メドレーの挑戦|インターネットで日本の医療を革新する
株式会社メドレー 代表取締役社長 瀧口 浩平 氏への独占インタビュー。患者やその家族が「治療の選択に必要な情報」を見つけ出せるプロセスがないという問題を身を持って体験から生まれるメドレー創業の想いを語っていただいています。|株式会社プロコミット
https://www.procommit.co.jp/support/interview/medley-takiguchi
こんにちは。株式会社メドレー CLINICS事業部 カスタマーサクセスグループの根来(ねごろ)和寛と申します。
今までの入社理由ブログでも、メンバーが様々な角度から入社してきた経緯をお伝えしてきましたが、私は過去にキーエンス・リクルートと大企業を2社経験しているので、その会社からなぜメドレーに入社したかをお伝えできればと思います。
お伝えできることとしては、「大企業」から「ベンチャー企業」へ、業界は「メーカー」「IT×不動産」「IT×医療」、職種は「営業職」「企画職」「CS部門」と、転々としている自身のキャリアから、大企業にいて他の業界や職種に転職したいもののどうなるか悩んでいる方や、大企業で仕事を通して何を成し遂げたいか良くわからなくなってモヤモヤしている方に、少しでも何か感じ取っていただければと思っています。
”将来、自ら事業・サービスを作り出せる事業家になりたい”という想いから、高収益企業であり、かつ営業が強いと評判があったキーエンスという会社に入りました。
入社後はバーコードリーダーを扱う部署で、ハンディーターミナルをメインで販売していました。同期をはじめとした同僚の仕事に対するストイックな姿勢、無駄のない営業活動に100%コミットできる環境、仕事の成果にあった十分すぎる報酬と、とても良い環境で働くことができました。
(最初の研修は、手書きでバーコードを書くところから始まりました。キーエンスは私用携帯を業務中に触ることはできないので、写真がないのが残念です)
キーエンス時代は、土日や中長期休暇も十分にあったため、何か社会貢献度が高いこともしたいと思い、週末プロボノ活動に参加することになりました。
※プロボノ活動とは、民間企業で働いてきた知見を活かし、非営利団体の課題を解決するというボランティア活動です。
私がその時に参加した活動が、成年後見をするNPOの事業企画に携わるという内容でした。(※成年後見制度とは、認知症,知的障害などの理由で判断能力の不十分な方々の不動産や預貯金などの財産を管理したり,契約を結んだりする制度です。)
自分より10歳以上年齢が上のコンサルタントや会計士の方々と4ヶ月間、ヒアリングから現在の組織の課題、市場環境のレポート、事業企画から事業計画を策定するのですが、そこで2点の気づきがありました。
事業企画をする上で、自身のバリューが出せる領域がとても狭いこと
知的障害者の親御様に話を聞く中で、現在の負担や将来の不安・悩みを目の当たりにし、仕事を通してどのような課題を解決したいのかを考えさせてくれたこと
特に2点目が大きく、いつのまにか、「取引先、自社の効率化を追求し続け、価値の最大化をはかる」よりも、「目の前の人の生活課題を解決したい」と思うようになり、そういう文化を持っている会社への転職を考え始めました。
ちょうどその時、リクルート住まいカンパニーという会社にて介護事業が立ち上がるチームと巡り会い、転職することを決意しました。
(最初の転職のきっかけを与えてくれたプロボノ活動のPJメンバー)
リクルート時代では事業開発室にて、介護事業とハウスクリーニング・家事代行の事業立ち上げに従事していました。
マニュアル化、組織化された営業組織から、事業企画、営業戦略や営業組織の立ち上げをすることで、自分自身の業務の幅は非常に広がりました。やる気さえあれば何でも任せてくれた上司には感謝しています。
また、事業を作れる人材になりたいという想いから、毎月新規事業プランを上げることを目標に、事業会社ごとの新規事業コンテスト、ホールディングスの新規事業コンテスト(New Ringと呼ばれています)にプランを応募し続けていました。
会社は、社会の課題・顧客の課題(リクルート用語で「不」という呼び方をします)は何かを常に考える必要がある文化があり、アイデアレベルのプランだと落選していきました。
20件くらい新規事業案を考えた頃、ついに自分で何がしたのかがわからなくなり、「心からやりたいこと」、「成し遂げたいこと」は何だろうと向き合う必要が出てきました。
そこで、自身の過去の「不」に立ちかえったときに、幼少期からの喘息、アトピー、髄膜炎等により過去10回以上入院していること、高校時代に父が脳内出血により病院生活が始まったことが、自分の人生に大きな影響を受けたことを感じ、少しずつ医療業界への情報収集をするようになりました。
特に自身にとってアトピーで悩まされた経験が大きかったため、アトピーに関する情報収集をする上で、病院・学会・研究所・患者会に足を運ぶようになり、いくつか気づきを得ることができました。
患者会に行くと、自分が感じていた幼少期の不安や悩みと全く同じ内容が共有されていて、全く同じ悩みを抱えていることに衝撃を受けました。
例えば私の家庭では、父親は「医師の言うことを信じ、全国各地の病院に連れて行ってくれる」という方針がある一方で、母親は「自然や東洋医学で治す方法はないかと多くの本や勉強会に参加する」という熱心な家庭に育ちました。ともに私を思っての愛のある行動でしたが、そんな両親の治療に対する考え方の違いは子供としては、アトピーよりも大きな悩みとしてのしかかってきました。
これは自身の悩みだけかと思っていたのですが、他の家庭でも同様の悩みがあることを知り、それを知ることで少し気持ちが楽になりました。思い返してみれば、中学時代”悩みに共感してくれる人がそばにいる”という安心感から、入院時になぜか晴れやかな気持ちになっていたことも。(そんな人は少数だと思いますが、、笑)
今では患者さんコミュニティに何かしらの方法で携われたらという想いを持っています。
もっと医療業界の課題を知る必要があると感じ、多くの医師の方・研究者の方にホームページからコンタクトをとりました。想いを伝えれば、全く部外者にも関わらず、多くの医師の方が時間をとってくれることに当時は驚きました。その中で、多くの医師がアトピーの治療について試行錯誤しており、学会では多くの研究発表がされていることを知ったのです。
その時、僕は患者の立場として「いつも短時間で何も診てくれていない」と感じてしまっていたことに恥ずかしい気持ちになりました。多くの医師の方が、アトピーという病気に向き合い、アトピーをどのように治すか、良い解決策を出すべく熱い議論がなされていたことに感動しました。
(趣味のひとり旅の写真@ジンバブエ。社会人になっても、旅を続けています)
ヒアリングを進める中で、いつしか自身の夜間掻破行動をfitbitでモニタリングしたり、食事が掻破行動に与える影響があるか等を栄養士に依頼しながらモニタリングするなど健康を意識するようになっていました。少しでも医療に関わる方の役に立ちたいという想い、もっともっと医療の課題に向き合いたいという想いが高まり、そのうち「医療にどっぷり入り込んでいるベンチャー企業に転職したい」と思うようになりました。
メドレーとの出会いは、Wantedlyの「話を聞きたい」ボタンを押したところから始まりました。
最初は情報収集のつもりだったのですが、代表の瀧口から起業の背景、会社のビジョン、それを実現するための戦略を聞いているうちに、気づけば「この会社で働いてみたい」という気持ちが湧き上がってきました。とくに患者としての原体験を持っているという点に、とても共感したことを覚えています。
また、今までの仕事に対しての直球のアドバイスももらい、面接内でとても学びが多く、私は自身の成し遂げたい「医療」×「IT」とともに「自身の成長」という軸でも実現できるのはこの会社以外ない!と思い、入社を決めました。
ちなみに、瀧口と話した後に、弊社 田中、藤田、田丸の3人が面接の部屋に入って来て、全員が筋肉むきむきで、入社がとても不安になったことを覚えています。(同じチームの石川や僕のようにガリガリなメンバーもいますので、ご安心ください)
▼ムキムキな田中、藤田、田丸
現在の仕事はカスタマーサクセスグループにて、システム活用のコンサルティングをしています。
営業が契約をとってきた医療機関様に対して、クライアント(主に医師)の想いを具体化し、ご活用までを伴走する業務を行なっています。
ホームページ分析や改善から院内オペレーションの構築提案、患者様への案内ツール作成まで、非常に幅広い仕事内容で日々チャレンジの連続ではありますが、実際に担当している医療機関様にてご利用いただく患者様が増えたとき、また患者様からのお声を聞いた時、心からやりがいを感じることができています。
(現在のチームの写真。私は合成での参加です 笑)
お話しさせていただいたとおり、自分自身、やりたいことが見つかるまで、紆余曲折してきたと改めて感じています。
実際に、このブログを読むと一直線に進んでいるかのように見えますが、これ以外にも悩みもがきながら「考えるよりまず行動」すると決めて、アクションの手を増やし続けていました。
現在やりたいことが決まっていない方でも、「自分のやりたいことは何か」を常に考え、それを模索し行動できる「未来志向」の方と働きたいと思っています。
業界経験は不問ですので、ぜひ一緒に新しい医療の世界を作っていきましょう!
第1回:ぼくがクックパッドを辞めてメドレーに入った7つの理由
第4回:私がドクターヘリを降りて、メドレーに入った7つの理由
第8回:Googleのエバンジェリストをやめてメドレーに入社した僕が6つに割れたバキバキの腹筋を手に入れるまでに実行した7つのステップ
第10回:年収36,000円のお笑い芸人が、メドレーに入社するまでの7つのステップ
第11回:医者にならずに7年過ごした僕がMEDLEYニュースを書く7つの理由
第12回:何がしたいのかわからなかった私がメドレーの仕事にやりがいを感じる7つの理由
第13回:厚生労働省の医系技官だった私がメドレーに入社した3つの理由
第14回:7年いたリブセンスをやめ、マエダがメドレーでデザインしたいこと
第15回:IPOを経験した私が、次のステージにメドレーを選んだ理由
第16回:アイスランドで生きる理由を考えて瞑想していた私がメドレーに入社した3つの理由
第17回:整体師を11年やっていた私が、34歳でメドレーに転職して「介護のほんね」に取り組む理由
第18回:マザーハウスでバッグを販売していた私が、メドレーで見つけたひとつの目標
第19回:SIerとWEB業界を経験したエンジニアがメドレーに入社した理由
第20回:青春を捧げたチアリーダーを引退した私がメドレーという舞台でクリニックを応援することに決めた理由
第21回:インターンを経て新卒で入社した私が、メドレーを選んだ3つの理由
第22回:なんでもできるようになりたかったエンジニアがメドレーへ入社した理由
第23回:新卒から9年働いた会社を飛び出した私がメドレーに入社した理由
第24回:結婚2年目で転職を考えた私が、メドレーに入社した理由
第25回:「命に関わる仕事がしたかった」私が、MRを経てオンライン診療の未来に賭ける理由
第26回:「何でも屋」街道をワイルドスピードしている私が、「介護のほんね」と共にメドレーに入社した理由
第27回:元タカラジェンヌの私が、第二のステージにメドレーを選んだ理由
第28回:「漠然と医療に携わりたかった」私が、勇気をふりしぼってメドレーに飛び込んだ理由
第29回:29歳で社会人経験がないまま上京した元バンドマンの私がメドレーで働く理由
・医師たちがつくるオンライン医療事典「MEDLEY」
・オンライン診療アプリ「CLINICS」
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