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ジャッキーチェンに憧れた少林寺拳法歴10年の慶應ボーイのこれまでとディップでのこれから

こんにちは。三好將貴です。
突然ですが皆さんはどのような過去を辿ってどのような体験をしてきましたか?

「自分なんて普通だよ」そう思う人は結構いると思うんですけど、それでもちょっと時間をとって自分の過去を振り返ってみたら今の自分のパーソナリティに影響を与えている「人とは違う何か」が見つかったりするかもしれません。

そこで今回私も、自分の自己紹介としてどんな過去を辿ってそこからどんな影響を受けたのか考えてみたいと思います。

例えば、、、和式トイレしかなかった大学受験、バーを運営しているのにバーテンダーのバイトに5回落ちた話、童貞が鬱になった話などを話していきたいと思います。

「ジャッキーチェンになりたい」超素直だった小学生時代

僕は少林寺拳法と弓道2つの武道を経験しました。

そのうち少林寺は小学3年生から10年間長く続けた、自分にとってとても大事な経験です。

もともと少林寺を始めた理由は僕の弟が放った言葉、「ジャッキーチェンになりたい」この一言からでした。
いや、バカなのかと。そんな理由かい、と。いやでもこれは本当で、僕もそれにつられて少林寺を始めることになりました。

ここでちょっと小学3年生の頃を思い出してみてください、めっちゃ素直じゃなかったですか?

廊下走ったり、夜寝ないだけで悪いことしちゃった気分になりませんでしたか?
「廊下は走っちゃいけません!!!!」と言われてビクッとしませんでしたか?

おじいちゃん子だった僕の小学3年生時代はそりゃあもう素直な少年だったわけですよ。
「sunao of century」なわけですよ。

知識やノウハウより何より素直にめっちゃ頑張るって大事なんだ

そんな当時の三好は道場の先生に言われたことに素直に取り組みました。何の知識もないから目の前にあることをただひたすらに取り組んで。最初は入賞できなかったものの、努力して地区の大会で3位を初めて取ることができた時にはとても喜んだのを覚えています。

そこからどんどん成長し、中学に上がる頃には全国大会に出場。さらに高校では全国大会で入賞することができるまでになりました。まるでRPGのように成長していくことができたんです。

そこで初めて気づきました。知識やノウハウより何より素直にめっちゃ頑張るって大事なんだなって。

挫折を経験し初めて自分の頭を使って考えた弓道の経験

そんな僕は少林寺と並行して中学生で弓道を始めます。理由は「なんかかっこいいな」、これだけだったと思います。

そこで少林寺と同様に素直に頑張りました。極寒の中、指に血を垂らしながら頑張りました。そうしたら、また全国に出場することができたんですね。私はもみじ饅頭とお好み焼きの街「広島」に住んでいたので明治神宮で弓を引けたことはとても印象深い体験でした。前日はホテルで夜中までメンバーとモンハンやってましたけど(笑)

中高一貫校だったため、高校でもそのまま弓道を続けました。

しかし、そこで壁が自分の目の前に立ちふさがりました。高校2年生で主将(部長)になった僕は今までのように言われたことを素直にやっているだけでは結果を残せないことに気づいてしまいました。
なぜなら僕の高校の弓道部は、部長に裁量権が全て一任されていた上に県内100組中90位という弱小校だったからです。もう自分に指導をしてくれる人はいないし、道しるべが完全になくなった状態だったんですね。

そこで、初めて本を読むようになりました。初めて読んだのは『スティーブ・ジョブス 驚異のプレゼン』でした。

人を動かすためにプレゼンのスキルの必要性を感じて読んだものだったのですが、正直何の知識もなかった自分にとっては衝撃的でした。そこからビジネス書を読んだり外部の先生に指導を頼んだり、初めて自分の持つ知識の手札を増やそうと試みるようになりました。そのようにして、取り入れた知識をみんなに共有して試すようになって、全国大会には行けなかったものの最終的に2位にまで上り詰めることができました。

そこでまた新たに僕は気づきました。自分の身の回りの常識にとらわれるのではなく、積極的に外部や本の知識をインプットしてさらにアウトプットする必要があるのだと。

ほとんどの思い出が腹痛な大学受験

そのように、武道に専念していたので中学高校時代は全く勉強せずしっかり浪人しました(笑)

予備校時代は、とても勉強しました。椅子に尻がくっつくかと思いました。いや、多分ちょっとくっついていたと思います、多分。

頭を使いながら試行錯誤するのは大変でしたが不思議と充実はしていました。腹痛の毎日を除いては、、、。僕の予備校はなぜか和式便所1つだけしかなく、しかも決まった時間以外は外出が禁止でした。僕はもともとお腹がとても弱かったので、この環境は本当に地獄でした。それ以来僕の1番嫌いなものはトイレの鍵についてる赤いあのマークになりました。ほんと血よりも怖いですMAJIDE。

そんな予備校時代に出会ったものは小論文とロジカルシンキングでした。

慶應を目指していた僕は小論文を学ぶ必要がありました。僕は小論文を書く力を本質的に上げる本にたまたま出会うことができました(僕は多分運がいいんだと思います)。

その本に従って僕は専門書をたくさん読み、ロジカルシンキングについて知ることとなりました。問題発見解決能力を飛躍的に伸ばすことができた経験でしたね。インプットとアウトプットの大切さを確信しました。

新たな挑戦をした大学生活

無事慶應に合格し大学に入学した僕は、いままで培った能力を活かしていくつかのプロジェクトに携わりました。例えばキャンパスに仮想通貨を利用したアミューズメントカジノを設置、1000人規模の大学公式新入生歓迎イベントの運営などなど、、、

だがしかしBUT。もともと友達はいましたが男子校出身だったこともあり自分より話すのが面白かったり自信に溢れた人たちを見て「とても羨ましいな」と思うようになりました。

さらにその当時僕は彼女ができたことがなく、童貞でした。そう、文字通り童貞でした。そういうのがやっぱりコンプレックスでした(笑)だってなんか童貞ってダサいじゃん!!!今思えばどうでもいいことなんですけどね。

そこで私はそんな不純な理由からコミュニケーションに興味を持つようになりました。
そこで今まで通り本を読み環境を変えました。

でも、結果は出なかったんですね。なんでだ、どうして、どうしてだよおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!とまるでカイジのようになってしまいました。そこでよく振り返ってみると自分がほとんど行動していないことがわかったんですね。

部活は練習が週3回しっかりあるし、学校や予備校は毎日あるし行動しないのが逆に難しい状況でその中で工夫をする中高時代と違い、大学では自分から勇気を持って行動しなければなりません。インプットに逃げて嫌いなアウトプットをおろそかにしていました。

結果が出ないことよりも、目の前に解決策がありながら行動できない自分にいらだち、自信がどんどんなくなり、プロジェクトも質の低いものになってしまった結果、躁鬱に近い状態になってしまいました。

今まで、頑張れない人や行動できない人が理解できなかったのですが、その時初めて様々な理由で辛い思いをしている人や結果が出ない人の気持ちがわかるようになった気がします。

その時、僕はまた新たな発見をしました。どんな有益なテクニックもノウハウも本人のメンタリティが健康な状態でなければ効果を発揮しないのだと。

自分は今までたまたまメンタルの状態が良かっただけなんだ、と。

そして現在

でも、どうしても諦めが悪い僕は「こんなところで終われない、何かできることがあるはずだ」と勉強をやめずセルフイメージを上げる方法を試したりと小さく歩みを進めました。その甲斐あって現在は精神状態も回復し、同時にコミュニケーションの勉強も続けています。

現在は大学近くで学生向けのBarを運営しています。もともとリーダーをしていたのですがコミュニケーションの勉強の効果もあって現在はHR(ヒューマンリソース)として運営に携わっています。まあ、Barの運営してるのにバーテンダーバイトの面接5個落ちたんですけどねっっ。

そのプロジェクトと並行して大学に入った当初からやってみたかったデザインの勉強もしています。

今は自分の好きな文章を書くというライターの仕事や、イベントを行った経験を活かしてイベントを企画運営することをメインにディップで働きたいと考えていますが、いずれはデザイン面でもディップに関わっていきたいと考えています。

やはり、ディップのインターンはその自由さにあると思います。自分でできることから事業を考え新たに作り出していく。ここに本当の仕事の楽しさがあるのではないでしょうか。まだまだ成長段階の僕をよろしくお願いします!!!

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