青森から単身夜行列車で上京
自分の殻をやぶるために奮闘する毎日
―加藤社長はどのような子供時代をすごされたのでしょうか?
青森県三戸町という人口約1万人の小さな町で育ちました。子供の頃は野山をかけまわり、メンコや鬼ごっこをして遊んでいました。こう言うと快活な子供に見えますが、通信簿に「おとなしくて無口」と書かれるような子供でした。
高校まで青森の学校に通いました。当時は「おとなしくて無口」ということにコンプレックスがあり、高校では自分の殻をやぶろうと長髪にもしました(笑)
高校卒業後は神奈川の大学に進学しました。夜行列車で単身11時間ゆられて上京しました。当時は新幹線が無かったのでとにかく遠かった。今でもあの直角の座席の痛みを覚えています。
上京時は青森出身ということに劣等感を持っていました。「ずうずう弁」は馬鹿にされるのではないか。早く「東京弁」を覚えたいと思い、上野駅のホームで知らない人に話しかけて道を教えてもらったりしました。言語はネイティブに習うのが一番ですよね(笑)
―長髪とは今の姿からは想像できないですね(笑)キャリアはどのようにスタートしたのでしょうか?
大学は工学系に進んだのですが、実は親に黙って中退して飲食店に就職してしまいました(笑)親には特に何も言われませんでしたが、せっかく上京してまで進学したのにと残念に思ったのではないかと思います。
アルバイトしていた飲食店でビジネスの楽しさを知り、大学そっちのけで熱中してしまったのです。はじめは調理や接客でしたが、就職してからは次第にお店を任されるようにもなりました。この飲食店で25歳まで働いていました。
コンピューターの可能性を確信してIT業界へ転職。
知人のIT企業立上げにも参画し経験を積む!
―今とはまったく違う業界からのキャリアスタートだったのですね。アスペア創業の経緯を教えてください。
飲食業からすぐ今の会社を起業したわけではありません。キャリアスタートから創業まで3社経験しています。まず1社目は先ほどお話した飲食店です。飲食店ではお店を任されていたので、日々新聞やビジネス雑誌などで知識を深めようとしていました。当時は、将来自分で店を持ってオーナーになろうと考えていました。
そんなとき、最近やたら新聞に「コンピューター」に関する記事が多いということに気づいたのです。そこからコンピューターに興味を持ち勉強するようになりました。まだ会社にコンピューターが普及していない時代でした。将来必ずコンピューターの時代が来ると確信しました。
当時IT業界の未経験者採用は25歳までがほとんどでした。その時すでに25歳だったので転職活動を急ぎました。最初に就職した飲食店にもご恩があったので、繁忙期をしっかり乗り越えてから転職しました。
そして入社したのがキャノン系列のIT企業でした。エンジニアとしてお客様のシステム開発に従事しました。その後、営業も経験しました。
キャノン系列のIT企業に入って数年経ったころ、知人からIT企業を起すので一緒に来ないかと誘われました。昔から将来自分で事業を作りたいという想いを持っていたので、立上げメンバーとして参画を決めました。創業メンバーとして3年ほど経験を積み、起した会社がアスペアです。自宅の一室からひとりでスタートしました。
バブル崩壊で倒産の危機。夢のマイホームを手放しアパート暮らしへ
―下積み時代があって起業されたのですね。アスペアという社名にはどのような想いを込められたのですか?
営業目線と自分の想いと両サイドから考えました。当時は電話帳で発注先を探す時代です。電話帳は社名の昇順で並んでいます。「あ」から始まる社名にすれば問合せをもらえる確率が高くなると考え、「あ」で始まる社名に決めました。
それから自分の想いです。営業時代にお客様がITにとても困っている姿を目の当たりにしてきました。お客様の課題を解決したい、お客様に頼りにされたい、お客様に喜んでもらいたい。そんな熱い想いを持っていました。辞書で「Aspire」という言葉を知りました。「熱望する」という意味の単語です。古くは「立ち昇る」「そびえる」という意味もあったことを知りました。お客様から頼りにされるにはそびえたっていなければならない。そしてあの会社にお願いしようと熱望されなくてはいけない。これだ!と思いました。ソニーのように覚えやすくするために「アスペア」とカタカナ表記することにしました。
―今年で創業26年ですがどのような苦労がありましたか?
会社を経営していると本当に山あり谷ありです。これが最大の苦労だというのはないですが、創業期は大変でした。創業したのは1991年の3月です。バブル崩壊の直前にスタートしました。景気は悪くなる一方で夏以降世の中がどんどんおかしくなってきました。翌年には仕事がないという状況になりました。当時は結婚して念願のマイホームを買ったばかりでした。仕事がなく収入は減る。貯金もない。しかしバブルの金利で返済が苦しい。生き残るには売上を作りつつ支出を減らすしかない。
「為せば成る。為さねば成らぬ何事も」が私の座右の銘です。苦渋の決断でしたがマイホームを売却して女房とアパートに移ることにしました。まだ32歳でしたので将来必ずまた家を持てるだろうと夢を抱いて決断しました。
ITバブル、リーマンショックと他にも大変な時はありました。お仕事を頂くにはお客様や提携先と信頼関係を構築することが重要です。どんなに苦しい時も目の前のお客様を大切に誠実な仕事をすることで乗り越えてきました。
社員が自己実現できる会社をつくる!社員の自己実現の先にこそ会社の未来がある!
―加藤社長の人柄が本当ににじみ出ていますね。アスペア様が大切にしている価値観を教えて下さい。
まず自由闊達です。上司部下先輩後輩関係なく自由にアイデアや意見が言える会社でありたいと思っています。前職は規則がビシッとしていてとても窮屈でした。意見を言いづらい環境になると仕事がつまらなくなりますし生産性も下がります。ビジネスマンとしてある程度ルールは必要ですが、そういった中でも自由にアイデアや意見を言える環境を重視しています。オフのゆとりも重要です。そこからクリエイティビティが生まれると考えています。
それから自立と自律です。IT業界ではお客様先で開発を行うことも少なくありません。お客様に評価頂くにはIT技術だけでなくヒューマンスキルや提案力も重要です。1人のエンジニアとして、日々自発的にスキルを磨きお客様の課題をどう解決するか考えて提案していくことが信頼につながります。
このような価値観を実現するには、「働きやすい環境」と「成長しやすい環境」が重要です。
―なるほど。どのような仕組みがあるのでしょうか?
まず、働きやすい環境づくりですが、弊社にはママさんエンジニアも多くいます。子供が小さい頃はしょっちゅう熱を出しますよね。私の子供2人は成人しましたが、子育ては本当に大変なものです。子供に何かあった時はいつでもすぐ帰っていいよと言っています。上司やまわりの社員でママさんエンジニアを支援する仕組みを作りました。
自己実現は仕事がすべてではありませんから、めりはりつけて働き、定時で帰れるよう生産性を上げる必要があります。生産性を上げるには社員一人ひとりの成長が必要です。
そこで弊社では、社内コミュニティの仕組みをつくりました。新しいテクノロジーやトレンド、プロジェクトで学んだことなどの勉強会をしています。ゲーミフィケーションも取り入れわいわいやっています。集合知として皆で成長できる仕組みをつくりました。社員の結束にもつながっています。
また、書籍買い放題と研修費用支援の仕組みもあります。弊社ではスキルアップのための書籍は会社費用で買い放題です。研修も上司の承認があれば会社のお金で受けることができます。成長意欲の高い社員が多いのでとても喜ばれています。
人生は人それぞれいろいろです。アスペアでの仕事も人生の一部として、社員一人ひとりが楽しみながら自己実現してもらいたいと考えています。その先にこそ会社の未来があると考えています。
ジョギング、ヨガ、歌舞伎観劇・・・リア充社長のオフタイム大公開!
―社員の人生を考えて会社の仕組みづくりをされているのですね。加藤社長はオフタイムをどのように過ごされているのですか?
オフタイムはジョギングやヨガ、音楽鑑賞や観劇などを楽しんでいます。ジョギングはその日の体調によりますが、長いときは平日でも15km走るときもあります。年に数回ハーフやフルマラソンにも出場しています。
音楽鑑賞や観劇、美術鑑賞も好きで、先日は「スーパー歌舞伎 ワンピース」を見に行きました。人気マンガの「ワンピース」の歌舞伎です。親しくさせて頂いている歌舞伎役者さんがいるので歌舞伎はよく見にいきますね。美術館めぐりや横浜のジャズプロムナードなどもよく行きます。オンオフどちらもバランスよく人生を楽しんでいます。
―今後の会社のビジョンについて教えて下さい。
新しい事業の軸として、ソフトウェア領域で自社オリジナルの商品を世に出していきたいと思っています。長年多くのお客様のソフトウェア開発を支援してきましたが、まだまだお客様が満たされていない領域は多いです。色々なものを組み合わせることで企業に求められるサービスを作れると思います。そしてオンリーワン企業に成長していきたいです。
―最後に求職者へメッセージをお願いします。
アスペアは派手な会社ではないですが、どこよりも社員の自己実現を大切にしている会社です。働きやすい環境、成長しやすい環境に力を入れています。ぜひ共にアスペアを通して自己実現していきましょう。