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宮崎⇆東京でエンジニアと神主、どちらも本業として妥協しない働き方|バックエンドエンジニア橋本 - ジュニの中の人インタビュー#11

こんにちは!株式会社ジュニの広報のせきたです。「ジュニの中の人インタビュー」では、ジュニのメンバーを掘り下げる記事を不定期に発信しています。さて、第11回目は、前回バックエンドエンジニアの月舘さんからの指名を受けた、同じくバックエンドエンジニアの橋本(はしもと)さんです。

橋本さんはエンジニア歴23年のベテランです。ジュニにバックエンドチーム設立のタイミングでチームの根幹を担う立場で入社しました。実は橋本さんと私は1度も直接会った事がありません。というのも、橋本さんは九州の宮崎県でフルリモートで働いており、コロナの影響もあって会う機会が無かったのです。

また、橋本さんは家業である神社の神主としても働いています。エンジニアと神主、どちらも本業という働き方を選び、さらに地元の貴重な若手人材として消防団の活動もしています。今回橋本さんは「ジュニで働く事が楽しくて仕方ない。知識をさらに身につけたいし、実現したい夢もある」と楽しそうに語ってくれました。

エンジニアと神主どちらも両立する働き方や、フルリモートでどう活躍しているのかお話を聞きました。

家業の神主とプログラムの奥深さを知ってエンジニアになるまで。

ー早速ですが、神社のこと、エンジニアを目指すまでをおしえてください。

はい。実家の神社は平安時代(西暦1042年)に創建した宮崎県の美郷町というところに鎮座する田代(たしろ)神社です。ただ、大きな神社ではないので、社会人になってすぐ神主だけを本職とする必要はあまりなくて、父も神主になる以前は歯科関係の仕事をしていました。現在も別の仕事ですが兼業で神主をしています。

なので、私も子供の頃から、いつかは神社を継ぐと思っていたんですが、継ぐ前に何か別に仕事をするものだと自然に考えていました。ただ、高校生くらいまでは、周囲の皆と同じように地元で公務員や銀行員になると思っていたんです。でも、その考えを変える転機になったのはスーパーファミコンのソフト「RPGツクール」に出会ったことでした。

ー「RPGツクール」はRPGゲームを自分で細かくシナリオから組み立ててオリジナルのゲームとして遊べるソフトですね。

はい。このソフトをプレイするうちにエンジニアを目指すようになりました。RPGゲームとして成立するように「このアイテムを取ったらイベントが進む。じゃあアイテムを取っていない時はどうなる?」というように全てのタイミングや仕組みを設定しないといけません。ひとつのゲームの世界をつくるには膨大な量の検討事項と設定があって、見栄えのする楽しい部分以外の地味な部分も全てやり抜かないとゲームとして成立しないんです。この一連のRPGゲームをつくるという経験からフラグ管理やイベント処理というプログラムの基本に触れ、さらに奥深さを知って、プログラミングに興味を持つようになったんです。

そこで高校卒業後はエンジニアを目指すため、プログラミングの専門学校に進学してVISUAL BASIC言語を学びました。卒業後は学校の先生の紹介で東京の大手銀行系列のIT企業に就職して東京に上京しました。私は主に銀行に関連するシステム開発を担当していたんですが、入社して数年目に初めて全く違う業種のシステムを担当したところ、これまでにない楽しさを感じたんです。

ーどんなシステムだったんでしょう?

とある大手企業の備品管理システムです。煩雑になりがちな備品を簡単に管理したいという要望でした。そこで当時はスーパー以外ではほとんど使われていなかったバーコードを活用して手軽に管理できるシステムを開発しました。備品自体にバーコードを貼り付けて端末で読み込むと「3Fデスク2」のように読み込まれ、簡単にどこに何がどれだけあるのか管理できるといったものですね。システムはクライアントから評価されて、全国の支店に採用されるようになりました。この経験から色々な業界のシステム開発をしてみたいと転職を意識するようになったんです。ちょうど良いタイミングで当時の上司が新たにWebシステム会社を立ち上げることになり、私に声をかけてくれました。その上司は私がいずれ宮崎にUターンして神主になることに理解がある方だったので、それも大きな後押しとなってその会社に転職を決めました。

2006年PMとして活躍する中、前例のないリモートワーク開始。

ー転職をした2社目ではどんな業務を担当していたんですか?

出版関連会社、飲食チェーン店、輸送会社など幅広い業種の企業の基幹システムです。受発注、営業、販売、勤怠などの様々な業務システムを手がけていました。どのシステム開発でもPMとして顧客折衝から設計、製造、試験、導入までのほぼ全ての工程で案件のフロントに立っていました。
私の業務内容は変わらなかったのですが、入社から3年後に会社が吸収合併されて、新たな社名となり、社員数も増えて色んな出会いをしたんです。そこでジュニの代表の岡村さんと、同じタイミングでジュニに入社した月舘さんに出会ったんです。ただ、30歳になる前には宮崎に帰ろうという思いがあって、29歳で宮崎に帰りました。実際に同じオフィスで働いた期間は3年ですね。

ー橋本さんがUターンを決めた2006年頃はまだ「リモートワーク」という言葉も無い中でしたね。

そうなんです。なので手探り状態でした(笑)でも運も良かったんです。ちょうど会社に地方の支店ができて、そこから宮崎でもできるんじゃないかと当時の上司も後押しをしてくれたんです。その一方社内で個人がフルリモートとなった前例はなく、実際にどう実現していくか摺り合わせていきました。まず働く場所は1人のためにオフィスを借りるよりも、自宅で働いた方が経費削減になるとか、どんな勤務体系にするのか、どうやって社内コミュニケーションを取るのかなど一つずつ決めていきました。そしていよいよUターン1ヶ月前となり、東京にいる間に神主の資格を國學院大学に通学して取得しました。これで宮崎でエンジニアでありつつ神主として働く準備が整ったんです。

△田代神社

宮崎で東京と変わらない結果の出し方と働き方の見直し。

ーつい「Uターン」「田舎暮らし」と聞くと、少し緩い働き方を想像してしまうんですが実際にリモートワークを開始していかがでしたか?

Uターン以前は東京有楽町のオフィスで、連日の深夜残業や泊まり込みをするようなハードな働き方をしていたんですが、これがリモートで劇的に変わったかというとそんなことないんです(笑)東京にいた頃と同じ業務内容やポジションでリモートワークをしていました。また、当時は実家に帰ったわけではなく、宮崎の市街地にマンション暮らしをしていたので、まだ神主業は副業といったイメージでした。父が神社の代表の宮司という立場で、私はその下で時々地鎮祭やお清めを担当するような形でエンジニア業と両立させていました。

ーなるほど。遠隔地でPMとしてクライアントのフロントに立ち、案件を回すというポジションをどう確立していったのでしょうか?

東京にいた頃は社内の営業からまず仕事の話が来て案件化し、そこから私が案件のPMとして所属する開発チームのメンバーに仕事を割り振ったり、クライアントに直接会って打ち合わせをしてという形でした。リモートとなってからは、案件の話を振ってもらうために積極的に自分を社内営業しました。案件化したら、東京の開発チームのメンバーや、パートナー会社に開発を任せ、自分自身はディレクションを担当するようにしていました。社内コミュニケーションはその当時もSkypeやチャットシステムがあったので問題ありませんでしたね。クライアントに説明や打ち合わせが必要な場合は飛行機で宮崎から東京まで出向くようにしていました。

ーリモートワークのフレームを確立し、その後13年間続けて、なぜこのタイミングで転職を意識するようになったんでしょうか?

それは「どんな仕事をしているの?」と宮崎で聞かれても説明しにくい、成果が見せられない。という事がジレンマだったんです。特に宮崎の地元では、農業や工場、役所などイメージのしやすい仕事ばかりなんです。そんな背景があるなか、業務システムは企業内で使われるものなので非公開でわかりにくい。だから公開されているWebサイトやサービスをやってみたいという気持ちが強くなりました。また、そろそろ実家の神社のある美郷町に引っ越して神主業にも本腰を入れたい、働き方を見直したいというタイミングでもありました。

そんな時に月舘さんから岡村さんの立ち上げた会社に誘われたんです。もちろん当時から岡村さんの事やジュニという社名も知っていたので興味を持って詳しく調べてみたら、これまでの経験が活かせて会社にも貢献できそうだし、公開系のシステムに挑戦できるということから転職を決めたんです。それに加えてその当時見ていたアニメのスタッフロールにジュニが登場するなど自分の興味のある領域にジュニが関わっていたことも大きな魅力でした(笑)

ジュニで実現した理想の働き方とジュニの個性

ーフルリモートの状況でジュニへ転職が可能となったのは、岡村さんが、橋本さんの活躍ぶりを評価していたからですね。働き方についてどのように会社(ジュニ)と話をしたのでしょうか?

入社前に岡村さんにエンジニア業、神主業、消防団の活動について希望の働き方のバランスを相談させてもらいました。神主業は祭りのシーズンである夏と秋、さらに年末年始が繁忙期だったり、消防団では訓練や災害時の出動があります。それ以外にも畑仕事などイレギュラーに入る色々な理由でエンジニア業を休まないといけない期間や時期があるんです。それについて岡村さんから、制度をうまく使ったり、裁量で自由に働けるとお話いただいたので、ジュニで働く見込みが立ったんです。

ー実際にジュニに入社して、どのように働き方が変わりましたか?

エンジニアとして質の高い働き方ができるようになりました。というのも、入社前は日々の業務に追われて、新技術や情報収集に当てられる時間はほぼ無かったんです。そんな余白の時間ができたり、本腰を入れた神主業もできていますね。朝は神社の掃除をして、それからエンジニア業をして、仕事終わりは消防団の集まりに参加、土日は畑仕事をするような、そんな日々です。

ー忙しいですね!橋本さんから見てジュニの個性をどこに感じましたか?

私がジュニの個性として感じるのは、やっぱりアイデア出しの文化ですね。案件に関わっていなかったり、企画の職種でなくてもアイデアを提案できるところに“らしさ”を感じます。そして、ジュニのエンジニアの個性でいうと、数々のアイデアの中から生まれた、面白く新しい発想を“どう実現するか”ということを一番に見据えている点です。「この技術でやりたい!」という頑なさではなく、「アイデアをどう実現するか」ということに重点を置いて幅広い手段の中から最適なものを選んで実現に向かっていくというスタイルですね。なので、エンジニア各自が実現させるための手段(技術や言語)を複数もっていたり、常にアンテナを張り巡らせて知識やトレンドを追っています。

△東京⇆宮崎の打ち合わせ

「実績と信頼で築いた仕事」と「チャレンジと学びのある仕事」

ー橋本さんは今どんな仕事を担当していますか?

前職で担当していたクライアントから、引き続きジュニでも指名いただいて業務システム開発をPMとして担当したり、やってみたかった公開系の案件に新たに関わったりしています。もちろん前職から関わる案件は、以前の会社に了承を得た上で担当しています。

ー所属する会社が変わっても指名いただくとは良い信頼関係があるんですね!

導入後もクライアントに寄り添ったサポートを心がけているのでそこを評価いただけたのかなと感じています。クライアントの担当者が変わっても指名をいただいているのでありがたいですね。

ー業務システムと公開系の案件では仕事の進め方にどんな違いがありますか?

一番の違いはスピード感ですね。公開系の案件でシステムのサンプルを作る際はフロントエンドチームがなるべく早く組み込めるように心がけるようになりました。業務システムだと、本当に小さなプログラムのミス一つで、その会社の全業務がストップし、数分で何十万円、何百万円もの損失になることがあります。そういう理由から安定性と確実性に重きを置き、予め決めた言語や技術を使って間違いの無い完璧な動きを心がけているんです。でもジュニの公開系の案件だと作る過程や言語はこちらに委ねられているので早く関係者が確認できることを重視するようにしています。その一方で共通するところもあって、プロジェクトの規模から妥協できるところと確実に抑えるべきところを見極め、品質を担保しながらバランスを取って進めるようにしています。

△東京⇆宮崎の打ち合わせ

ー今、ライブ配信プラットフォームに橋本さんも大きく関わっているそうですね。岡村さんも「橋本さんなくしてはここまで発展していない」とのことです。

すごく楽しく取り組んでいます。私がメインで担当したのはライブの配信画面上で一般参加の方が自由にコメントを投稿できるチャット機能のコメントサーバー部分になります。チャットなのでリアルタイム性が大事です。当初これまでの経験で馴染み深いPHPで開発しようと試みたんですが、今回はPHPよりもリアルタイム性の強いGO言語で開発をしました。簡単ではありませんでしたが、書き方は違うものの考え方やフローは変わらないので実現までたどり着きました。

月舘さんのインタビューにもありますが、ユーザーの規模がどんなに拡大しても安定していることが大事です。コメントサーバーにおいても同じで、チャットが遅延したり途切れたりしないように安定させないといけません。そのためには、負荷が1箇所に集中しないように分散させることが必要です。どんなにスケールしても、機能自体が追加されても、安定するように心がけるようにしています。

ーGO言語という新たなチャレンジがあったんですね。

ジュニに入社してから、今までの経験では追いつけない事もあって。でも新しい技術にチャレンジすることでクリアしている感覚があります。プログラムに触れて20年以上経つのですが、まだまだ吸収できる知識が沢山あるなと実感していますね。

実現したい2つのこと。ジュニのメンバーの支援と地元美郷町の活性化。

ー他のチームやメンバーからどんな刺激がありましたか?

最近だと20代のメンバーがジュニのコーポーレートサイトのリニューアルをチーム横断して頑張っているところですね。面白い提案資料を発表したり、新しい技術を活用してみようとしている姿を見ると40代の私も新しいことに挑戦したくなります。また、メンバーで言うと「転生したらスライムだった件」の公式サイト案件を通じて、フロントエンドチームの中村くんから、妥協しない姿を見て、より良いものを一緒につくる仲間として任せられる信頼感を感じています。彼だけではなく案件で関わった各自が作業として受け身ではなく、もっと良くできないかと常に追求しているんです。仕事の意義を理解したうえで100%以上の力を出そうとする姿に、自分も頑張ろうと思えますね。

ーそんな刺激を受けつつ、橋本さんがジュニでこれから取り組んでみたいことは何でしょうか?

そうですね、ジュニの提案の幅を広げたり、システム構築をもっとスムーズにするようなプロダクトをバックエンドチームとして取り組もうと思っています。例えば、よく使う機能やツールを予めパーツとして準備しておき、組み合わせて活用するようなイメージです。クライアントへの提案時に、より企画のイメージを具体的にするための動きのあるモックを見せる場合があります。提案はスピード感が大事です。その際にバックエンド側で予め準備しておいたパーツを利用することでより早く提案が可能になり、フロントエンドチームの負荷も軽減するものになるという想定です。

他にも、宮崎の地元を活性化する取り組みもジュニで実現できたらなと思っています。

ーそれはなんでしょう?

地元と東京をつなぐことをしてみたいんです。今住んでいる宮崎県美郷町のポテンシャルは高いと自負してます。自然豊かで歴史ある町なので、そこに人を呼んだり、農家とエンドユーザーをつなぐようなサービスができたらと思っています。

ーすごく素敵ですね!

橋本さんの住む宮崎県美郷町とジュニのオフィスのある東京都新宿区の距離を忘れてしまうほどジュニに馴染む橋本さん。ジュニのエンジニア、家業の神主どちらも本業として両立する働き方は私の想像以上に忙しく、やりがいと刺激のある充実した毎日なのだと感じられました。今、直接ユーザーに届く仕事に関わることで、「良いことも、悪いこともSNSなどで反応が帰ってくることが新鮮」で「この歳で転職しても成長出来ることが楽しくて仕方ないですね!」と笑顔で語った橋本さん。これからも、ジュニのエンジニア、そして地元も盛り上げる貴重な若手神主として両輪の活躍ぶりを楽しみにしています!

ありがとうございました!

好きな言葉「明日できることは今日やるな」

このトルコのことわざを20代後半に知ってから色々楽になったんです。どのように理解、実践したかというと、納期を守る前提がありつつ、タスクを「緊急度」と「重要度」別に分けて、普段は無理のない範囲で仕事に取り組み、必要な時には100%以上の力を出す。というメリハリと確実性のある仕事をするようにしています。若い頃は「明日に先延ばしするな」という方針だったんですが、連日の無理がたたって心身ともに病みかけたことがあります。ジュニは頑張るメンバーが多いので、皆さんにもバランスを取りつつ心身共に健康に過ごして欲しいです。

コードを書くときに気をつけていることを教えてください

一番大事にしているのは、安定性と可読性です。

コードを短くする事で余計なバグが発生しにくくなり、一般的には安定したコードになります。ですが、あまりにコードが短ければ可読性が下がります。コードの意図を正しく把握出来なくなることで誤ったコードを書いてしまい、バグを生み出すことになりかねません。個人的にはコメントを記述する時は、コードの説明と言うよりも、なぜこのコードを書くのかという自分の開発意図を記述するようにしています。意図が伝わらずに不要だと思ってコードを削除する事故を防げますし、逆にその意図が伝わることで不要になったコードを削除するということも出来るからです。

使用ソフトを教えてください

開発環境:Windows10 WSL2、VirtualBox、Docker、AWS cloud9
コーディング:EmEditor、VisualStudioCode
DBツール:SQLyog(MySQL)、HeidiSQL(PostgreSQL)
ソース管理:Git、Subversion
課題管理:Backlog、monday、Todoist
その他:Teraterm、WinSCP

他の社員からみた、橋本さん。

ディレクター/プランナー 伊藤さん

橋本さんとはライブ配信の案件で関わることが多く、東京-宮崎の距離を全く感じさせないくらい頼りがいのある人です。積み重ねてきたリモートワークのノウハウがすごいというのもあると思いますが、コミュニケーションを円滑にする橋本さんの人柄がとても大きいと思っています。イベントで九州に行く機会もあるので、今度ぜひリアルで飲み行きたいです。10月に福岡なんですけど、空いてますかね?

フロントエンドエンジニア 右近さん

橋本さんとは主にライブ配信サイトの案件でご一緒することが多いのですが、数万人が同時にアクセスするようなシステムを常に安定した状態で用意いただき、フロントエンドの私からすると神様のような存在です。また、新たなシステム開発の際や、急な機能変更にもスピーディに対応いただき非常に、非常にありがたいです...!そんなゴリゴリのバックエンドエンジニアの一面を持つ橋本さんですが、橋本さんが社内スラックで時々投稿する地元宮崎ののどかな風景写真がジュニ社内の癒しの一つになっていると思います笑 これからもよろしくお願いいたします!
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