気を読みながら、それに合わせて音楽を変えていくというスキルは、営業として顧客に合わせてトークを変えることにも通じているかと思います(笑)。
とはいえ、「プロ」としてお給料がもらえていたのは後半の2年くらい。
なかなかDJで生計を立てるのは難しいという現実に加えて、ある有名DJとご一緒した際、自分にはあまり才能がないことに気づいてしまい(笑)、夢半ばで23歳の時に引退しました。
DJ引退後の就職活動で置いていた軸は「稼げそうな所を探す」でした。
DJ時代はなんとかプロとして続けていきたいと思っていたことから、人脈や仕事作りにおいてはフリーランス特有の「常に自分で仕事を探さなければいけない」という逞しさはありました。また、少しでもDJとして知られる存在となるために、自分で新しいことを考えてトライするチャレンジ精神もついたと思います。
とはいえ、新卒でもなければ社会経験も乏しい状況です。
さらに、大げさかもしれませんが”夢を追う事を諦めた直後”だったので、仕事に対してはとりあえずなんでも良いやと考えて、「未経験OK」「高収入」のタグだけで求人サイトを調べ、結果として不動産の賃貸仲介業のセールス職につくこととなりました。
その会社は某有名な賃貸仲介店をフランチャイズで10店舗ほど運営している社員100名程の中小企業です。
「なんでもいい」と選んだキャリアでしたが、結果的に僕はその会社に10年間お世話になり、社会人としての基礎をしっかりと教えていただきました。
末端のセールスから入り、社会人としては何も基礎がない状態からのスタートでした。しかし、DJ時代に培った逞しさやチャレンジ精神がものを言ったのか、振り返ってみると、順調に活躍することができたと思います。
2年目には営業主任、翌年は店長に。
28歳の時にはセールス数十名を統括するセールスマネージャーなる仕事をさせていただきました。29歳の時には役員に選出(当時は最年少でした)していただき、経営面や出店計画など、幅広い業務を経験させていただきました。
当時は必死すぎてあまり覚えていないのですが(笑)、新卒ではなく他業界からの転身ということもあり、周りの人に負けないように、人一倍働いていたのは確かです。
賃貸のセールスでは、短期間で次の物件を決めたいお客様のニーズに素早く反応することが重要なポイントの一つです。また、お客様の層も様々で、さらに一人ひとり全く違うニーズを抱えていらっしゃるので、柔軟な対応も必要になります。難しい顧客の対応や深夜の案内、トラブル対応など、周りが面倒だと思うことや嫌がることを率先してする中で、徐々にセールスという仕事のやり方を掴んで来ました。
さらにマネジメントに進むことで、お客様のことだけでなく、業界や経営全体のことも少しずつ見渡せる視点も付いて来ました。こうして短期間で様々なレイヤーを経験させていただけた事は今の自分の礎となっていて、社長には凄く感謝しています。
未経験から一転未経験のセールスへ、10年で企業の役員まで成長することができ、キャリアとしてはとても順調といえました。しかし、なぜか漠然とした不安を抱えていて、それが日を追う毎に大きくなってきたのです。
不安の背景の一つに、業界は不動産テックにより大きく状況が変わって来ていることがありました。
ハウスメーカーの台頭などで仲介の介在場所は減ってきていており、少子高齢化に向けての対応などでモデルチェンジを迫られていました。そうした変化の中でも、オーナー企業である中小企業に少なくない「意思決定の遅さ」「古い仕事の仕組み」から組織がなかなか脱却できずにいたのも事実です。
5年後、10年後の会社のあり方を見直さなくては、会社は縮小してしまうという危機感がありました。もちろん、1人の役員として試行錯誤し、役員会議などで何度も提案もしましたが、なかなか会社のあり方は変わらず、変化に対応するための動きを、自ら起こせないもどかしさが募っていました。
さらに日常の業務の中では、仲介のセールスとしてお客様のニーズに答えたいと思っても、提供できる選択肢は、あくまでメーカーや個人が所有する物件であるという葛藤も芽生え始めていました。自分の会社が責任をもって提供できるプロダクトをお客様に届けるというセールスをしていきたいという思いが強くなっていったのです。
こうした中で、
「もしかしたら自分は、10年後にはとても時代遅れな仕事をしているかもしれない」
「市場にもお客様にも、新しい価値を提供できる仕事ってなんだろう」
など、様々な思いが交錯していました。
そのような時に、メドレー共同代表の瀧口と話をする機会がありました。
僕と瀧口は古くからの友人であり、たまにお互いの仕事の話をすることもありました。ベンチャーを立ち上げ、新しいプロダクトを産み出し広めている瀧口は、僕の憧れのような存在だったのです。
現在の仕事でこうした不安を抱えていると話した時に、改めて瀧口が、今どんな仕事をメドレーがしているのかを話してくれました。
起業の背景、医療業界の課題、会社のビジョンや戦略。
また、メンバーの魅力や事業の社会的な意義など。
メドレーや医療業界について予備知識が全くない状態でしたが、瀧口が熱く語るのを聞いているうちに「あれ、ここに行ければ自分の抱えている問題は全て解消するかも」と率直に思ったことを覚えています。また光栄な事に、その場でメドレーの一員に誘ってもらいました。
・医療が成長市場である、解決すべき課題があること。
・その課題への新しいソリューションを提供していること。
・強力な自社プロダクトを持っていること。
・最新の仕組み化ができていること。
・一緒に働きたい!と思えるメンバーが揃っていること。
僕にとって、まさに求めていた場所だと感じました。もちろん業界未経験ですし、役員から一転、1セールスとしての再スタートともなります。でも、僕自身に全く迷いはありませんでした。
やりがいを求め、漠然とした不安を抱えていた自分自身と決別をするために、メドレーに入社することを決めたのです。
セールスとして意気揚々と入社しましたが、初めてのIT、そして医療業界。すぐには成果を出すことができませんでした。最初の一ヶ月は全く成果を出せず、正直かなり悔しい思いをしました。
その時、不動産営業の時代も最初に成果を出すまで時間がかかったこと、さらにそれを乗り切った経験があったことを思い出しました。
今までのキャリアを通じて自身が体得していた最良のセールス成長プロセスとは、先ず「契約をいただける方法」を思い描き、クリアにすることでした。それを思い描いた後は、日々の商談後にその方法と比較して「何ができていないのか」「何が上手くいっていないのか」を内省し、「次回に必ず活かす」ということを継続します。今でもこれが、確実な成長プロセスを歩むことができる唯一の手段であると信じています。
こうした視点からこれまでの商談を振り返ると、医療機関向けのセールスは、これまでに出会ったことがないお客様を相手にしているのだと改めて実感しました。
CLINICSのお客様は主には、クリニックと呼ばれる町のお医者さんです。とはいえ医師の方々のキャラクターも、患者様に寄り添う方、院長として経営手法を強く意識される方など、多様です。さらに命に直接関わる業界ゆえにルールも複雑ですから、他の業界よりも高度なトークスクリプトを準備し、お客様のタイプに応じてトークを変化させることが重要なのだと気づきました。
こうして、日々様々なタイプの先生方の話をヒアリングしていく中で、徐々に自分なりの営業手法が確立していきました。
結果として、3ヶ月目にセールスとしてトップの成績を取ることができました。さらに1年後には、実績を評価していただき、セールスマネージャーとしてチームの責任者に据えていただくことになりました。
こうした経験の中で、医療業界、そしてメドレー自体の面白さも実感するようになりました。
これまでは短期的な目標を追う日々でしたが、メドレーは10年、さらにそれ以上の長期を見据え、医療の未来をより良くするためのビジョンを描いています。その未来が実現することの価値を、瀧口や豊田の発する言葉から体感することで、日々ワクワクしながら仕事に臨んでいます。さらに、自分たちの行動がオンライン診療の市場にリアルタイムで変化を起こせていると感じられることも醍醐味です。
今は楽しいメンバーとともに、「医療×ITで世の中を変えたい!」という熱意を持ち、やりがいを感じながら切磋琢磨している毎日です。
私は今、オンライン診療アプリ「CLINICS」の営業統括責任者として、日本全国の医療機関に広めるべく日々全国の医療機関とコンタクトをとっています。
オンライン診療という新しい診療スタイルを提案し、その価値に共感してもらう活動は、社会的な意義や、やりがいを体感できる希少な環境だと思います。私のように、異なる業界で一定の経験を積みながらも、何か心に葛藤や不安を抱えた人にとっても、新たなやりがいを見いだせる場所であるとも確信しています。
CLINICSでは、「今までになかった市場を開拓する強い意志」と「新しいマーケットに対応できる自己成長力」を持った新しい仲間を求めています。
共同代表・豊田の書籍名ではないですが「ぼくらの未来をつくる仕事」に一緒に取り組みませんか?
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回:医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回:何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回:厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回:7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回:IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第17回:整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回:マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
第19回:SIerとWEB業界を経験したエンジニアがメドレーに入社した理由
第20回:青春を捧げたチアリーダーを引退した私がメドレーという舞台でクリニックを応援することに決めた理由
第21回:インターンを経て新卒で入社した私が、メドレーを選んだ3つの理由
第22回:なんでもできるようになりたかったエンジニアがメドレーへ入社した理由
第23回:新卒から9年働いた会社を飛び出した私がメドレーに入社した理由
第24回:結婚2年目で転職を考えた私が、メドレーに入社した理由
第25回:「命に関わる仕事がしたかった」私が、MRを経てオンライン診療の未来に賭ける理由
第26回:「何でも屋」街道をワイルドスピードしている私が、「介護のほんね」と共にメドレーに入社した理由
第27回:元タカラジェンヌの私が、第二のステージにメドレーを選んだ理由
第28回:「漠然と医療に携わりたかった」私が、勇気をふりしぼってメドレーに飛び込んだ理由
第29回:29歳で社会人経験がないまま上京した元バンドマンの私がメドレーで働く理由
第31回:キーエンス、リクルート、プロボノ活動を経て、私がメドレーに転職した理由
第32回:作業着にヘルメット姿で働いていたわたしがメドレーに入社した理由
第33回:ウォーターボーイズだった僕が、エンジニアになってメドレーに入社した理由
第34回:やりがいとワークライフバランスの両立を探して、私がメドレーにたどり着いた理由
第35回:リクルートで人事一筋だった私が、新たなチャレンジの場にメドレーを選んだ理由
第36回:ベンチャーでコーポレート部門の立ち上げやIPOを経験した私がメドレーに入社した理由
第37回:大学を2留し社会人経験もなかった私がメドレーでチームリーダーになるまで
第38回:結婚しても仕事のやりがいを大事にしたい。キャリアアドバイザーの私がメドレーを選んだ理由
第39回:CAからfreee、そしてメドレーへ。エンジニアの私が医療×ITの世界にチャレンジする理由
第40回:「医者は臨床現場で頑張ってこそ」と考えていた自分がメドレーにいる理由
第41回:アイスタイルでエンジニア、JapanTaxiでマーケターを経験した私が、今メドレーを選んだ理由
第42回:ウエディングプランナーだった私がITベンチャーの新規事業に飛び込んだ理由
メドレーが提供しているサービス
・医療介護業界の求人サイト「ジョブメドレー」
・医師たちがつくるオンライン医療事典「MEDLEY」
・オンライン診療アプリ/電子カルテ「CLINICS」
・介護施設を選ぶための口コミサイト「介護のほんね」