Istituto Marangoni Design School
デザイン画を1週間で100枚描く
学校の課題で1週間で100枚、デザイン画を描かなくてはいけませんでしたが、元ネタはほとんどVOGUE誌。 そのときに、あ〜、デザイナーの才能ってないな〜と実感しました。
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株式会社扶桑社 / Numéro TOKYO編集長
10月30日、大阪生まれ。アパレル関係の仕事をする父と、ファッションが大好きな母のもとで育つ。小さい頃からファッションやスタイリングが好きで、高校卒業後は本格的にファッションを学ぶために単身でイタリア・ミラノへ。 いまはデジタルが主流の時代だけど、雑誌は決してなくならないし、なくなってはいけないもの。新しいカルチャーを生み出したり、社会のムーブメントの背景も含めて届けるために、緊張感を持って編集しています。
Numéro TOKYOという雑誌が「時代の顔」だと読者の人に言ってもらえるように誌面作りをしていきたい。また、先日立ち上げたrabbitonプロジェクトを大きく育てたい。
ミラノから帰国後、ずっとフリーのスタイリストとして活動してそれなりにうまくいっていたけれど、同時にフラストレーションを抱える日々が続いていました。 もっとこういうクリエイションをしたいという気持ちがあっても、アイテム集めだけやる仕事ばかり。 右から左に流すルーティン作業になってしまっていることへのもやもやや、もっとキャリアを厚くしたいという気持ちから、思い切ってファッション・エディターにキャリアチェンジしてみました。
自分の進みたい道への第一歩を踏み出し、一流の人の仕事を学ぶ
当時はバブル絶頂期。 ミラノで撮影をしていても、私が日本人だと知った人から「東京ってどんな街?」とたくさん聞かれていました。 でも、大阪出身で高校卒業後、すぐにミラノに飛んだから私は東京の街を知らない。 それってまずいことかもしれないと思ったのと、いつまでもミラノにいていいのだろうかと不安もあったので、日本に帰る決断をしました。
ファッションの基礎を学ぶ
ファッション・デザインを学ぶ
Istituto Marangoni Design School
学校の課題で1週間で100枚、デザイン画を描かなくてはいけませんでしたが、元ネタはほとんどVOGUE誌。 そのときに、あ〜、デザイナーの才能ってないな〜と実感しました。