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取締役が語るスポーツから見えた「教育」のあるべき姿

はじめに

皆さんこんにちは。キカガク取締役の都築です。

2021 年 11 月、早いものでキカガクへ入社してから 2 年半が経ちました。毎月のように新しいメンバーが入社し、組織もどんどん大きくなっています。私が入社したての頃は神田のオフィスで全員が顔を合わせて仕事をしていましたが、今では直接会う機会も少なくなってしまいました。

コロナ以降入社したメンバーとはほぼ直接合っておらず、私の経歴やキカガクへ入社したきっかけ、教育に対する想いなどを伝える機会がありませんでした。

そんな背景もあり、今回は私が社内向けに発信した教育に対する想いを Wantedly をご覧の皆さんにも共有できればと思っています。

簡単な自己紹介

▼ プロフィール

氏名 都築 知也
2008.3 中京大学附属中京高等学校 卒業
全国高校サッカー選手権大会 3 年連続出場
2012.3 立教大学 コミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科 卒業
スポーツと生きがいについて学ぶ青年海外協力隊を 2 度受ける合格ならず、就職へ
2019.7 株式会社キカガク 入社
外食ベンチャー企業、株式会社メタップスを経て、キカガクに講師として入社その後セールス・マーケティングも携わるようになり、2021.01 取締役に就任


私の考える教育

「都築さんにとって教育って何ですか?」

「なぜ教育をやろうと思ったんですか?」

私は小学校の頃から生徒会長やサッカークラブのキャプテンをしており、人に教える機会が多かったため教育というものが常に身近にありました。大学ではスポーツトレーナーやインストラクター、サッカースクールのコーチもやりましたし、新卒で青年海外協力隊を目指したのも発展途上国でスポーツを教えたいと思ったからです。

しかし、私は上記の質問をもらう度に「昔から教育をやってきてそれが得意だと思った」、「生徒や受講生から感謝されたら嬉しい」と、とても曖昧な回答をしていました。その理由は「教育」という言葉自体、私の中でしっくりきていなかったためです。

ここからはあくまで私のイメージですが「教育」というのはどこか上下関係があり、一方通行で、少しおこがましいと感じてしまいます。義務教育の中で先生と生徒という関係性であればある程度納得できますが、大学、社会人になっても教授と学生、講師と受講生という、一方が教える側、もう一方が教えられる側という関係に違和感を感じていました。

そのため私自身が「教育」を死ぬほどしたいかと言われるとキカガクのビジネスとしては当然イエス、 ただ上記のような質問をされると困ってしまう自分がいました。

それでもなぜ教育に携わるのか

私が教育に携わる理由は「学び」が楽しいし、その楽しさを多くの人に伝えたいからです。

皆さんは「学び」の目的が何か考えたことはありますか?

  • 実務で使えるようになるため
  • 社会に還元するため
  • 市場価値を高め、キャリアを形成するため

この他にも色々な意見が出てくると思いますし、キカガクがビジネスを行う上ではとても大事な視点ですよね。しかし私の中で「学び」の目的は「学び」です。上記のような目的のために「学び」があるのではなく、「学ぶこと」それ自体が目的なのです。このように考えるようになったのは私の過去の経験が影響しています。

サッカーが手段になった日

私の 18 歳までの人生はサッカーによって形成されています。小学校 1 年生のときに兄と一緒に地元のクラブチーム入ったのがきっかけで、最初はただ純粋にサッカーが好きで上手くなりたいという気持ちで取り組んでいました。

しかし、中学、高校とレベルが上がるにつれて監督・コーチとの関係、ライバルとの競争に苛まれ、純粋にサッカーを楽しむことができなくなっていきました。また、高い遠征費を払ってもらっているのに試合に出れない、親に申し訳無いという気持ちでいっぱいでした。

そんな日々を過ごしているうちに、いつしか私の中でサッカーというのはライバルを見返したり、全国に出て親孝行するための手段となっていきました。

大学でスポーツを学ぶ

高校 3 年間でサッカーが大嫌いになり、大学では絶対に部活でのサッカーはやらないと決めました。

私の専攻はコミュニティ福祉学部 スポーツウェルネス学科で、簡単に言うとスポーツ通じた人生の生きがいを考える学科です。高校 3 年間、地獄の部活動を経験した私にとってはこれまでを振り返るとても良い機会でした。

元々「スポーツ」という言葉は貴族の「気晴らし・遊び」が語源であり、今我々が呼んでいる「sports」というのは 19 世紀イギリスで創られたそうです。

イギリスは産業革命と植民地政策を進めていたのでスポーツというもので人材育成をしようとしていたわけですね。具体的には

  • 過酷な気候条件に耐えうる強靭な身体
  • どんな環境でも尻込みせず、立ち向かう勇気
  • 自ら対処するための決断力と行動力
  • ごまかしや不正を行わない誠実さ、自立心、忠誠心
  • 文化の異なる地でのコミュニケーション、相手への尊重

こういった能力をスポーツによって鍛えていったという背景があります。

一方で日本はどうかというと明治時代、西洋人と対抗するために「体育」という富国強兵政策、軍国教育の一環として取り入れられました。富国強兵での「体育」はイギリスのスポーツ人材育成の思想とは大きく異なり、「屈強かつ従順な人材」を育成していくことになります。

これがまさに現代の体育会系人材であり、私もその一人です。

話を元に戻します。

「学び」の目的は学び

私は大学での学びから サッカー = スポーツ = 遊び という非常にシンプルな公式を見出しました。

厳密に言うとスポーツというのは単なる遊びから「身体運動を伴うゲーム」という風に進化を遂げてきいますが、ここで伝えたいことは「遊び」の目的は「遊ぶこと」にある点です。

私は強制的な部活動によって「教育」という概念が大きく歪んでしましました。そして「サッカー」を純粋に楽しむことができず、他者に認められたり、見返すための手段にしてしまったことが、「学び」とは何かを見つめ直すきっかけになっています。

改めて、私が教育に携わる理由は「学び」が楽しいし、その楽しさを多くの人に伝えたいからです。先日社員の木下さんと案件お疲れ様会をした際に教育は二人称、学びは一人称ですねという話をしました。特に長期コースは教える側と教わる側の対立構造になりやすいかつ、転職など「学び」が手段になりやすいです。

講師としてあるべき姿は「学び」の楽しさを素直に伝えること。「学んでください」という二人称ではなく、一人称で「学びって楽しい!」を受講生に伝播させることが重要だと考えていました。そんな話をしていたら、木下さんは既に長期コースの始めに自身の考える機械学習の楽しさをひたすら受講生に伝える会をやっているそうです。

「学び」の目的は学ぶこと。

遊び」と同じでそれ自体が目的である。

多少綺麗事に聞こえるかもしれませんが、私はそんなことを考えながらキカガクで仕事をしています。

Good Fellow(よき仲間)

ここまで私なりの「教育」,「学び」について書き連ねてきました。色々な考えがあって良いと思いますし、キカガクはそれらを共有し尊重し合える文化にしていければなと考えています。

最後にもう一つ、私の信念でもある「誰と山に登るか」についてお話させてください。

これまでの話でお分かりの通り、私の人生における価値観はほぼスポーツによって成り立っています。

「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」

日本サッカー界の父とも言われるデッドマール・クラマー氏の言葉で、私も昔から監督やコーチから言われ続けてきました。とても良い言葉ですよね!

皆さんは「スポーツマン」という言葉の意味を知っていますか?

日本の広辞苑で調べると「運動競技の選手、スポーツの得意な人」と出てきます。

しかしオックスフォードの辞書で調べると「Sportsman」=「Good Fellow」、つまり「スポーツマン」とは「よき仲間」という風に記されています。

Good Fellow(よき仲間)の定義

  • 尊重 (Respect)
    • 相手・仲間、ルール、審判に対する尊重、多様な他者を許容する精神
  • 勇気 (Braveness)
    • リスクを恐れず、自ら責任をもって決断・行動・挑戦する勇気
  • 覚悟 (Resolution)
    • 勝利をめざし、自ら全力を尽くして最後まで愉しむ覚悟

改めて、これからキカガクのミッションを達成していく上で、スポーツ経験の有無に限らず、こういった Good Fellow(よき仲間) と一緒に山を登れたら最高だなと思いました。

「学びは子どもを大人にし、大人をよき仲間にする」by 都築

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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