「おい、いまから行くぞ」
遠方の不動産物件調査のため早朝に自宅を出発し、大阪にある事務所に戻ってきたのは夕方5時を少しまわった頃だった。ひと息ついたのも束の間、当時勤めていた不動産会社の上司のひと声で大阪の事務所を出て、そこからはじまる取引先接待、その流れからナイトクラブへ。夜通し飲み続けておひらきになるのはたいてい午前3時を過ぎた頃。
あまりお酒を飲まなかった僕はハンドルキーパーを任されることも多かった。心身ともにボロボロになって近くのカプセルホテルにたどり着くのは決まって明け方だった。そして、また朝8時から仕事が始まる。これが、僕が新卒から不動産業界でキャリアをスタートさせた20年ほど前の日常でした。
思い返せば学生時代の僕は絵に描いたようなダメ大学生でした。パチンコに麻雀、ボーリングにビリヤード、そしてキャバクラ通い。いまが楽しければそれでいい。やばくても人生なんとかなる。そんな調子を見かねた父親が紹介してくれたのが、旧来の知人だった冒頭の不動産会社の社長でした。
就職活動もろくにしていなければ、なにか大きな目標があるわけでもない。ただ流れでなんとなく社会に出た僕を待っていたのが、まさに目の回るような毎日だったのです。当時は不動産業界についての知識もなければ興味もなかった僕ですが、1年間人材派遣業界に寄り道したものの、結果的に20年以上ずっと不動産業界で働き、独立していまは大阪・東京で不動産の総合ディベロッパーの会社を経営しています。
我ながらよくいまのキャリアがあるなと思いますが、思い返すと人と環境が育ててくれたの一言につきるなと思います。今回がnoteのはじめの投稿なので、簡単な自己紹介もかねて自分なりに振り返ってみました。
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このままだと身体が壊れる!
父の紹介で入社した会社は収益マンションの保有と売買をメインにしている不動産会社でした。不動産の知識がまったくなかった僕は、当時の直属の上司と社長から物件や市場環境の調査方法や事業収支計画の組み方まで、まさに不動産売買業の基礎を叩き込んでもらいました。
社会人1年目だったので毎日が新しい発見で楽しいことも多かったのですが、それ以上に大変だったのが遠方の物件調査に加えて連夜の接待。不動産と酒席のループ。睡眠時間が3時間以下はざらで、家に帰る暇もなくお金もなかったので、カプセルホテルと会社を往復することも少なくありませんでした。
結局、このままのスタイルで働き続けるのはキツすぎる!と判断して1年で退職することに。父親の紹介&知人ということもあり退職の意思を伝えるのに少し躊躇しましたが「お前が辞めてもおれらの関係は変わらんぞ」と言い切ってくれほっとしたことはいまでも覚えています。その言葉通り僕が独立する時にも色々とアドバイスをもらいましたし、いまも関係は続いています。
結局1年で辞めてしまいましたが、いまでも良く接待の空気と馴染みのカプセルホテルの天井を思い出します。いまになって思えば金融機関との付き合い方や人として信義を通す姿勢は僕にもしっかりと受け継がれているように感じています。
人材会社なのに引越しの手伝いをさせられる
1社目を退職後に就職したのは不動産会社ではなく、当時日本で最大規模の人材派遣会社でした。社会人になって不動産業界を経験したもののまだ業界に対する思い入れはなかったのと、一度規模の大きな会社で働いてみたいと思ったからでした。
特に興味があったのが、募集内容で「人材育成に携われる」と書かれていたこと。前職はとにかく生活が大変だったのですが、同時に小規模な組織だったので労務体制も人事体系も整備されていない状況でした。ただ、社会に出て「働くうえで大切なことって色々あるけど、最終的には人だよな」となんとなく感じていたので、人に関わる仕事に就きたいとぼんやり考えていました。少しずつですが働くことや自分の興味関心について考えるようになった時期だったのかもしれません。
でも、蓋を開けてみると人材育成?なんですかそれ?という感じ。求人募集の内容と実態が違うというのはいまもたまに聞く話ですが、入社してみると企業と派遣登録者の連絡係のようなオペレーターの単純業務ばかりでした。
ここで働いても意味ないな…と考えていた矢先、連絡を取り次いでいた引越し作業の案件で派遣人材に急遽欠員が出ることになり、なぜか僕が現場に行くことに。ダンボールを運びながら空を見上げて「やめよう」と決意し、1年もたたずに退職しました。
体制整備こそ組織運営には大切だと知る
退職後どうしようかなぁと、またフラフラしていた僕をみかねて今度は親戚の叔父が「この会社なら紹介できるから働いてみないか」と言ってくれたのがまたまた不動産業界でした。まだまだ将来の方向性が決まっていなかった僕は「まあいっか」という軽いノリで就職することになります。本当に20代の前半は適当に生きてきたなと自分でも驚きます。
叔父の紹介で入社した会社は不動産の総合ディベロッパーでした。僕が配属されたのは建売住宅の開発・販売を行う部門で、一般のお客様を相手に注文住宅の販売提案からコーディネイトを行う業務を任されました。
1社目と同じ不動産業界ですが、ひと言に不動産会社といっても会社によってやることは全然違います。入社後はじめの仕事は都市開発で年間300戸程の注文住宅の建売を販売するというもの。僕以外にも15人ほど営業マンがいました。そのなかで自分はどうやってお客様に提案するのか。
そこで考えたのは、ただモノを売るのではなくお客様と購入後の将来を一緒に描くことでした。住宅の営業販売は、設備面のセールスポイントや金額・ローンといった目の前のわかりやすい話をしがちですが、それではただの説明要員です。一生のなかでも数回しかない大きな買い物だからこそ「これを買ってください」と押し売りするのではなく「なぜ買うのか、買った後にどんな毎日があれば幸せか」を掘り下げながらヒアリングし、お客様と一緒に家を買ったあとの未来を想像しながら商談を進めるように心がけました。
売上のためではなく、お客様にも喜んでもうために営業する。その結果として成果が出る。この姿勢は、現在の会社の営業部門のスタンスにもつながっています。
結局この会社には10年ほど在籍していましたが、在籍が長くなるにつれてだんだん「働く」ということについて真剣に考えるようになっていました。同時に、自分の働き方やキャリアよりも、どのように社内環境を整えれば全員が効率よく自主的に働けるかといった「組織作り」について考えることに魅力を感じるようになっていました。この頃の僕は経営に口出しできる立場にありませんでしたが「自分の会社だったらこうするんじゃないか」「もし自分が会社をするなら制度や仕組みを整えることは最優先で取り組みたいな」といつしか想像するようになっていました。
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兄の助言と弟の覚悟
仕事は充実していながらもどこか悶々とした日々を過ごしていた僕に「いつまでその体制で働き続けるんや」と言い放ったのが兄でした。実は僕の兄も不動産業界に従事していて、すでに起業して会社スタートから4期目、少しずつ従業員も増えて順調に事業を拡大していました。さらに、僕の弟は兄の会社で働いていて、偶然か必然か三兄弟そろって不動産業界だったんです。
楽観的な性分から、これまでなんとなくで就職や転職を繰り返してきた僕をみて、兄は歯痒かったのかもしれません。「自分の人生もっと自分で考えろ」と言われているようでした。自分も起業してみようか。起業するとして兄の関連会社なら仕事の協働もできるだろうか…。
そんな風に考え始めた頃、現専務である弟が「兄貴がやるんならゼロから一緒にやろうや。新しく会社つくって、業界の常識なんか無視して、自分たちが良いと思う組織を育てていこう」。そう言って兄貴の会社を退職し、一緒に事業をすると宣言したのです。
そんなふうに発破をかけられたことで僕も心を決め「よっしゃやろう」と思い立って会社を辞め、独立の道を歩むことになりした。32歳の時でした。
精度高くスピード感を持って事業展開したい
そんな形でスタートした今村不動産。弟と二人でなけなしの資金を集め、営業にひた走りながらも二人でずっと語り合ってきたのは「どんな会社にしたいか」「そのためにはどんな制度が必要か」です。
まだ社員もいないのに、不動産業界にこだわらず長く働きやすい就業規則はどうあるべきか?個々人がやるべきことをしっかり理解できるキャリアマップはどう設計すべきか?納得感のあるインセンティブの設計は?と、お互い営業から戻ってから疲れた体と頭を抱えながら延々と話し合っていました。接待で拘束されたり、残務に追われていた時には感じなかったどこか心地よい疲れでした。
試行錯誤を重ね、これまでの業界の常識に縛られず制度を見直しながら進んできた今村不動産も、現在では8期目を迎え、もちろん波乱万丈はありながらも事業も組織も順調に拡大を続けています。
ちゃらんぽらんでノリと流れでキャリアを歩んできた僕ですが、社会に出て良いも悪いもたくさんの経験をして、いろんな人と関わることで学び教えられ、起業をきっかけにやっと自分らしい人生の舵を切ることができたように思います。
どんな会社や事業でもそうだと思いますが、組織をつくるのは人と環境。そして、そのはじまりは創業者のそれまでの実体験や「もっとこうだったらいいのに」といった感情がベースにあるんじゃないかと思います。
みなさんの会社の独自のルールや文化は何ですか?そこにはきっと、会社が大切にしている想いや創業者の実体験が詰まっているのではないでしょうか。
私たちが掲げているビジョン
関わりあるすべての人々を幸せにする
不満・不足・負担のない仕事のサイクルを通して、すべての人が満足を感じられる社会の実現を目指したい。それは、お客様はもちろん共に働く仲間に対しても。
そんな思いでこれからも事業を続けていきたいなと考えています。