はじめまして。株式会社メドレーの金内と申します。
現在、医療介護求人サイト「ジョブメドレー」で、求職者様のキャリアサポート業務を担当しております。入社してまだ1年にも満たない私ですが、
きんちゃん、きんたろう、たろちゃん、かねやん etc...
有り難いことにこんなにたくさんの愛称でみなさんに可愛がっていただいております。
私が所属するジョブメドレーのキャリアサポートチームはニックネームで呼び合うほど仲がいい部署なのですが、メドレーに入社したばかりの方は、呼び名がたくさんありすぎることで私の顔と名前が一致するまでに時間がかかることでしょう。ぜひ、お好きな呼び方でお気軽に声をかけて頂ければ幸いです。
(どんどん進化していく私の呼び名。笑 ニックネームで呼び合うとグッと距離が縮まります)
さてさて、今回は生まれも育ちも宮城県、家族大好き&都会が苦手ゆえに30年間一度も県外に出たことがなかった私が、なぜ東京のど真ん中・六本木で働くことを決めたのか、そのいきさつについてお話ししたいと思います。
キャリアに悩んだ新卒時代
私はメドレーに入社するまで2社経験しており、歯科医院の受付・助手から人材紹介会社のキャリアアドバイザーという、ちょっと変わった転職を経験しております。
なぜこんな畑違いの転職をしたのか、簡単に言うと「誰かのために直接役に立ちたい」という気持ちが強くなったからです。志望動機などにありがちなふわっとした理由にも思えますが(笑)、これがわたしの正直な転職の動機でした。
歯科医院に勤めていたころ、当時のわたしは医療事務の単調な仕事にモチベーションをあげられず転職を考えていましたが、「同じ職種は嫌だし、かといって他の業界で通用するスキルも資格もない・・・でも転職したい・・・(以下繰り返し)」という、絵にかいたような「転職に悩む第二新卒あるある」状態でした。
そんなとき、2011年3月に発生した東日本大震災で被災してしまったのです。
震災をきっかけに見出した第二のキャリア
私自身は地元を離れて生活してましたが、当時実家があったのが宮城県石巻市でした。
みなさんもニュースなどでよくこの地名を耳にしたことがあるとかと思います。海岸がすぐ近くに広がっていて、海浜公園が子供のころの遊び場というようなところで育ちました。最近はスーパーでもたまに見かけますが、高級ブランド魚・金華サバも、石巻の名産です。(脂がのってて美味しいですよね!)
軒下で魚を干している家がそこらじゅうにあった、そんな海の恵みにあふれた見慣れた風景も、震災の津波で大きな被害を受け、あっという間に変わってしまったのです。
近所の3~4階建ての中学校の屋上には車が乗っかり、それ以外の建物という建物はほぼなく、もちろん私の実家も海岸沿いだったので、基礎だけを残して跡形もなくなくなってしまいました。
家を失った人たちと途方に暮れながらぽつぽつ歩き回り、そのすぐそばを遺体を担いだ自衛隊員が何人も通り過ぎていく。そんなつらい当時の情景が、いまだにはっきりと目に焼き付いています。
幸いにも私の家族は津波を免れ、しばらくは私が住んでいた家で一緒に暮らしていました。ライフラインもある程度復旧し、それとなく生活も落ち着きを取り戻しつつあったとき、たまたま被災者の心のケアについて特集を組んだテレビ番組を見る機会がありました。
津波の被害にあった地域の人たちは家族や住む場所、仕事もいっぺんに失ってしまった方も多く、生きる気力をなくし、悩みぬいた末に自ら命を絶つ人もいるといいます。
そんな被災地での現状に、本当に心が痛みました。
せっかく命が助かっても、「生きる意味」を見出せないと人は生きていけないんだ・・。
何とかしたいけど、医療事務の経験しかない私が何かできるわけでもない。
テレビの前で一喜一憂しているばかりの日々に悶々としていたあるとき、顔なじみだった会社経営をしている方にポロッと仕事に対する悩みを打ちあけたところ、予想外の言葉を頂いたのです。
「うち今人を募集しているから、興味があったらぜひ応募してみて!」
その会社は転職支援を行っている人材紹介会社。ネットで検索してみるとたしかに採用情報がアップされていました。そこにはこんな記載が。
「被災者を対象にした再就職支援プロジェクトの事務員募集」
おぉぉぉ!!これだ!!
思い立ったらすぐ行動の私はすぐさま履歴書を買ってきて応募をしました。
被災者の今後の生活に間接的にでも手助けができる仕事だし、医療事務経験しかない私でもできるかもしれない!そんな単純な動機でしたが、結果採用いただき、人材紹介の世界に飛び込むことになりました。
(前職のメンバーと。私を人として大きく成長させてくれたかけがえのないメンバーです。)
事務からキャリアアドバイザーへ
プロジェクトには仕事を失った被災者たちから続々応募が入り、結果的に何百人もの再就職が決まり、本当に微力ながらも役に立ったような気がして嬉しかったことを覚えています。
わたしの業務は事務処理がメインでしたが、その後も地域ごとに同様のプロジェクト案件が複数舞い込み、慌ただしい毎日を過ごしていました。そして2か月程経ったとき、なぜかキャリアアドバイザーチームの席に移動することに。
上司「今後はプロジェクトから離れてキャリアアドバイザーとして、ね!」
わたし「・・・・・えーー!」
そんな感じでいきなり始まったキャリアアドバイザー業務ですが、まぁ最初からそう簡単にうまくいくはずもなく、ぺーぺーの中でもド・ぺーぺーだった私は、先輩や上司からOJTを受け、登録者との面談にひたすら同席し、注意と指摘をこれでもかというほど受けながらノウハウを勉強しました。(当時はPCも全くのド素人で、キーボードを人差し指でつんつく突いては慣れないビジネスメールを打ってました・・笑)
その後、求職者の担当を任せてもらうようになると、主に第二新卒や女性の求職者を対象に登録面談を担当していくことに。しかしそれまで自分が聞いたことも経験したこともない業界の人に、私がアドバイスできることなんてあるの?というかしていいの?と不安からのスタートでした。
もちろん事前に登録者の経歴を紐解いて業界・職種の特徴や動向などはしっかりリサーチしてから面談に臨むのですが、 業界に特化せず幅広い仕事に対応した転職支援会社でしたので、間口は広い分、専門性を身に着けるという点で難しい面もありました。
そこで私はアドバイザーという立ち位置だからと身構えるのではなく、分からない分野についてはその道のプロである登録者本人へ素直に聞きながら理解を深め、知識や見分を広めていきました。
ちょっと頼りなく感じられますがペーペーなりの「キャリアへの近道」として続けていたことのひとつです。
(毎年恒例、忘年会での体を張った全力の出し物 笑。この年流行っていたエレキテル連合のあけみちゃんに扮しネタを披露。社員からおひねりも飛び大成功でした!)
働くことの楽しさを知り、がむしゃらに走り抜けた日々
地方都市の会社ではありましたが、某有名インターネット関連会社で役職についていた人や首都圏で経験を積んできた優秀・有能なUターン人材が在籍していたことも私にとってはすごくラッキーなことでした。
「つねに改善。つねに成長。」
この言葉は受け売りなんですが、「今目の前にあるものが当たり前のことだと思ってはいけない。常に現状を改善できるという視点で物事を見ていくことが必要だ」という教えで、これまでの仕事に対する意識や心構えを変えてくれた大事な言葉のひとつです。
そんな彼らに触発され、わたしも業務の改善や今まで導入していなかったサービスの企画など、意欲的に仕事に取り組むうちに、いつのまにかチームのリーダーとして先頭を切って走るようになっていました。
そして気が付けば30歳目前。
仕事が楽しくて仕方がないと思っていた矢先、会社から「うちの会社でいつか女性初の役員を出したい。そのために昇格も考えている」との有り難いお言葉が。
それと同じタイミングで当時遠距離で付き合っていた関東在住の彼からまさかのプロポーズ。(なんてタイミング・・!!)
悩みに悩んだ末、なんと…
とんでもないことにプロポーズを1年保留にしてしまったのです。(笑)当時は結婚願望なんてまったくなく、将来のキャリアを諦めてまで結婚する意味ってなに?とまで思っていました。
保留期間は仕事にプライベートに思い切り楽しんだのですが、結果的には「仕事はきっとどこかで見つけられるけど、結婚相手はきっとこの人しかいない」と思い、結婚を決意しました。
(旦那さんと。横浜でクルージングディナーをした時の一枚。)
結婚を機に関東へ。メドレーとの出会い
それから入籍を済ませ関東へ引っ越し、仕事を探すために女性の転職に強いエージェントへ登録しました。今回のわたしの転職の軸は以下の3つ。
これまでのキャリアを生かしたい
将来的にマネジメントも経験したい
出産などのライフスタイルの変化があっても活躍できる環境
「結婚したけれど、それでも仕事のやりがいは捨てたくない、キャリアを生かしたい」という条件など、アドバイザーさんに親身に相談に乗ってもらい話しこんでいくうちに、一番強く薦められたのがメドレーでした。
はじめはこの歳でいきなり地方から関東に住み始め、さらにいきなり六本木で働くなんて絶対ムリ・・・と感じたと同時に、ベンチャー企業を受けるということに、すぐに返事はできず少し躊躇してしまいました。
自身の前職での経験上、地方では結婚直後の女性の転職は割と難しい印象がありました。なぜなら、入社してもすぐに産休に入ってしまったり、産休・育休制度がない会社では辞めざるを得ないので採用側も敬遠してしまうのでは?と思っていたからです。
しかし頭で考えるよりもまずは行動してから決めよう!と、思い切ってメドレーの採用試験を受けてみることにしたのです。
面接ではメドレーの軸となっている事業内容や、設立後どのように現在の規模まで成長してきたのかなど細かく説明していただきました。また、今後の生き方にも大きく関わる今回の転職は絶対に失敗したくないという意気込みもあったため、キャリアとの両立や女性の働き方、今後どのように活躍していけるかについて質問しましたが、話していく中で不安よりもワクワクが大きくなっていくのを感じました。
個々の考えを尊重する社風のため、自分の裁量しだいで責任ある仕事が経験でき、希望しだいで幅広い選択ができる
女性の働き方に柔軟な対応をしてくれる体制もあり、今後さらに新しい体制も構築していく準備をしている
これが入社を決めた大きな理由となりました。
実際に入社してみて
入社当初は介護チームへ配属、現在は保育チームで保育士・幼稚園教諭の転職希望者の方のサポート業務を行っております。
前職では対面・電話面談が日に何件かあり、仕事終わりの面談を希望される方も多かったため、会社を出るのは21~22時過ぎなんてざらにあった日々でしたが、メドレーではサポート対応時間も決まっており、LINEやメールでのサポートがほとんどのため、ほぼ定時で退社できています。
帰宅途中の電車でレシピサイトを検索し、自宅で夕食を作り夫の帰りを待つ・・・など、ちゃんと新妻的なこともできています。
(得意料理はにらと生姜たっぷりの薬味餃子です)
また、面接時に現在の上司であるジョブメドレー事業部長の横尾さんから「チーム内、私以外全員女性です」と言われたとき、「女性だけの部署の東京の会社・・・ぜったい怖いやん~~;;(泣)」と、かなり動揺しまくりでしたが、心配には及びませんでした。
冒頭でもお伝えしたとおり私におちゃめなニックネームを命名してくれるなど、気さくで優しい社員が多く、すぐに馴染める環境もメドレーの魅力のひとつです。
(ホスピタリティ精神が高いメンバーが多いので、自然と助け合う文化があります。)
「求職者をサポートするなんて経験ないと難しそう・・・」と感じている方も多いと思いますが決してそんなことはありません。
面倒見がよく、頼りになる先輩社員がたくさんいるので、仕事上の心配は最小限にとどめて頂いて大丈夫です。分からないことがあると丁寧に教えてくれるしOJTもしっかりあるので、未経験からのスタートで活躍している社員がほとんどです。
実際に、求職者様から「あなたのサポートのおかげで転職がスムーズに決まりました、本当にありがとうございました!」というお声を頂くことがあるのですが、一人の人生の転機に、ジョブメドレーを通じてお手伝いできたという達成感とやりがいを感じることができ、とてもうれしい瞬間です。こうした一つひとつの積み重ねが、医療・介護の現場で深刻な問題になっている人材不足などの課題解決に繋がっていくのだと信じ、日々奮闘しています。(メラメラ)
結婚や出産など、女性は特にライフスタイルの変化が大きいため、転職も簡単ではありません。だからこそ、「女性が活躍できる環境」を提供してくれる会社はとても貴重だと思います。
ただ働くだけではなく、働き方を相談しながらやりがいを持ってしっかり活躍できる。
そんな風土がメドレーにはあります。
こんな人と私は働きたい
ジョブメドレーのキャリアサポートチームは、求職者様や事業所様とコミュニケーションを取りながら応募から採用までのサポートをする仕事なので、人と話すことが好き・聞き上手、人の役に立つことで喜びを感じられるという方はとても適職ではないかと思います。
また、これまでキャリアに悩んだ経験がある方は多いと思いますが、「相手の立場になって考えられる」という意味で、求職者様のサポートをするうえでは逆に生かせる武器になります。
この仕事では、これまでの経験が無駄になることはひとつもありません。
どんな経歴でも、あらゆる形でこの仕事に生かせることが可能な点も、ジョブメドレーのサポート業務の魅力だと思っています。もちろん、医療やITに興味がある、という気持ちがある方も大歓迎です。
(未経験からでも先輩たちが優しくサポートします!)
いま、高齢化がさらに進展し医療・介護の分野はさらに重要性を増してくる時代に入っていますが、そんな課題に真正面から取り組んでいるのがメドレーです。ジョブメドレーは、今後の医療業界を支える人材を、必要としている場所へ導くための一助となっているサービスで、医療従事者である求職者と、そのマンパワーを必要としている事業所とを、適正なマッチングで結びつけるとても意義のある仕事です。
経験がないから諦めていた、ワークライフバランスを実現するのは諦めていたという方、
ぜひここですべて叶えませんか?
ここまでお読みいただき、少しでも興味がわいた方がいたら嬉しいです。
これからの時代、女性が活躍できない会社は成長しない、と私は真剣に思っていますが、仕事もプライベートも諦めたくない欲張りな女性を、メドレーはいつでもお待ちしております。
過去のメドレー社員の記事
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第2回:現役ダーツプロの僕がメドレーに入社した7つの理由
第3回:デザイナーの僕がメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第5回:ライフセーバーの私がメドレーで働く理由
第6回:私がヤフーを辞めてメドレーに入社した2つの理由
第7回:外資系投資銀行出身の私がメドレーに入った理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第9回:今年不惑を迎えたエンジニアがメドレーを選んだ理由
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回:医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回:何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回:厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回:7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回:IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第17回:整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回:マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
第19回:SIerとWEB業界を経験したエンジニアがメドレーに入社した理由
第20回:青春を捧げたチアリーダーを引退した私がメドレーという舞台でクリニックを応援することに決めた理由
第21回:インターンを経て新卒で入社した私が、メドレーを選んだ3つの理由
第22回:なんでもできるようになりたかったエンジニアがメドレーへ入社した理由
第23回:新卒から9年働いた会社を飛び出した私がメドレーに入社した理由
第24回:結婚2年目で転職を考えた私が、メドレーに入社した理由
第25回:「命に関わる仕事がしたかった」私が、MRを経てオンライン診療の未来に賭ける理由
第26回:「何でも屋」街道をワイルドスピードしている私が、「介護のほんね」と共にメドレーに入社した理由
第27回:元タカラジェンヌの私が、第二のステージにメドレーを選んだ理由
第28回:「漠然と医療に携わりたかった」私が、勇気をふりしぼってメドレーに飛び込んだ理由
第29回:29歳で社会人経験がないまま上京した元バンドマンの私がメドレーで働く理由
第30回:フランスで生活していた私がメドレーに入社した理由
第31回:キーエンス、リクルート、プロボノ活動を経て、私がメドレーに転職した理由
第32回:作業着にヘルメット姿で働いていたわたしがメドレーに入社した理由
第33回:ウォーターボーイズだった僕が、エンジニアになってメドレーに入社した理由
第34回:やりがいとワークライフバランスの両立を探して、私がメドレーにたどり着いた理由
第35回:リクルートで人事一筋だった私が、新たなチャレンジの場にメドレーを選んだ理由
第36回:ベンチャーでコーポレート部門の立ち上げやIPOを経験した私がメドレーに入社した理由
第37回:大学を2留し社会人経験もなかった私がメドレーでチームリーダーになるまで
メドレーが提供しているサービス
・医療介護業界の求人サイト「ジョブメドレー」
・医師たちがつくるオンライン医療事典「MEDLEY」
・オンライン診療アプリ「CLINICS」
・介護施設を選ぶための口コミサイト「介護のほんね」