エクスウェア入社の経緯
こんにちは、新卒で入社して、2024/4 で、24年目に突入した代田(ダイタ)と申します。
今は、開発全体の責任者、取締役副社長、CTOという立場で、システム開発に関連する色々な仕事をしています。
エクスウェアは、自社サービス(momonga アンケート、talkQA、カオミル、ペップレなど)を提供していますが、この事業を立ち上げるまでの数々の失敗体験をお伝えしたいと思います。
私が、就職活動をしていたのは、ITバブル、ITベンチャーブームなどが起きていた2000年になります。大学では化学を学んでいました。就職活動時期になると、出来るだけ大企業で、安定している会社が良いみたいな風潮があり、まず最初は、私も化学メーカの説明会などに行っていましたが、当時、yahooの株が1株1億円を超えていて、ニュースなどで何度も報道されていました。それらのニュースをみて、IT業界という存在を知りました。
それをきっかけにIT業界を調べているうちに、ベンチャー企業で、新しい製品、サービスなどを開発したいという思いが強くなり、化学メーカーと並行して、ITのベンチャー企業の説明会なども行くようになりました。説明会などに行くと、重厚長大な化学メーカーより、とにかくスピード感があり、どんどん挑戦していける感覚がして、IT企業特に、これから自社サービスを開発していこうとしている会社に心が惹かれました。
自社サービスを企画・開発・販売したいと思って、これから、自社サービスを作っていきたいと当時の社長が力強く言っていたこのエクスウェアに入社を決めたのですが、そんな簡単に自社サービスを作れる環境ではありませんでした。
今ならわかりますが、自社サービスを作りたいと言っている会社と自社サービスを作って販売している会社(さらに言えば、自社サービス事業において、開発・販売して利益を上げている会社)には、大きな大きな壁があります。
当時のエクスウェアは、大手SIerに常駐して、仕事をしていました。その仕事をやめると、そのままその分売上も減るので、自社サービスの開発に着手することだけでも、壁がありました。
初めての自社サービス開発
私が手掛けた自社サービスの一歩目は、当時、docomo から新発売された iアプリが動く携帯電話のアプリを開発することでした。iアプリとiPhoneアプリは全く別物です。
新入社員だった私は、Java という言語で作成する iアプリの開発を始めました、当時、Java 言語はメジャーな言語でもなく、周りに出来る人もいなかったので、ネットや本などをみながら、自分なりに独学でアプリを作っていきました。当時、東京本部長(現社長)の滝本さんが、ゴルフをやっていたのもあり、ゴルフのスコアを管理するアプリなんて良いんじゃないというアドバイスをもらいアプリの作成を始めました。
自社サービスを開発するという第一の壁は、単純に、仕事が終わった夜とか、土日祝日などに自分の時間で開発することで、簡単に乗り越えましたが、新入社員でプログラム開発の経験もなかったので、2001年の4~9月くらいと半年くらいかけてアプリを作りました。
作ったあとに知ったのですが、docomo の iアプリのストアでアプリの販売をするには、google play や app store で販売するような簡単な仕組みもなく、多額な費用が必要で、不特定多数の方にアプリを使ってもらうことはほぼ不可能な状態でした。
つまり、どんな良いアプリだったとしても、販売する販路が全くない状況でした。
営業する力があれば、そのライセンスを持っている大手ゲーム会社などに売り込みに行くようなことも案としてはあったかもしれませんが、当時はそのような考えも浮かばず、会社内でゴルフに行くときに、利用してもらったくらいで終わりました。
本来の目的の自社サービスを出すということは出来ませんでしたが、システム開発経験のなかった新入社員が、設計、開発を行い、ゴルフ場でのユーザ試験を経験し、新しい言語の Java を習得できたのは、エンジニアとしての大きな成長にはつながりました。
数々の自社サービスの開発と失敗
この開発が完了した直後に、第二段の製品開発を着手しました。アプリの開発を通して学んだ Java 言語を使って、新卒採用のコンテンツとして、システムエンジニアを体験する ロールプレイング型WEBシステムを作ろうという話になり、滝本さん(現社長)、古家さん(現取締役)など数名で、インターネット上でユーザ登録すれば誰でも利用できるロールプレイング型WEBシステムの開発と、そこで動作するシナリオや選択肢、画像などすべてを作成して、公開までたどり着きました。
こちらは、当時のエクスウェアの新卒募集サイトで、数年間運用され、一定の効果もあったと思います。
さらに、このシステムを販売しようと、新卒採用ポータルサイト会社に販売を持ちかけました。
商談は進んでいきましたが、最終的な販売額を掲示する際、問題になったのが、第二の壁です。
開発は、仕事終わりや土日祝日などで進めてきましたが、システムの運用となると、そうはいきません。このサービスを運用するためには、大手SIerに常駐して仕事をしていたのをやめなければいけません。
これを辞めるためには、大手SIerからもらえる金額以上の売上をこのサービスで稼がなければいけません、また、今まで実施したことのない、サーバの運用や各社に利用してもらうための営業など、色々な要素が必要になります。
これらの壁は、非常に高く、乗り越えることは出来ずに、あくまで自社だけで利用したサービスとして、数年運用したのち、コンテンツの更新などが出来ずに、廃止しました。
その後も、当時は、この壁を乗り越えることより、システムを作ることばかり目がいっており、e-learing システムを作ったり、日報管理システムを作ったりしましたが、ロールプレイング型WEBシステムと同様に、他社に売るのではなく、自社での利用するだけで。
ただ、これらのシステムを社内利用しただけでなく、システムを作って、社内とは言え、運用していくことで、着実にスキルが向上し、受託開発含めて、Java でのシステム開発の仕事は確実に増えていきました。
仕事の形態も会社全体から見れば、ほんの一部ではありますが、受託開発として、自社で開発作業をする(常駐型でない)仕事も増えていきました。
これにより、少しずつシステムの運用・保守という壁は少しずつ下がっていきました。
#2 へ続く
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