南インド、タミルナドゥ州のポンディシェリーから北西へ車で約1時間ほどのクナマンガラム村にあるスリスティ・ビレッジ(以下、スリスティ)。ここは、知的障害を持つ青少年たちが、農業や畜産業を営みながら、自然と触れ合い、人として平等に生きるコミュニティーです。
(過去記事:【南インド】自立循環型コミュニティを目指すスリスティ・ビレッジとは)
今回は、昨年末、スリスティに1ヶ月間ボランティアとして滞在していた池田未央さんに、スリスティでの生活や体験についてお話しを伺いました。
インド・古典舞踊との出会い
現在、長野県安曇野にある自宅のスタジオでインド舞踊とヨーガを教えながら、学童で障害を持つ子供たちへのヨーガ指導も行っている池田さん。インドへの思いは、高校生時代まで遡ります。
高校生の頃からインドの思想や哲学、文化に興味を持っていて、16歳の時にはじめての海外旅行で訪れたネパールで大きなカルチャーショックをうけました。その時の思いが忘れられず、98年に再びインド・ネパールの旅に出ました。
東京で大学までを過ごし、ご主人との出会いをきっかけに自然の中で土と触れ合う生活がしたいと、長野県安曇野市へ移住した池田さんは、その後の人生に深く関わっていくインド古典舞踊と出会いました。
2000年、南インド古典舞踊バラタナーティヤムに出会ったことをきっかけに、翌2001年からタミルナドゥ州のチェンナイに通い始め、2004年にはチェンナイで初舞台を踏みました。以降、日本とインドでの舞台のほか、カナダやパキスタンのフェスティバルに招聘いただいたり、神社やお寺でのご奉納などを行ってきました。2013年以後は、インドの八大古典舞踊のひとつで、東インドオディッシャ発祥のオディッシーを学び始め、現在はオディッシーのほうをメインに踊っています。
インドの八大舞踊は、タミルナードゥ州発祥のバラタナーティヤム、オディッシャのオディッシー、ケララ のカタカリ、マニプールのマニプリ、アンドラプラデーシュ州のクチプディなど、文化習慣の異なる広大なインド各地において、それぞれ独自の発展をとげてきました。
自然の中で共同生活をおくる人々に導かれて
昨年12月、ダンスムーブメントセラピー(DMT)協会CMTAI主催の4ヶ月の DMTファシリテーターコースを修了するために、池田さんはカルナータカ州の州都バンガロールを訪れていました。そのコースを受講する中で、数年前に知人から聞いていたスリスティのことがとても気になりはじめ、コース修了後、導かれるようにスリスティを訪問したと言います。
日本で障害を持つ子供たちと関わっていることもあり、南インドの自然豊かな環境で、知的障害を持つ人たちがどのように共同生活をしているのか、とても興味がありました。
また、近隣の村から通学する知的障害を持つ子供達のためのスペシャルスクールで、私自身のライフワークであるヨーガを教えたいという思いもありました。
ヨーガから始まるスリスティの一日
スリスティでは、毎朝5:30に起床します。起床後、コミュニティーメンバー、スタッフ、ボランティアたちみんなが施設内の円形ホールに集まり、そこで朝のヨーガを行います。今回は池田さんも、この朝のヨーガ指導に携わりました。
初日にヨーガを見学した際に、色々と改善できる点があるなと思って、翌日から自分なりに指導をしてみました。10~20代を中心とした知的障害を持つ男の子たちへの指導は初めてだったので、最初は不安もありましたが、みんなとても楽しそうに参加してくれて、不安はすぐに消えました。私自身も、これまでのヨーガ指導の経験を生かすことができたと思っています。
池田さんがヨーガを指導する中で、急遽数日後にポンディシェリー市内で開催されるInternational Yoga Festivalへの参加の話が持ち上がりました。池田さんはコミュニティーメンバーの中から8人を選抜して、3日間の特訓を経てイベントにのぞみました。
知的障害のある青少年に指導して、公の場でデモンストレーションをするのは、私にとっても初めての経験でしたし、子供たちも同様でしたが、本番でも彼らは本当に頑張ってくれて、とても印象深い思い出となっています。
ヨーガ以外にも、バラタナーティヤムを習いたいというスタッフにレッスンをしたり、タミルナードゥの1月の収穫祭「ポンガル」の時には、踊りを披露したりと、これまでインドで学んできた踊りと、ライフワークのヨーガを通して、池田さんはスリスティに関わる人たちとの交流を深めていきました。
コミュニティー内での自立と、厳しい外の現実
スリスティでは、毎日朝のヨーガの後とランチ休憩の後の2回、農業を中心に、牛小屋や鶏小屋の世話など、ヴィレッジ内の仕事に従事します。
47人のコミュニティーメンバーは3つのグループに分かれていて、グループ単位で寝食、仕事を共にし、身の回りのことは極力自分たちで行い、自立して社会に出ていけることを目標としています。
創立者のカーティケヤンさんは、毎年少なくとも10人の子供たちが仕事を見つけて、スリスティの外に出て自立していくことを目標としています。しかし、実際にはなかなか難しいのが現実です。
青少年を対象にしたこのコミュニティー内に残る30代〜50代の男性たちの中には、ヴィレッジの外で仕事を得られなかった人や、路上で辛い生活をしていたところを見つけられて連れてきてもらった人もいると言います。
ここでは、自立するためのスキルを身につけるだけではなく、そこに暮らす知的障害を持った人たちが尊厳を持って自立していけるようにという、創立者であるカーティケヤンさんの愛情を感じます。
インド国内をいくつかまわった中でも、私はタミルナドゥの人たちは、とても真面目であたたかい印象を受けます。スリスティの雰囲気を見ていても、決まりがとてもゆるやかで、みながとてものびやかに暮らしているように思いました。
スタッフと知的障害の子たちの関係性もとてもよくて、ハグをしたり手をつないだりといった自然な触れ合いが、当たり前のように存在しています。
社会的に厳しい立場に置かれている知的障害の子達たちにとって、スリスティのような空間は本当に大切だと思います。
実際に、以前は家でとても攻撃的だった子が、スリスティに来て生活をしていく中で落ち着いていき、性格がとても穏やかになったというケースもよく耳にするといいます。自分の存在や価値を認めてもらうことで、自己肯定感が高まり、それが結果的に心の安定につながっていくのかもしれません。
与えることが循環しているセーフスペース
スリスティには、主に欧米からボランティアを目的とした人たちが訪れ、コミュニティーの中で共同生活を送っています。
池田さんの滞在中にも、フランス、イスラエルからの参加者や、一年間のインターナショナル・エクスチェンジプログラムで参加しているドイツ人が2名滞在していました。
スリスティで出会ったボランティアたちは、みんなヴィレッジを去り難く感じていたようです。フランス人のボランティアの方も帰り際に、「ここに来たときよりも、自分自身が愛に満たされているように感じる」と言っていました。
スリスティでは、近隣やチェンナイなどから自主的に食事の寄付をしに来る人たちがいて、一人一人に配膳してくれる日もあります。また、ボランティアとしてやって来る人たちは、自分のできることを自由に教えたり、共有したり、コミュニティーメンバーたちと一緒に活動したりすることができます。
ここでは、皆がそれぞれにできることを与え合い、与えることが循環しています。そして与えることよりも、実は多くのものをもらっているということに気づくことができる場なのだと思います。
スリスティは、多様性の国インドの中で、知的障害を持つ人々と、スタッフたち、そして海外からやってくるボランティアの方々が共に生活をする、まさに多様性に満ちたコミュニティーです。その多様性の中で、皆がそれぞれに尊重し合い、「皆が違って当たり前で、それがとても心地よく感じる場所」だと池田さんは言います。
スリスティは、知的障害を持つひとたちのセーフスペースであるだけではなく、そこに関わる人たちが“自然な自分”でいられるセーフスペースなのだと思います。
多様性の国インドで得るものの大きさ
一国の中に多文化、多言語、多民族、多宗教が混在している民主主義国家インドは、国そのものが多様性に溢れています。それぞれの違いを認めて尊重しつつも、自分のあり方を問われ、またオウンリスク(自己責任)を求められる国でもあります。
インドで知的障害を持つ人々に対する社会の理解が進まない背景には、かつてのカースト制度や、多様性が当たり前であり、それぞれの与えられた状況を受け入れて生きるという社会のありかたもひとつの理由にあるのかもしれません。
しかし、近年大きな経済成長を見せ、国際的なプレゼンスも高まりつつあるインドにおいては、知的障害を持つ人や、マイノリティたちへの支援、彼らの可能性を伸ばし、自立を助けるような社会的システムというものも、これから益々求められていくのではないでしょうか。
スリスティの創立者であるカーティケヤンさんは言います。
ボランティアとしてスリスティにやってくる方に望んでいること、それは“ただ彼らと一緒に過ごして欲しい”ということです。
様々な意味で日本とは違った価値観や習慣を持つ多様性の国インドにおいて、スリスティのようなコミュニティの中で生活をするということは、与えるよりもむしろ、学ぶこと、得るもののほうが大きいかもしれません。
自然豊かな南インドにあるスリスティ・ビレッジで、そのコミュニティーの一員となって同じ時間を過ごしてみたい方は、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。