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「理想の人生」に伴走するため、私はKBCで就労支援をする

就労移行支援事業部 サービス管理責任者の齋藤欣矩です。1. 長年の福祉現場で学んだ「その人らしい人生」を支援すること幼い頃から周りに障害を持つ当事者の方が日常的にいた私は、自然と「障害のある方々が、地域で自分らしく生活するサポートをしたい」と思うようになり、福祉の道を志しました。高校は福祉も学べる総合学科へ進学し、その後は大学の学位も同時に取得できる精神保健福祉の専門学校へ。卒業後は新卒で自立生活センター(CIL)に就職し、そこから14年間、相談支援やグループホームの管理者・サービス管理責任者を務めました。正直に言えば、働き始めた当初の私は「支援者の理想」を利用者の方々に押し付けてしまう...

「一人の苦しみを孤独にさせない」ためにキズキで伴走する

就労移行支援事業部 サービス管理責任者の小路岳弥です。1.友人の発達障害と誰にも言えない苦しみが私の支援の原点 大学では社会福祉学を専攻していましたが、本格的に社会福祉に関心を持ったきっかけは、大学時代に親しくしていた友人の存在でした。ある日、友人が急に学校へ来なくなり、音信不通になってしまったのです。心配で根気強く連絡を取り、一緒に病院へ同行しました。そこで目の当たりにしたのは、発達障害の診断と、それによる二次障害である適応障害という診断結果でした。 「こんなに苦しいのは自分だけだ」。誰にも言えずに、たった一人で苦しむ友人の姿に、私は強い衝撃を受けました。世の中には、彼と同じような生き...

福祉から離れると決心した私が、キズキで再び現場に立つ理由

就労移行支援事業部 サービス管理責任者・マネージャーの池田有延です。1.支援の現場を退いた悔しさと、部署異動で抱えた葛藤 臨床心理学を学んだ大学時代。発達特性を持った方の支援を学んでいたものの、当時の私はそれを仕事にするイメージを描けずにいました。その代わりに目指していたのは、ホテルやブライダル業界でした。人の幸福な瞬間に立ち会いたい思いがあったからです。しかし、縁あって新卒で入社したのは、ホテル並みの接遇が求められる高級有料老人ホームを運営する企業でした。人の幸福な最期をサポートできると考え、入社を決めました。入社して3年半は介護現場を経験しました。それは充実した日々でしたが、思わぬ形...

不登校を経験し、ADHDの特性を持つ私だからできる就労支援

就労移行支援事業部 マネージャーの今野友貴です。1.不登校の殻を破り、ボランティアで芽生えた他者支援の喜び 私のキャリアの原点は、高校時代の不登校経験に遡ります。当時は「自分のやりたいこと」と「自分の持っている能力」のギャップに深く苦しみ、学校に通うことができなくなってしまいました。大学進学を機に、「このままではいけない、自分を変えたい」という思いから、NPO法人が主催する国際交流のボランティア活動に飛び込みました。活動内容は、インドネシアの小学生と日本の小学生のオンライン交流支援でした。当初は自分自身の成長や変化がモチベーションでしたが、運営メンバーや小学生など多様な人々と関わるなかで...

売上を追った泥臭い日々が誰かの「やり直し」を支える力に

就労移援事業部 マネージャーの江口実聡です。1. 新卒キャリアを福祉ではなく、商業の最前線に選んだ理由学生時代、私はずっと喉の奥に小さなトゲが刺さっているような感覚を抱えていました。世の中には、困っているのに「助けて」と言えない人がいる。大学で心理学や児童学を学んでいく中で、私のやりたいことが鮮明になっていきました。「この、声を上げられない人たちを救いたい」と。しかし、当時学生だった私には、圧倒的に「ビジネススキル」が足りていませんでした。誰かを救うための力も、経験も、当然何もない。だからこそ、私は最初のキャリアとして「福祉」ではなく、あえて真逆の「商業」の最前線である業界大手の「メガネ...

適応障害・無職→KBC利用者→KBC支援員になった4児の父の軌跡

就労移行支援事業部 石塚正好です。1.4人の子供と妻を抱えて収入0になったあの日「自分はもう、社会から必要とされていないのではないか」 先の見えない深い暗闇の中に放り出されたような、あの日の絶望を私は今でも覚えています。もともと私は、大学の自由な環境に適応できず中退を経験したため、強いコンプレックスを抱えていました。そこから一念発起し、24歳で大手運送会社に派遣社員として入社。必死に食らいつき、契約社員、そして正社員へと這い上がり、マネージャーとして14年間務めましたしかし、異動先で凄惨なパワーハラスメントを受けたり、改善を提案しても変わらない組織の壁にぶつかり、環境を変えるために40歳...

戸籍も保険証もなかった私だからできる、挫折を光に変える支援

就労移行支援事業部 サービス管理責任者の岡村雄一郎です。1.戸籍なし、マイナスからの出発が私の原点私は東京で生まれましたが、中学校に上がる頃まで「戸籍」も「保険証」もありませんでした。父は失踪し、小学校1年生の時に住み慣れたマンションから移り住んだのは、母が住み込みで働く建設会社の資材置き場にあるプレハブ小屋。その後も会社の倒産などで転居を繰り返し、高校時代には生活保護を受けていました。学費を払う余裕などなく、大学進学という道は初めから存在しませんでした。高校卒業後は、新聞奨学生として働きながらアルバイト代のほとんどを家に入れる日々。ゼロからのスタートではなく、マイナスからの出発。25歳...

私の生きづらさが、誰かを救う最強の武器になる

就労支援事業部 北関東エリアマネージャーの伊藤みな美です 。1. 「私が救う」のではない。子どもたちに救われた日私のキャリアの出発点は、優しさにあふれたものではありません。むしろ、過去の生育環境から自己肯定感が低く、常に「生きづらさ」という名の目に見えない重りを足首に縛り付けられているような感覚。それが私の原点でした。自分自身の心を紐解きたいという一心で大学は心理学科へ進学。在学中、児童相談所や放課後等デイサービスでアルバイトを経験したとき、私の世界観は文字通りひっくり返りました。そこにいたのは、私以上に過酷な環境の波に揉まれながらも、必死に、そして懸命に今日を生きる子どもたちでした。そ...

偏見のない社会を目指して。現場からコーポレートへ、視点を広げ続ける挑戦

経営企画部デジタル戦略グループで働いている原田慎也です。なぜ教育・福祉の分野に関心を持ったのか──その原点を振り返りながら、これまでの歩みをお話ししたいと思います。マイノリティ支援に関心を持った原点福祉に関心を持ったきっかけは、両親の影響でした。二人とも福祉の仕事に携わっており、幼いころから「障害」というラベルで人を分けない環境で育ちました。たとえば「障害のある人」「ない人」と区別するのではなく、「その人がその人らしく生きるには何が必要か」を自然に考える家庭でした。そうした環境の中で、マイノリティや経済的に困難を抱える人など、「生きづらさを感じる人を支えたい」という思いが、自分の根底に芽...

「人の成長を支え、組織の力を引き出す」—キズキの人事としての挑戦

営業から人事へ。数字の裏に見えた“人の力”2025年9月よりキズキの人事としてジョインしました。私は、最初から人事の道を歩んでいたわけではありません。キャリアのスタートは、営業職でした。毎月の数字を追い、目標を達成するために走り続ける日々。その中で強く感じたのが、「人が育たなければ、成果は続かない」ということでした。どんなに優れた仕組みや商品があっても、結局それを動かすのは“人”です。部下が成長し、自信を持って動けるようになると、チーム全体の空気が変わる。そんな瞬間を何度も見て、人の成長を支える仕事がしたいと思うようになりました。それが、私が営業から人事へキャリアチェンジをしたきっかけで...

挫折と再起を繰り返した私が、キズキで働く理由

マーケティング本部で働いている、阿部莉久です。ここでは、私がこれまでどんな道を歩み、なぜキズキで働くことを選んだのかをお話しします。家族と塾が育んだ「誰かのために生きる」という原点幼い頃から野球チームでキャプテンを務め、人のために行動することを自然に楽しんでいました。祖父母が営む銭湯には親戚が集まり、温かな愛情に包まれて育ちました。けれど、中学時代は不良に流され、学校から家庭に連絡が入ることも。そんな私を変えてくれたのは、高校受験時に通っていた塾の先生と両親の存在でした。最後まで諦めずに支えてくれた姿に応えたい。その思いで必死に勉強し、「変わりたい」と強く決意しました。この経験が、今の私...

「完璧じゃなくてもいい」─適応障害を乗り越え、私が選んだ自分らしい働き方

こんにちは、マーケティング本部の榎本生恵です。私は2023年にキズキへ入社し、産休・育休を経て、2025年に復帰しました。営業職から人事へキャリアを転じ、今は採用や組織づくりに携わっています。今日は、私自身の家庭環境やキャリアの歩み、そして適応障害を経験したことで学んだことを、少し赤裸々にお話ししたいと思います。幼少期〜「優等生であるべき」と自分にラベルを貼っていた日々私は両親ともに教師で、4人兄弟の中で育ちました。周りからは「〇〇先生の娘さん」「△△くんのお姉ちゃん」と呼ばれることが多く、いつのまにか「優等生でいなければ」と自分を追い込むようになっていました。その頃の私は、自分の気持ち...

順調すぎた人生から飛び込んだ未知の世界。キズキで見つけた“挑戦し続ける働き方”

マーケティング本部プロデューサーの秋吉成紀です。2023年7月に株式会社キズキへオンライン編集者として入社し、今は主に就労支援事業所・キズキビジネスカレッジ(KBC)のマーケティングを担当しています。僕がキズキに入社したのは、単なる転職ではなく「自分の人生の再スタート」でもありました。そして、この環境なら「自分と同じように、何度でもやり直したい人の力になれる」と確信したからです。■ 「何度でもやり直せる」に心を動かされた日キズキのビジョン──「何度でもやり直せる」という言葉に、深く共感しました。僕自身、30代を目前にはじめて正社員になったのがキズキでした。だからこそ、「やり直しのチャンス...

社会貢献を“実装”する。戦略だけじゃ終わらない、公民連携の現場

社会の複雑化にともない、行政だけでは手が届きにくい社会課題が増えています。特に、子どもの貧困や教育格差といった問題は、既存の制度の枠組みでは解決が難しいケースが少なくありません。そこで今、注目されているのが「公民連携」。自治体(公)と民間企業(民)が力を合わせることで、これまで取りこぼされてきた“支援の空白地帯”に光を届ける取り組みです。民間企業でありながら行政と手を取り合い、課題解決を「実装」しているのが株式会社キズキです。単なる戦略立案に留まらず、その最前線で実直に、そして泥臭く社会を変革していく現場に、社員はどのように向き合っているのでしょうか。私たち株式会社キズキは、「何度でもや...

「社会を変えるのは誰か?」“公民連携”の現場から見えた、新しいアプローチ

社会の複雑化にともない、行政だけでは手が届きにくい社会課題が増えています。特に、子どもの貧困や教育格差といった問題は、既存の制度の枠組みでは解決が難しいケースが少なくありません。そこで今、注目されているのが「公民連携」。自治体(公)と民間企業(民)が力を合わせることで、これまで取りこぼされてきた“支援の空白地帯”に光を届ける取り組みです。私たち株式会社キズキは、「何度でもやり直せる社会をつくる」というビジョンのもと、子どもたちの人生を変える挑戦をこの公民連携の現場で続けています。この公民連携のフィールドでは、さまざまな民間事業者が支援を担っています。従来型の支援団体に加え、近年では株式会...