高橋 茉莉子 (たかはし まりこ)
災害支援・対策セクション 部長
2011年
ジャパンハート学生ボランティアに参加
2012年
ジャパンハート有償学生インターンに参加
2014年
資産運用会社に就職
2019年
ジャパンハートに入職
人が生きるか死ぬかの判断を、私がする。
クラスター発生。 コロナ禍においては、よく聞いた言葉です。 誹謗中傷を避ける観点からあまり報道されませんでしたが、施設内入所者の6割が感染し、そのうち4割が亡くなったケースもありました。 コロナ流行当時、ジャパンハートも感染対策指導やクラスター支援を行っていて、私はそのクラスター支援の指揮を執っていました。 現場対応は、時間との勝負です。 たった半日、支援が遅れるだけで、結果が全然違う。 言ってしまえば、亡くなる人の数が変わります。 私が判断を間違えば、人が死ぬ。 ジャパンハートの医師や看護師は、日常的にこれを経験しているのだと痛感しました。 医療行為を行わない私は、それまで考えたこともないことでした。
医師の「治せません」は、
患者にとって「死」と同じ。
ジャパンハートは、今でこそ小児がんや難病治療を行っています。 私が学生インターンをしていた2010年代初頭は、できなかった。 2019年に再入職したとき、手術ができるようになっていたことへ感動したほどでした。 かつて医師が「治せません」と言うとき、それは患者にとって「死」と同じでした。 親戚中からお金を借りて、へき地から丸一日かけてやってきた、床に額を擦り付けるくらい頭を下げる患者を、治せないからと帰すしかない。 医療に携わる者が一番傷つく瞬間です。 本来救う力を持っている人が目の前の人を救えないとき、彼ら彼女らは、深く深く傷つくのです。 創設者の吉岡は、「自分は殺人者だ」と言うことがあります。 私たちのカンボジアの病院における小児がん患者の生存率は、5割。 途上国では2割程度と言われているため、随分高く思えますが、それでも私は5割の子が亡くなっているんだなと思います。 コロナ禍のあの現場を経験するまで、人が死ぬ背景に、そこに関わる医療者のどんな想いがあるのかを、本当の意味では理解していませんでした。 気づかなければ、傷つくこともなかった。 しかし気づいてしまった以上、私は何かせずにはいられないのです。
医師や看護師が、傷つき、去っていく。
それが一番の医療崩壊になる。
医療崩壊という言葉があります。 患者が多すぎて、医療の供給が間に合わない状態でしょうか。 それとも病床が足りないことでしょうか。 私は、医療者が傷つき現場から去ることだと思います。 医療崩壊を阻止するために、私たちスタッフは何をすべきか。 ちょっと助けにいけるだけでもいい。 心の支えを提供できるだけでもいい。 でもいちばんは、病気から救えた人、治せた人を増やすことです。 私は、直接的な医療行為はできません。 でも病院をつくることや組織を整えること、資金を調達すること、人を集めることができる。 医療者が患者に対し、最大のパフォーマンスを出せる環境を整えることができる。 そうして、多くのいのちを救えるようにしたいのです。 救える患者が増えれば、医療者が救われる。 それは、私たちが救われることでもある気がしています。
困ったら誰かが助けてくれると、
信じられる社会をつくる。
自分が生きていたいと思える社会を、私は自分でつくりたいです。 本当は、他人事で終わらせていてもいい。 海外で子どもが死んでいても、自分には関係ないと思うこともできます。 でもそれが、自分の生きる社会だったらどうだろうか。 自分が困ったとき、自分の家族が困ったとき、誰も手を差し伸べてくれず、助けてくれない社会だったら。 私はそんなの辛すぎる。 「誰ひとり取り残さない」って、流行り言葉のように使われていますが、私たちがこれから先も生きていく社会です。 だったら、何か起こったときに誰か助けてくれる社会を、みんなが住みやすい社会を、自らつくるべきじゃないか。 だから私は誰かに手を差し伸べる人でありたいし、有事のときに動ける人間でいたいのです。 想いの表れのひとつに、ジャパンハートでの活動がある。 個人としても、NPOとしてもできることを、探し続けるし、やり続けるのだと思います。