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「学校」だけが全てじゃない。不登校経験を経た起業家の、等身大のメッセージ 〜前編〜

本日は昨年10月に開催したSOZOW FORUMのイベントレポートをご紹介します!

目次

1.SOZOW FORUM(フォーラム)とは?

2.今回のゲスト、「家入一真さん」について

3.「こうやったらみんな上手くいくよ」ということは言いたくない

4.学校から逃げて、見えたもの

1.SOZOW FORUM(フォーラム)とは?


「一方的に正解を伝えるのではなく、共に考え、自分なりの考えや正解を見つけていくこと」
「様々な角度から知識や情報を得ていただき、今後の暮らしや子育てへのきっかけを得てほしい」

そんな願いを抱きながら、多くの保護者の皆さまに届けていく、
SOZOWならではの新しい形の保護者向けセミナー。
それがSOZOW FORUMです。

2.今回のゲスト、「家入一真さん」について

23年10月に開催したFORUMテーマの一つは「不登校」

過去に不登校の経験がありながら、現在社会で活躍しているゲストをお呼びして、子どもの不登校や行き渋りに悩む保護者の方々に、子育てのヒントを届けたいという想いがありました。
そんな時、株式会社CAMPFIRE 代表取締役の家入一真さんとのご縁をいただき、今回の登壇が実現しました。

ナビゲーターはSOZOW代表の小助川 将が務め、1時間のYouTubeライブ配信を行いました。

家入さんは、中学生時代に不登校を経験。
JASDAQ市場最年少上場後、シリアルアントレプレナーとして活躍している、日本を代表する起業家です。
そんな家入さんの半生や社会で生きていくためのヒントが詰まったオンラインセッションの全貌をこのnoteで公開します。

当日のFORUMの様子

3.「こうやったらみんな上手くいくよ」ということは言いたくない

セッションが始まるやいなや、家入さんは、
「僕の話はあくまで一つの事例。『こうやったらみんな上手くいくよ』という話では無いことを踏まえた上で、これからの話を聞いていただけると嬉しいです。」
というメッセージを参加者の皆さんに伝えます。
まさに正解がないお話なので、とても大事な一言です。

続いて参加者の皆さんに「今日ゲストに聞いてみたいことは何ですか?」という問いかけ。一瞬で凄まじい数のコメントが届きました。

参加者の質問に対して、真摯に答える家入さん

辛かった時に、どう乗り越えてきたか、そのエッセンスをお伺いしたいです

YouTubeコメント欄より

という質問に対して、当時のリアルな心境を話し始める家入さん。

家入さん:学校に行けなくなった頃は、外に出たら誰かに会っちゃうんじゃないかと思い、外出できなかったですね。親に対して申し訳ないなという気持ちもありました。本当にどんどん孤立する感覚、学校からこぼれ落ちてしまう感覚。世界の中で僕だけ1人が取り残されているような感覚がありました。
そんな中、当時パソコン通信を通じて、知らない人とチャットをしていたんですね。年齢・肩書き・住んでいる地域も関係なく、フラットに接してくれる人たちがネットの向こうにいることに、救われた部分があったんですよね。

4.学校から逃げて、見えたもの

家入さん:中学2年生の時に、はじめて不登校になりました。いつもつるんでいる友人と仲が悪くなり、周りの友人がそっち側についてしまったんです。その日を境にして、日常がガラッと変わってしまう感覚でした。学校は、図書室に行って本を読むだけの場所に。
学校に行っても、誰も話しかけてくれない…そんな日々が続きました。
最終的には、「行って来ます」と家を出た後に、学校には行かず、家の裏の倉庫みたいなところに隠れていたことも。親にはすぐばれるんですけどね。
ただ、どうしても学校に行けなくなってしまったから、隠れていたんです。

小助川:それは本当に辛い経験でしたね…当時親御さんからはどんな声かけをされていたのでしょうか?

家入さん:僕が突然学校に行かなくなった理由がきっとわからなかったんでしょうね。最初は学校に無理やり連れて行かれましたが、結局僕は逃げ出してしまっていました。そんなことを続ける中で、親も諦めていったんだと思います。
小助川:なるほど。当時、インターネット以外で、心の救いになったものはあったのですか?

家入さん:家に引きこもっている間は、本を読んでいたり、右手だけを謎にデッサンしたり(笑) 他にも、親父が持ってた古いパソコンを触ってプログラミングをしたりしていました。フリーの作曲ソフトを使って、音楽を作ったりもしていましたね。自分の世界に没頭できている時間は、全てを忘れられていました。やっぱり家にいても親に対しての申し訳なさもすごいんですよね。なので、何かに没頭できているときが、楽しかったというか…救いでしたね。
ただ、ふとした瞬間に、「親が期待した人生を歩んであげられなくて申し訳ないな…」というような罪悪感が浮かんできたりもしました。

当時の辛かった過去を、順を追って語り始める家入さん

小助川:当時は、自分の心を守るために没頭する時間が大事だったのですね。

家入さん:それは現実逃避でしかなかったんですけどね。
ただ、親は僕が外に出るキッカケや、「こういう人の個展があるみたいだよ」「引きこもりでも大成した方がいるらしいよ」といった言葉を伝えてくれていました。当時の僕はただそれを拒否していたんですが。

そんなあるとき、「山田かまち*」というアーティストのことを知りました。同い年の17歳で死んでしまった人がいるということに強い興味を持ったんです。

*山田かまち:1960年生まれ。17歳という若さでこの世を去ったアーティスト。死因は自宅でエレキギターを練習していた際の感電死。若いながらも様々な人々を魅了し多くの人の胸に刺さる作品を数多く輩出した。死後、遺作となった詩や絵画を収めた『悩みはイバラのようにふりそそぐ: 山田かまち詩画集』で広く知られるようになった。

wikipediaより引用

福岡であった彼の展示会に行き、実際その作品に触れた時、「もっと生きたい」という魂の叫びを感じました。
それを見た僕が感じたのは「自分は何をやっているんだ」ということ。走り抜けるように生きた彼と、家で好きなことをやっているだけの自分。このままじゃダメだと思い大学卒業検定を取ろうと思いました。

うちは貧しい家庭だったので、予備校に通わせるお金はないと言われたのですが、ある時、住み込みで働けば学費を出してくれる新聞社を見つけたんです。
それまでずっと引きこもりの生活だったので、住み込みの寮生活で新聞配達なんてできるのかな…?という不安もあったのですが、そろそろ家を出ないとという気持ちもあったので、がんばろうと決意しました。

新聞配達を始めたある日の朝。おじさんに新聞を渡したときに、「ありがとう」と言ってもらえたんですよね。それが凄く嬉しかった。
社会と一旦繋がりが切れている状態のところから、社会との結び目を繋ぎ直していく機会になったんです。

小助川:なるほど。当時の家入さんにとっては、社会と繋がる小さな一歩をつくっていくことが、大切だったんですね。


前編の対談内容はいかがだったでしょうか?
後編の対談内容は、以下のテーマで進んでいきます。

お楽しみに!

5.あの選択は大事だった、と振り返って思うことはありますか?

6.学校の外で学んだことが、今の僕をつくった

7.今の僕から子どもの僕に伝えたいこと

8.さいごに

9.参加したみなさまの声


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