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【創業ストーリー】過去の効率主義・数字に囚われていた経営からビジョナリーな組織運営に転換するまでの過程について

こんにちは!株式会社Mira Arcの採用担当です。
本日は、代表の山下さんにインタビューをしてまいりました。

  • 学生時代から現在までの考え方
  • CINEMAGEとの出会い
  • 今後の展望

についてお話しして参りますので、「ビジョナリーな組織で事業を創る一員になりたい方」や「自分の個性を大切にしたい方」はぜひ最後までご覧ください。

代表取締役社長 山下さん プロフィール

早稲田大学を卒業後、株式会社ベイカレント・コンサルティングに入社。人事部にてキャリア採用業務を経験した後、セールスを担当。新規顧客開拓を中心に幅広い業種のクライアントに新規プロジェクトの提案活動を行う。その後、株式会社オミカレに参画し、日本最大級の婚活ポータルサイトを運営。2019年に株式会社MiraArcを設立した。


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〜様々な価値観に触れ、衝撃を受けた学生時代。〜

ー学生時代の山下さんはどのような学生でしたか?

中学校時代は「嫌なやつ」だったと思います(笑)野球部に所属していたのですが、顧問の先生と部活の運営方針で衝突したのが印象的です。というのも、一学年40人ほどの大規模な部活だったのですが、試合に出るメンバーだけが本格的な練習をし、残りのメンバーは球拾いのような役割でつまらなそうにしている人がたくさんいる状況に疑問を感じたんです。この勝利至上主義のような考え方に納得できず、約半数の部員を引き連れて部活を辞めてしまいました。

でも、受験勉強には熱心で、1年生の頃から塾には欠かさず通っていました。塾の講師の方々は社会人経験が豊富で、とても話が面白かったんです。結果として、駿台の全国模試でトップクラスの成績を収めるくらい勉強は頑張っていましたね。

そして高校は早稲田実業に入学しました。部活動は、多くの人が硬式野球部に注目する中、軟式野球部に入部を決めました。当時、斎藤佑樹選手が活躍していた早稲田実業の硬式野球部は、大所帯で日本一の花形組織。しかし、せっかくやるのであれば、大きな組織の一員として活動するよりも、小さな組織を率いた方が楽しいのではないかと考えたんですよね。

文化祭などのイベントごとも中心になってやるタイプでした。

文化祭の準備をする際は「文化祭を成功させよう」という目的からスタートしますが、私は準備する過程が好きで。トラブルや、想定外のことも起こりますが、その瞬間、瞬間を一生懸命やっていると面白いところに辿り着くのではないかといった考えを持っていたんですね。この考えは今にも通じる価値観かも知れないです。


ー大学時代は特に山下さんの価値観が変わるきっかけがあったとお伺いしたのですが、どの様な出来事があったのですか?

大学3年の時、就職活動を遅らせてアメリカへの留学を決断したことですね。

この経験は人生の大きな転機になりましたね。

当時、副代表をしていたサークルの新歓に多くの交換留学生が参加していたのですが、今まで英語を勉強してきたのに、いざ話そうとすると全然話せなかったんです。

元々コミュニケーションに自信があった私にとって、国籍が違うだけで全然通用しないことが衝撃でした。

また、これまで学年ごとにみんなで横並びで進んできた中で、留学は大衆から外れる初めての経験でした。私立の良い高校と大学に進学し、良い会社に就職することが何となくテンプレートとして刻まれていましたが、留学を通じてとても狭い世界で生きていたことに気づいたのは人生の大きな転機ですね。


〜人生の大きな転機となったバックパッカー経験〜

ーアメリカ留学後についても教えてください!

アメリカ留学後は、大学卒業から就職までの半年間を利用してバックパッカーをしていました。この経験も、明らかに人生で大きな転機の一つであり、この経験がなければ起業することはなかったかもしれないです。

やはり、「良い高校と大学を卒業して、良い会社に就職する」という発想があったので、新卒で入社する会社を決めてからバックパッカーに出ているのですが、その期間は自由に行動したいと考え、バンコク行きの片道チケットだけを購入し、ノープランで行きました。

これがとても面白くて、時間も沢山あり、行きたい時に行きたい場所へ行けますし、何より出会う人が刺激的だったんです。

たとえば、1年のうち2ヶ月だけ日本でリゾートバイトをして、残りの10ヶ月で世界を旅する日本人など、自分が考えたことのない価値観を持つ方々ばかりで、その人たちはみんな楽しそうに生きていたんです。計画的に今日を生きている人より、今日という日を満喫しているのだろうなと感じましたね。

この出会いは、自分の価値観を大きく変え、現在の「CINEMAGE」にも大きな影響を与えています。バックパッカーの経験を通じて学んだ、「毎日を目的のためだけに生きるのではなく、その瞬間瞬間を楽しむこと」を取り戻すために「CINEMAGE」をやっているところが正直あるのかもしれないです。


〜MiraArc立ち上げに繋がった会社員時代〜

ーキャリアのスタートについて教えてください

私は新卒時は個人の能力を最大限に引き出すことに専念したいと思い、コンサルティング会社からキャリアをスタートしました。

というのも、まずは選択肢を広げておきたかったんです。自分に選択権があり、企業に「雇いたい」と思ってもらうためには自分が力をつけるしかないと考えていましたね。

また、その当時からいつかは会社を辞めて独立するという考えも何となくありました。自分一人でやっていける力を身につけることも選択肢の一つとして捉えていましたね。


ーその後、ベンチャー企業へ転職されたとお伺いしたのですが、どのようなきっかけがあられたんですか?

1社目のコンサルティング会社で働いている中で、大きな組織の一員として無個性で働くことに強い違和感を感じたんです。新卒として入社したので、与えられた仕事をこなすのは当たり前のことだと思うのですが、歯車のように動くことにも何か引っかかってしまって。毎日スーツを着て同じ時間に出社するうちに、どんどん自分が無個性になっていくような気がして転職を決意しました。

そのため転職先は、自分の個性を最大限に発揮できる環境を求め、社員が社長と私を含めて3名といったベンチャー企業を選びました。

ーベンチャー企業のご経験についても教えてください

ベンチャー企業に入社する際「一緒にIPOを目指そう」と誘っていただいたにも関わらず、入社して数ヶ月で社長が株式の全部を売却してしまったんです。

この出来事から、「他人に自分の人生の手綱を握られるのは金輪際やめよう」と固く誓い、独立を決意しました。それから新しい社長が来るまでの3ヶ月で絶対に起業すると決め、副業で事業を始めます。

最初は家にあるものやジモティで不要になったものを集めて販売していました。それから徐々に、仕入れサイトや小規模商社から商品を取り寄せて販売してみたりと少しづつ広げて行きましたね。加えて、マーケティングやオウンドメディアの運用などの受託業務も行いました。当初の目標である月間売上500万円を達成した後、法人登記し、1社目の会社を設立したという流れです。

その後、「商流を広げたい」「自分のプロダクトを持ちたい」という考えからメーカーとして2社目に立ち上げたのがMiraArcです。


〜MiraArcの立ち上げから、現在までの遍歴〜

ー一人で立ち上げられたとのことですが、組織化は考えられてなかったのですか?

独立当初は、マイナスの感情からスタートしてますし、大きなビジョンを持っていたわけでもなかったため、社員を増やそうとは考えていなかったですね。他人の人生に責任を持つことにも自信がなく、自分自身がサラリーマンとして良い経験をしていなかったため、自分の下で働く人を持つことにも気が進まなかったんです。

当時、年商は1.5億円ほどあり、金銭的には困っていませんでしたが、何か満たされず、充実感もありませんでした。というのも、『今あるものを失ってしまうことへの恐怖』『1億を達成したら2億、10億と、終わりないレース』『ひとりで出来ることの限界』など、もし自分に何かあれば全てが停止するという恐怖感で走っている節があったんです。

仕事を朝から晩まで詰め込んでいるけど、それは不安から来るもので、ひとりで働くことが時には虚しさを感じさせることもありましたね。独立して自由を求めたものの、資本主義の奴隷になってしまい、生活はどんどん貧しくなっていく感覚がありましたね。

また、東京では、周りに会社がたくさんあり、常に「スピードアップ」や「IPO」「資金調達」といった圧力があります。それはどんどん背中を押されるような環境ですが、他人の価値観であって、「本当に自分が求めているものなのか」疑問に感じ始めました。

その結果、組織化より先に自分を保つことが先決だと思い、福岡に移住する決断をしましたね。


ー福岡移住後のご経験についても教えてください

福岡に移住したタイミングと同じ頃に現在のMiraArcの事業にもなっている「CINEMAGE」と出会いました。

私が一番最初のユーザーとして使った日のことは今でも鮮明に覚えています。独身の殺伐とした無機質な部屋にプロジェクターの画面が立ち上がった時に感情が込み上げてきたんです。

「映画を観るのはいつぶりだろう」「こういう時間の使い方久しぶりだな」と感じ、新卒からひたすらに走り続けてきた時間を振り返り「何をしていたのだろう」と思わず涙が出てきましたね。

その日に見たのは「天使のくれた時間」という映画なのですが、ウォール街で働く優秀な金融マンの主人公が彼女と別れて仕事に邁進する道を選んだことが描かれています。独身で、裕福ですが、何か寂しさを感じながら生活している状況が当時の私の状況と似ていたのがすごく印象的でした。

その主人公がある日、目覚めると、その彼女と結婚している世界線にいて、収入は低いけど、子供と一緒に幸せなアメリカンファミリー生活を送っているんです。この時間がタイトルの「天使のくれた時間」という話です。

映画の最後では、時間が戻り、彼は彼女が空港に向かうのを止めたら結婚、止めなかったらウォール街での元の生活という選択を迫られます。結局、彼は彼女を止める選択をし、「大きい家も、ブランド物のバッグも、ステータスもいらない。ただ一緒にコーヒーを飲めればそれでいい」と言うんです。

この映画がきっかけで、自分の生き方をすごく考え、当時付き合っていた妻との結婚を決意しました。それから、組織で仕事をしていくことにも本格的に舵を切り始めましたね。

この辺りから、バックパッカーの時に感じていた人間らしさや文化的な営みを取り戻すことに焦点をあて、人間中心主義のような考え方が少しずつ強くなってきたと思います。


ー最後に現在のMiraArcについて教えてください

私一人で出発したこともありMiraArcを設立から2023年まで効率、数字主義な組織文化があった中、現在はビジョン先行型の組織になりつつあります。

2022年の組織化に踏み込んでいく段階でも当然ビジョンとミッションは掲げていたものの、その踏み込みが浅かったと感じています。というのも、その時は、借りてきた言葉でビジョン・ミッションを作ってしまい、2022年から2023年にかけて、それが機能していないと感じました。数字を作ることが一次的な目標になり、組織全体としてビジョンやミッションドリブンで動くことできていませんでしたね。

現在は、まだまだ未熟者ではありますが、当時より理解を深め、会社のBeingと個人のBeingが重なる部分があり、よりビジョナリーな組織に近づいていると感じます。


ー山下さん、ありがとうございました!




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