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こんにちは!柴田屋ホールディングス・広報の大貫です。
今回は、柴田屋ホールディングス料理部門の料理長である神谷謙二さんのご紹介をしたいと思います!
シェフからビール醸造家へ転身、そして今は弊社の料理関係を全て取りまとめる料理長という二足の草鞋を履く神谷さん。彼が醸造家になるに至ったのは、ある体験があったからなのだとか・・・。
【シェフになったきっかけ】
長野県出身で、地元の高校を卒業したものの、当時はバブル崩壊直後で不況の真っただ中。“良い大学に入って大企業に就職できれば一生安泰”、そんな神話は誰も信用しない時代でした。
「信じられるのは自分だけ」
そう思い立ち、地元長野のフレンチレストランの門を叩きました。そこは地元の名士が集う世界的にも有名な店だったこともあり、「ガキはいらねーよ」と門前払い。
そこで、そもそもなぜ料理を目指すのか、フレンチなのか・・・と今一度自分を見つめ直し導き出したのが料理が持つ「無限の可能性」でした。
当時放送されていた王様のレストランというドラマの中で、ギャルソン役の松本幸四郎が「人は、料理の前では平等でございます」というシーンがあり、これだ!と思ったんです。
「料理には、王様であろうと庶民であろうと、平等に人々を幸せにすることができる力がある。ならば、世界中で愛されている料理、フレンチがやりたい!」
【これが職人の世界か・・・】
“職人の世界は厳しい”
頭では当然わかっていたものの、有名店であればあるほどその厳しさは増します。仕事を教えてもらえるなどあるはずも無く・・・。専ら厨房やホールの掃除が自分の業務でした。
3年が経過し、「追い回し」として雑用を任されるまでになりました。その間は先輩料理人の動きを横目で追いながら、何をしているのか記憶に留め、業務終了後ひとつひとつ思い返してメモに残すを繰り返しました。
今だったらアウトとなってしまうような、ドラマの中だけと思っていたようなシーンも実際にありましたが、それでも夢をあきらめることはありませんでした。
そして35歳の頃、ついに「スーシェフ(副料理長)」としてナンバー2まで登りつめ、フレンチの命であるソースを全面的に任されるまでになったんです。
【運命を変えたクラフトビールとの出会い】
「料理の味を邪魔をしないし、普通のビールが一番おいしい」
そう思い込んでいたのですが、東京に遊びに行った際に立ち寄った高円寺麦酒工房で「クリーム(現サンシャインゴールド)」を飲んだ時の衝撃は今でも忘れません。
“挽きたての小麦から香るパッションフルーツのアロマと、ホップ由来のグレープフルーツのような爽やかさ。そして包み込むようなやさしい苦味。”
「こういうビールなら料理の旨味を引き立てることができる」
それからは東京に来る度にビール工房に立ち寄っていました。当時、ビール工房はブリューパブのパイオニアとして、連日のように取材を受け大盛況。
これほどまで多くの人を魅了する「できたてクラフトビール」。それを造り出す世界への憧れが強くなりつつあるのを、自分でも気づき始めていました。
有名店でスーシェフにまでなった神谷さん。普通のビールが一番という考えが、ビール工房が造る「できたてクラフトビール」との出会いにより一変しました。
次回は、神谷さんの醸造家への道のりをお伝えします。