こんにちは!manabyに入社して4年目になりました、関和代です。
いまは横浜の事業所で就労支援をしています。
私は新卒から8年間、保育士として保育園で働いていました。
そこから、なぜ大人の支援を行うmanabyへの転職を決めたのか?
manabyに入社して3年半、いま何をすることができているのかをお届けしたいと思います。
インクルーシブ保育での経験
5歳になっても寝返りをすることができない、24時間大きな呼吸器と太いパイプで繋がっている必要がある、食事はお腹のボタン(胃ろう)から栄養剤を注入する、など小さな体で重い障害を抱える子どもたちがいます。
私は、そんな重度心身障害児と呼ばれる子どもたちと、いわゆる健常児と呼ばれる子どもたちの統合保育を行う保育園で働いていました。
社会福祉の歴史を紐解けば、障害児と健常児が同じクラスで一緒にすごす、そんなインクルーシブな保育園ができたことは大きな変化です。
こうやって、大人はインクルーシブとか共生社会とか、わざわざカッコイイ言葉を使うのですが(笑)
子どもたちにそんな意識はありません。同じ場所で同じ時間をすごす子どもたちの間には〇〇ちゃんは何かができない、なんて考え方が存在しないのです。
子どもたちが教えてくれた、ルールの向こう側
ある日のお散歩でのこと。子どもたちがシャボン玉を吹きはじめました。
しかし呼吸器をつけた子は喉に直接空気が送り込まれるので、ストローを吹くことはできません。
大人が考える間もなく、次の瞬間、シャボン玉を吹いている子どもたちが呼吸器をつけた子にむかってたくさんのシャボン玉を吹きかけました。
そうすると、その子は楽しそうにシャボン玉を手で振り払ったり顔に近づくシャボン玉を避けようと頭を動かしたり、一緒にあそびはじめたのです。
私が驚いたのは、あそび方だけではありませんでした。普段から子どもたちは「シャボン玉を人に向けて吹いてはいけない」というルールを理解していて、誰かに向けてシャボン玉を拭くことはないのです。
友だちと一緒にあそぶためにルールを軽々と跳び越えていく、その姿に驚きましたし、ルールとは何のためにあり優先されるべきは何か、彼らの中では自然と判断されていたのです。
自分らしさを認め合う子どもたちへ繋ぎたい未来
いま、保育や教育の現場では、そのままのあなたでいい、自分らしく生きていい、そう子どもたちに伝えています。
重度の障害がある子どもたちに限らず、発達障害や知的障害を抱える子ども、もちろん何も障害を抱えることのない子どもたちにも。
それが、学校教育を終え社会に出ると厳しい現実が待っています。
障害者雇用で働くにも週20時間以上の勤務が必須(*1)という決まりがあったり、通勤のための移動支援は受けられない、仕事中は訪問介護を受けられないという決まりがあったり、重度の障害を抱える方はルールに縛られて、働きたい気持ちを諦めなければならない現実があります。
自分らしすぎると困る、そう社会に言われているように思えます。
そんな現実を受け、いまは「一人ひとりが自分らしく働ける社会をつくる」ことをミッションとするmanabyで、新しい障害者雇用の創出にも携わっています。
入社2年目、利用者を通して関わった企業にお願いをして、初めての在宅実習を行い、応募から役員面接まで完全オンラインの就職を果たせたときは、これまでのルールを跳び越えた!と感じました。
現在4年目、これまで手探りで叶えてきた自分らしい働き方を前例にして、さらに多くの働き方を創出できていると実感しています。
保育士として”自分らしく生きて”と伝えてきた子どもたちが大人になったとき
「先生、自分らしく生きていると働けないよ」
そんな風に言われないように。
先まわりして、すべての人が自分らしく働ける社会を創っています。
*1 企業が障害者雇用を法定雇用率に含める場合