東京学芸大学 / 東京学芸大学 初等教育教員養成課程美術選修
【卒業論文】 学校における主体性の教育に関する 教材の開発と評価 ―「つまらな教材」の実践を通して―|夏川真里奈|note
ー要旨ー 学校での主体性の教育において、主体性とは字義的な意味で「他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさま。」(『広辞苑』,第五版)である場合、導かれることのない主体性を意図的に教えること自体に根本的な矛盾が生じている。このような主体性の矛盾は、学校教育に多くの混乱を生み出している。子供の興味関心を引き出し、主体性を尊重した結果生まれた「おもしろくなければ学ばない子ども達」(平井, 1997)や、学校制度に埋め込まれた学びによる、子供の主体性の剥奪(イリイチ, 1977)、教員が子供の主体性を評価することで生まれた子供の「偽の自我」(杉峰, 1995)など、子供の主体性を育もうする試みが、逆に子供の主体性を阻害している問題がある。そのため、主体性の教育は矛盾の存在する教育として、改めて検討する必要がある。 本稿では、主体性の矛盾について主体性の概念を「課題受容主体性」と「課題創出主体性」に分けることで、論点を整理した。「課題受容主体性」は、学校制度の内部で第三者によって達成するべき課題が存在しており、その課題に向かう主体性。「課題創出主体性」は自己の純粋な立場において自らのために課題を創り、その課題に向かう主体性である。主体性の教育は、教員の提示した課題に向かう「課題受容主体性」は評価されるが、授業を逸脱する可能性がある「課題創出主体性」の肯定は難しい。学校での主体性の教育は、子供の生涯を支えるために「課題創出主体性」を育成しているつもりで、実際は「課題受容主体性」を中心に育んでいる問題がある。 学校教育が「課題受容主体性」に傾斜している問題に対して、学校制度の内部で「課題創出主体性」を子供たちが発揮し、教員がその主体性を肯定できる「つまらな教材」を開発し、実践と評価を行った。 「つまらな教材」とは、つまらなさを材料とすることにより、活動のおもしろさでさえも子供たちが自身の力で創ることができる教材である。教員の指示に子供は従わなければならないという現代の学校制度の前提を利用し、教員の提示した課題に従わないことを手段として、子供の「課題創出主体性」の発揮を可能とした。 実践の結果、子供の多様な表現活動から「課題創出主体性」を発揮する際、「自立的課題創出主体性」「連鎖的課題創出主体性」「協働的課題創出主体性」「対抗的課題創出主体性」「動作的課題創出主体性」「教員の肯定による課題創出主体性」の6つの形態が確認できた。また、つまらない課題から子供がおもしろさを創り出す授業が可能であることが明らかとなった。そして、学校制度の内部でも子供の「課題創出主体性」を教員が肯定できることが確認できた。 さらに、2つに分けた主体性の概念に加え、その主体性が発揮された際の教員と子供の関係性を分析した結果、「反抗領域」によって、子供が「課題創出主体性」を発揮し、その主体性を教員が肯定できる関係性が生み出されていることが明らかとなった。「反抗領域」とは、教員の権威を、教員が子供を服従させる形で発揮するのではなく、教員の提示した活動に反抗させるという形で発揮した際に発生する領域である。「反抗領域」は反抗という形で、教員が子供を最低限統制し、教員と子供の限りなく対等な関係性を可能としている。また、子供が反抗する対象は、教員の提示した課題であり、教員自身の尊厳や権威は保持することができるため、教員は子供の「課題創出主体性」を肯定することが可能となる。 「つまらな教材」は実践結果において、「課題創出主体性」を子供が発揮し、教員がその主体性を肯定できる教材だといえる。これは「課題創出主体性」を学校教育によって尊重することが可能であることを示している。学校の目指す主体性の教育は、学校教育を修了した後の子供の姿にある。学校で必要とされている教員の提示した課題に向かう「課題受容主体性」だけではなく、子供の生涯を支える新たな主体性の教育として「課題創出主体性」を尊重しようとする試みは、矛盾の存在する主体性の教育において新たな可能性を示している。