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教育業界で感じた2つのジレンマ。解消するヒントはここにあると直感した

偏差値教育から、多様な選択ができる教育へ

もともと僕は塾の講師をしていて、まさに偏差値教育の中心にいました。

しかしそこで頑張ってきた子どもたちが10年、20年後、偏差値に比例して幸せになっているかというと、必ずしもそうではないことを痛感していたんです。

これまでは子どもたちをある意味「偏差値」という角度から見てきましたが、実はいろんな角度から照らすと一人ひとりにキラキラ輝く場所がある

だから偏差値教育だけでは限界があるし、それだけを指針にする必要はない。
もっと多種多様な選択ができる教育を考えていくべきだと思い、インターネットを活用した新たな選択肢をつくるプロジェクト、N高に参画しました。

N高は個性を伸ばし、自分のやりたいことを深く追求できる素晴らしい環境でした。僕も副校長を4年経験。その中でどんどん進化していくさまを目の当たりにしました。

教育業界で感じた二つのジレンマ

その中でジレンマを感じることが二つありました。

一つは生徒の特性と周りの環境が合わずに、つらい思いや生きづらさを感じて、這う這うの体でN高に辿りつく子どもを見たとき
N高の前は中学受験塾で働いていたので、受験して進学した子どもたちが環境の中でうまくいかず、N高の門を叩くこともけっこうありました。

その子たちが、N高で元気になっていく姿を見ると「もっと早くこの子たちが自分に合う場所に出会えていればよかったのに」という思いがありました。

多様な教育自体は、今すごく世の中に発展していっています。一方で情報過多になっていて、その情報が的確に届けられる状態になってない。

いわゆる情報感度の高い人しか欲しい情報を得られないところが、社会課題の一つとしてもあると思っています。

また国や自治体の就学支援金などのしくみがあるのに、情報を知らないと多様な教育を受けること自体、教育費で諦めてしまわれる方も多い。

人生の三大出費の中でも、「教育費」は、「老後」と「住まい」に並ぶものです。

老後と住まいについては、中立の相談を請け負う窓口が世の中にあるんですよね。老後の備えで言えば保険の乗合代理店だったり、住まいだったら不動産仲介の窓口だったり。

でも教育で困ったときに相談できる中立窓口は、今世の中にないんですよ。

あるとしたら、塾などのその事業を営んでいる事業者。でも事業者の場合「このサービス受けません」ってなったらそこで関わりは終了。いわゆる塾の比較サイトみたいなものはあったりするんですけど、人を介してコーディネートしていくみたいなものはありません。

でも本当は教育こそが、その子どもに合わせた教育を適切な情報を得て選んでいくことが必要だと感じていたのです。

もう一つのジレンマは、個性を伸ばす教育は今流行ってはいますが、社会の側に本当に個性を伸ばす教育を受けた子たちが活かされる環境ってどれだけあるのだろうか、と感じたことです。

果たして本当に、会社や社会の側はそれを求めているのだろうか、と。

このような二つのジレンマを抱えていたときに出会ったのが、LITALICOでした。

辞める理由は何もなかった。でも自分が果たすべき役割だと直感した


LITALICOのやっている事業を聞いてみると、一つ目のジレンマ「個と環境をマッチングする」というサービスはまさにLITALICOライフでやっていると。

年間約30,000世帯ものご家族が、子どもの今後の進学・就職の選択肢などに課題感を持って相談に来てると言うんです。

例えばあるご家庭のご相談の入り口は、「学校選びについて」。それをお住まいの地域に特化して、私立、公立学校垣根なく、最適なマッチングに向けて、情報提供する。

まさに、自分がやりたい、社会に必要だと思っていたことをLITALICOライフがやっており、かつビジネスとしてやっていたので驚きました。

そして、個性にあった教育の実現に必要なファイナンスや保障についてのご相談も承っていて、同時にびっくりしました。

よく考えれば、学資保険など教育に関する保険はあるけれどそれは教育のプロが携わっていない。

その子の個性やどう育ってほしいかという親の思い、そして家庭のさまざまな状況を組み合わせてライフプランニングを行うことは自らの経験を踏まえてもたしかに社会的意義があるものだ、と。

※事業についての紹介は長くなりそうなので、社会インフラとして最初のタッチポイントになっていく。LITALICOライフの事業価値とは をご覧ください!


また僕が感じていたもう一つのジレンマ「果たして本当に、会社や社会の側は個性を伸ばす教育を求めているのだろうか」という漠然と抱いていた疑問。
LITALICOの「障害のない社会をつくる」という社会の側にアプローチする会社の文化を学ぶことで、この問いへのヒントがきっとあるだろうなと感じました。

その二つがつながり、ビビッときたという感じです。

N高ではすごく素敵な経験をさせてもらったので、辞める理由は本当に何もありませんでした。

でも僕の人生において、次に自分が社会的に果たすべき役割は何だろうと考えたとき。
多様な教育をつくる側から、多様な教育とマッチングしてつないでいくという役割を担うべきなんじゃないか、と。
これが自分に次、課されたミッションなんだと運命的に感じたんです。

僕、意外と運命論者でして(笑)。

僕の中で転職というよりは、何か日本全体の教育ということに携わっていて、神様が人事異動したんだと思ってるんです。

一元的に「どの教育が正解か」ということはない

N高で副校長として多くのメディアに出ていたときに「偏差値教育の限界」みたいなテーマのインタビューに答えたりすることもありました。

そんな折に中学受験を共にした、かつての教え子たちが24~25歳になって同窓会したいからって呼んでくれたことがあったんですよ。N高で仕事してるっていうのも知ってて、インタビュー記事も目にしていたみたいでした。

その子たちが何を話してくれたかというと、「中学受験のときの経験は、すごく役立ってて僕たちは幸せにやってる。だから先生が偏差値教育について否定すればするほど、僕たちが否定された気持ちになるからやめてほしい」って言われたんです。

それを言ってもらって、確かになって思って。

偏差値教育という響きだとなにか歪んだ感じがするけれど、受験に向けた学習でも思考力・判断力・表現力が養われて花開き、幸せになる子どももいるし、ほかの角度からの方が輝ける子どももいる。

だからこそ、子どもたちを測る尺度は多様である方がいい

やっぱり教育において「これ一つが正解」ということはないんだなと、今でも思っています。

これまでの出会いを心の糧にして、次の僕のミッションを精一杯楽しんでいきたいと思います。


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