「まだこっちに来て三カ月なんで、移住した実感がないんですよね。でもめっちゃいい環境です。みんなここに来たほうがいいですよ!」と笑う、坪井映二郎さん。2023年4月から、株式会社サン・クレアが運営するホテル「水際のロッジ」で働いている。
ここで働くために、家族とともに兵庫県から愛媛県に移住した。古民家に暮らしながら、生活のすぐそばに自然がある毎日を楽しんでいる。
転職目的ではなかった サン・クレアとの出会い
株式会社サン・クレアに入社する前は、投資用不動産を扱う会社の営業部でマネージャーを務めていた坪井さん。平日は会社員として働く傍ら、友人たちと「合同会社あそび」を立ち上げ、週末にはキャンプ場の運営や野外教育をしたいと考えていた。
「子どもにも大人にもアウトドア系の遊びができる場所を提供したいと思っていたんです。週5日サラリーマンとして働く生活も変えたかった。週2日くらい働いたら残りは自然の中で過ごして、それが仕事になるということを目指そうともしていました」
前職の頃の坪井さん(左)
しかし、日本で野外教育をビジネスにしている会社はまだまだ少ない。働いている人はどのような給与形態なのか。そもそもどうやってマネタイズしているのか。まずは他の企業を参考にしようとしていたときにインターネットで見つけたのが、株式会社サン・クレアの野外教育事業の求人だった。
「面白そうなホテル会社だなとは思ったんですけど、転職したいとは思っていなかったんです。ホームページもあまり見ずに、話を聞けたらいいなと思って連絡をとって。でも面談で『合同会社あそび』でやっていきたいことを話すと、サン・クレアの代表の細羽さんにつないでくださって話が一気に進み始めました」
全てを投げ捨ててでも、ここに
細羽さんに「まずは来てみてください」と誘われ、坪井さんは家族とともにホテルがある愛媛県北宇和郡松野町を訪れた。目の前にあったのは、豊かな自然、その中での遊び、農業も企業も自然の循環を大切したいという考え方。「細羽さんがやろうとしていることは、全部自分がやりたかったことだったんです。こんなに自分と似通った思考でやってる人がおるんや、って驚きました」
家族も松野町を気に入ったが、移住を迷ったのは坪井さんの方だった。兵庫県には新築のマンションを買ったばかり。職場では管理職のポジションで、仕事にも人間関係にも不自由は何一つなかった。「捨てる必要があるものは何もない。そう考えると、ここに来るのはキャリアアップではないじゃないですか」
それでも、坪井さんは株式会社サン・クレアが挑戦しようとしていることに強く心を引かれていた。野外教育に加えて、農業と食。興味あることの全てが、ここにはあったからだ。
「家族で魚突きに行ったとき、自分がとった魚を見て“これ食べれるんかな”って思ったことがあったんです。横にいた人に高級魚だって言われても、料理して自分の口に入れるまで確信が持てなかった。自分が魚だと思っていたのは、スーパーで売られているもの。きれいな海で自分の手でとった高級魚を食べ物だと思えないのは、“逆転”してるなって衝撃を受けました」
それ以来、食や農業にも興味を持ち始めていた坪井さん。本を読んでいくうちに、人が生きていくために必要な食と農業は社会の全てに関わり、時に情勢をコントロールするほどのものだと考えるようになった。「僕らくらいの年代が食や農業を学んで子どもたちに伝えていかないと、サステナブルな未来は来ないと思うようになっていったんです」
「全てを投げ捨ててでも、ここでやっていることを見せてもらって学ばなくては」。坪井さんは株式会社サン・クレアへの転職と移住を決めた。初めて松野町を訪問した日の夜のことだった。
資格と「やりたいこと」を生かして
現在は「水際のロッジ」で受付や清掃をしながら、細羽さんの畑を手伝ったり、自分の畑で野菜を育てたり。入社してわずか三カ月だが、資格を生かした宿泊プランの販売も始めている。
「前職で営業をしていたので、話のフックのために好きなことの資格をとっていました」。宅地建物取引士、船舶免許、狩猟免許、キャンプインストラクター……。10以上持っている資格から、まずはサウナ・スパ健康アドバイザーとして「テントサウナプラン」を考案した。
内容は、国立公園である滑床渓谷で90分間のテントサウナを楽しめるというもの。ロウリュウには目黒集落のよもぎを使い、サウナの後はすぐそばにある四万十川の源流にダイブ。この場所ならではのロケーションを満喫できるプランになるよう設計した。「これがやりたい、というのは僕発信です。本当に自由にやらせてもらっています」
夏には野外教育事業「NAME CAMP」(なめキャンプ)にも帯同し、子どもたちの10泊11日を見守る予定だ。「まずはいろいろと教えていただきながら一緒に付いていくという感じです。子どもたちの成長が見られるのが楽しみですね」
色と音があふれる 田舎での暮らし
兵庫県から愛媛県へ。移住して生活はがらりと変わったが「満足度はめちゃめちゃ高いですよ。家族も楽しそうにしています」と坪井さんも嬉しそう。「これまでは子どもを遊ばせようと思うと、人工的な遊具がある公園というエリアに車に気を付けながら行く、というような生活でした。でも今は自由に、文字通り泥んこになって遊んでいるんです。昼はいっぱい遊んで、夜はこてんと寝ています」
家の前ではいつでもたき火ができ、裏山も自由に使える。近所の人は引っ越してきたときから野菜をお裾分けしてくれて「ウェルカムな感じが嬉しい」。これまでは電車で会社と家を往復する生活だったが、今は仕事に行く前に家の周りを散歩する余裕もある。
「都会はコンクリートと電光掲示板の色ですけど、ここにあるのは木と花の色です。夜はカエルや虫が鳴く。でもその音はバイクや車の音と違って、不快ではない“寝られる”音なんです。星もすごくきれいです」。家族とのここでの暮らしを語る坪井さんの表情が、一層ほころぶ。
もっと学んで もう一つの村づくりを
坪井さんはこれからも資格や自分の興味を生かして、宿泊プランなどの商品づくりを行いたいと意気込む。特に取り組みたいのは、狩猟体験などの親子で「食」を学べるプラン。狩猟や自然農法をさらに深く学びながら、将来的には坪井さん自身で地域づくりをしたいとも考えている。
「将来は関西に戻って、サン・クレアで学んだことを生かして村づくりをしたいというビジョンがあります。でも、そのときにサン・クレアとの縁が切れるとは考えていません。愛媛はここ、関西は自分たちのところ。そうやって拠点を増やしていけば、社会全体が良い方に向かっていけるんじゃないかなと思っています」
「合同会社あそび」の仲間たちも、松野町に遊びに来ることを楽しみにしているという。「今はそれぞれが修行中なんですよ」。よりよい未来を作るための学びが、ここにある。
文/時盛 郁子