バニッシュ・スタンダード 小野里寧晃|負債数億円からの再起!世の中のつまらない常識を⾰めるスタッフテックサービスで描く理想の未来
どん底から成功したテック業界の革命児が実現したい「世界中をおもしろく⽣きる⼈でいっぱいにする」 さまざまな分野でDX推進が行われるなか、店舗スタッフのDX化という新たな切り口で接客領域を改革したスタッフテックサービス「STAFF
https://sogyotecho.jp/vstandard-onozato-interview/
主力事業である「STAFF START」を軸に着実な成長を歩んでいるバニッシュ・スタンダード(以下、VS)。事業の成長に合わせて、開発チームの強化にも力を入れています。
今回は「STAFF START」の開発を支えるDev ユニットのマネージャー:植村哲朗(以下、てつお)に開発組織の変化と今後の展望についてお話を聞いてみました。
植村 哲朗(うえむら てつお)
2017年12月入社以降、プログラマ及びディレクションを担当。システム導入・運用・保守業務の傍ら開発チームのスクラムマスターも兼務し、今春よりDevユニットのマネージャーに着任。
(聞き手:Corporate Design・大熊 彩乃)
ーー今日はよろしくお願いします!
早速ですが、てつおさんはVSの最古参メンバーの1人でもありますよね。てつおさんが入社した当時のVSは、一体どんな状況だったのでしょうか?
てつお:めちゃくちゃ少人数でしたね。代表の小野里がいて、STAFF START共同創業者で、現在はブランディングデザイナーを務める大貫(通称:BOB)がいて…。正社員は僕と、同時期に入社したバックエンドエンジニア1名、Webディレクター1名でした。あとは、業務委託としてバックエンドエンジニア1名、アプリエンジニア1名...くらいだったかな。
うち業務委託バックエンドエンジニアの方は僕の入社と入れ替わりで卒業してしまったので、だいたい社員数5〜6名くらいですかね。当時はBOBがエンジニアとして開発周りを担当していたので、自分も含めてバックエンド3名、アプリ1名くらいの体制で業務をまわしていました。
ーー本当に黎明期のVSを経験されているんですね。そこまで少人数となると、1人ひとりの業務量など負担も大きかったのではないでしょうか?
てつお:そうですね。当時のVSはSTAFF STARTだけではなく、ECサイトの制作を受託したりもしていたのですが、自分はそっちは全然やっていなくて。「STAFF STARTに専念してくれ!」っていうことでお仕事を任せてもらってました。エンジニア3名で頑張ってたんですが、ちょうど入社のタイミングで大きなお客様への導入案件が出てきて…。入社2週目にして初めての深夜対応をしたのはいい思い出です。笑
ーーめちゃくちゃハードな環境だったんですね…。
とはいえ、入社するにあたって事前に体制や人数、業務状況など色々話を聞いた上で入社を決められたと思うんですが、てつおさんがVSに入社してみようと思った決め手は何だったのでしょうか?
てつお:ずっと受託開発のエンジニアをやってたので、自社システムの開発をやってみたかったんですよね。スタートアップというのは事前に分かっていたし、カオスな状況があって当たり前だと思っていました。それまでの労働環境的にもハードワークには慣れてたし。笑
あとは、やっぱりプロダクトビジョンである「好きを、諦めなくていい世の中を。」に共感したんですよね。自分が作っていくプロダクトがそういった世界の実現に貢献できるんだったら挑戦してみたいと思いました。
ーーてつおさんが入社されてから、VSは数回オフィスのお引越しをしていますよね。てつおさんが入社した当時はどのような環境だったんでしょうか?
てつお:僕が入社した当時は、南青山の貸オフィスを使ってました。広さでいうと20坪くらい…現在の原宿オフィスの7分の1くらいの大きさですかね。小野里が1人になってしまったところから再出発を図った、VSの原点ともいえる場所です。
ーーそう考えると、ここ数年で本当に組織が大きく成長したことを実感しますね。入社当時のてつおさんが担当されていたお仕事のことをもう少し詳しく聞かせていただいてもいいでしょうか?
てつお:さきほどお話ししていた入社2週目にして初めての深夜対応が終わった頃ですかね。BOBに「導入担当をして欲しい」とお願いされたんです。このお願いが、脈々と今の自分の仕事に続いていると思うと感慨深いです…。笑
具体的には、当時営業をしていた小野里やWebディレクターと一緒にお客様先にお伺いして、テクニカルエンジニアっぽい動き方をしていました。お客様先でシステム導入に関するご説明などをして、オフィスに帰ったら機能開発や導入作業をやる…といった感じですね。
人も少なかったですし、1人で複数人分の役割をこなさなければならなかった時代でした。開発”組織”なんていうものではなくて、本当に一人ひとりががむしゃらに仕事をしていて…。うまく表現できませんが、それぞれのエンジニアが孤立した状態でしたね。
そんなこんなをしている数ヶ月の間に人の出入りがあり、気づけばVSは小野里、BOB、インフラエンジニア1名、僕の4名のおじさんの集まりになっていました。お客様に「御社の開発組織って何名くらいなんですか?」って聞かれて、人数を答えるたびに驚かれたのをよく覚えてます…。
ーーさらに小規模になっちゃったんですね!!笑
もうこの4名体制時代が一番カオスだったかもしれません。朝から夜まで仕事をして、そのまま終電で帰宅して朝には子供を保育園に送って出社…みたいなことを毎日やってました。息抜きにみんなで飲みに行くときがあったりするんですが、みんなお酒好きだしエンターテイナーだし、業務で疲れているのも相まってインタビューで出せないようなエピソードばっかりなので、詳細はちょっと自重させてください。笑
ーーめちゃくちゃ気になりますが、深掘りしないようにしますね。笑
そういえば、現在の原宿オフィスには会社には珍しく大きなキッチンがあるのが特徴的ですが、南青山のオフィスにもあったんですか?
てつお:ありましたね。小野里って料理好きっていうか、人に何か作って食べさせてあげるのが好きなんですよね。今みたいな大きなキッチンじゃなくて、給湯室くらいの小さなスペースだったんですが、そこに無理やりコンロを置いて、筋トレにハマっていたメンバーのためにドンキホーテで鶏胸肉を買って焼いて食べてた…っていうのが今の社内ランチの原点だと思います。
会社が大きくなると組織的にも成熟していくものだとは思いますが、文化的な面でも成熟したんだなと振り返ってみて思います。昔は、今の社内ランチみたいなちゃんとした料理なんてものじゃなくて「タンパク質摂取するぞー!鶏肉だー!」みたいな原始的な感じでしたから…。笑
ーー次のお引越し先は、西麻布の一軒家だったと聞いています。当時を振り返って、開発組織としての変化はどのようなものがありましたか?
てつお:何よりもまず、新メンバーがジョインしてくれたことですね。小林(通称:パパさん)や宇都宮(通称:ヒデさん)など、CTOや技術責任者を務めた経験もある技術力の高いメンバーが入ってきたことが一番大きな変化だったと思います。
南青山時代のカオスだった開発組織に秩序を作ってくれたというのもありますし、がむしゃらに新しいものを作っていくだけでなく、しっかりと技術と経験に裏付けされた設計をもとに「今ある機能をどう整えていくか」という視点で開発を進めることができるようになりました。一言でまとめると「超短期視点での開発→中長期視点での開発」という考え方ができるようになったんです。
こうした変化によって、開発のスピードやチームの雰囲気も格段に良くなりました。”孤立したエンジニア集団”から”開発チーム”に進化して、さらに新しい人財を採用し、安心して迎え入れられるような環境になったことが非常に嬉しかったです。
ーー非常に大きな変化でしたね。そんな中で、てつおさんの動きにも変化はあったんでしょうか?
てつお:正直、自分自身の仕事はあまり大きく変わりませんでした。むしろ、シンプルに導入企業が格段に増えたことが一番の変化でしたね。
その背景には、コロナ禍によってECサイトが重視されるようになったこと、小野里の営業力によって大手様を中心にSTAFF STARTが注目を集めるようになったことなど、複合的な理由があったと思っています。
導入企業の増加と比例して障害対応なども増えましたが、大変だったとかハードだったというよりは確かな手応えがありました。何より、”開発チーム”ができたことによって「もう1人じゃない」という安心感があったことも大きかったと思っています。
西麻布オフィスの終盤は、社員数も20名くらいになり手狭になったことから今の原宿オフィスにお引越しをすることになりました。(後半に続く)
Devユニットマネージャー:植村へのインタビュー、いかがでしたでしょうか。
過去のカオスなVSを中心にお話を伺いましたが、次回は現在の原宿オフィスのエピソードを中心に今後の開発組織の展望や課題についてお話ししていきます。
次回のインタビューもお楽しみに!