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ライフプランナーに転身したから、コンフォートゾーンを抜け出せた。「世界は私次第で変えられる」プルデンシャル生命 柳澤 彰子 <前編>

「コンフォートゾーン」という言葉がある。心理学等の用語で、ストレスや不安がなく、限りなく落ち着いた精神でいられる場所や生活状態を指す言葉だ。コンフォートゾーンはとても居心地がよい。その反面、果たしてその「心地よい場所」に安住したままでよいのだろうかと悩むこともあるかもしれない。

この悩みに、正面から向き合ってきた人がいる。プルデンシャル生命のライフプランナー、柳澤彰子さん。彼女は40歳で、アパレル業界から実力主義でフルコミッションの金融の世界へ飛び込んだ。そして、自分の「コンフォートゾーン」に気づき、そこから脱した人でもある。

「勇気を出して一歩踏み出してみたら、これまで見ていた世界が全部変わったんです」。
そう話してくれた彼女が歩んできた道とは――。

「人のために、祈れる」仕事。それがライフプランナー

新年早々、初詣でにぎわう東京・赤坂にある日枝神社に柳澤さんの姿があった。由緒あるこの日枝神社は、プルデンシャル生命の本社ビルからほど近い場所にある。柳澤さんがこの神社での撮影を選んだのは理由があった。

「ある日、女性のお客さまから『大きな手術をすることになってしまった』と連絡がありました。お若いお客さまからの連絡に驚くと同時に、『なぜ彼女が……』とやるせない気持ちでいっぱいでした。もちろん入院給付金の請求などの保険に関する手続きは済ませましたが、それだけではいてもたってもいられなくて。この日枝神社にお参りに来たんです。お守りもお渡ししたいな、と」

その後、お客さまの手術は無事に成功し、今では通常の生活に戻っているという。

「無事に手術が終わってホッとする気持ちと同時に、『誰かのことを家族のことのように祈れる』っていう、今までに経験したことがない仕事に就いている喜びを実感しました。彼女はもともと友人でもありましたが、術前に病気のことを打ち明けてくれたのは、私が彼女の担当ライフプランナーだったからだと思います。友人のことをそれまでよりも深く知り、近くで支えることができました」

「たとえお客さまに辛いことがあっても、その痛みを分かち合ってお気持ちを理解したいし、お辛いときこそ寄り添えるこの仕事に誇りを持っています」

楽しかったアパレルの仕事。けれど「私じゃなくてもいい」仕事になっていた

そんな柳澤さんは、40歳の時にライフプランナーとしてプルデンシャルに入社した。

同社に入社するライフプランナーの中では、決して若い方ではない。なぜフルコミッションで実力主義の生命保険会社である、プルデンシャルへの転職を選んだのか。

「前々職は飲食業、前職はアパレルで販売員と、生命保険の営業とはまったく違う世界にいました。私が仕事を選ぶときの軸は、『目の前の人が喜んでくれるかどうか』。特に洋服の販売員は、お客さまの反応がダイレクトにいただけるとても楽しい仕事でした」

「できればずっと続けたいと思っていた」と笑う柳澤さん。しかし、アパレル業界のEC化という波は、柳澤さんを悩ませることになる。

「服はECサイトで買うという時代に突入していきました。『柳澤さんに選んでもらいたい』と指名してくださるお客さまもいらっしゃいましたが、それもどんどん減っていく。しまいにはネットでサイズ違いを購入したお客さまが、合わなかったサイズの洋服を店舗で返品する対応に追われるように……。自分にしかできない仕事、とは思えなくなっていました」

「人生をかけられる仕事」を求め、プルデンシャルと出会った

「自分にしかできない仕事がしたい」と、転職を決意した柳澤さん。転職エージェントに登録し、紹介してもらった大手企業数社に応募した。

「ほとんどの会社から“秒で”内定が出ました。それにちょっとびっくりしてしまって……。ホッとする反面、でもそれって私以外の応募者にも同じように内定を出しているんだろうなと思ったんです」

そこで柳澤さんは、内定が出たある会社の先輩社員との面談を希望した。そこで言われたのは「誰にでもできる簡単な仕事だから、心配しなくても大丈夫ですよ!」という言葉だった。

心がざわついた。かけて欲しかった言葉ではなかったからだ。

「人生をかけられる仕事を探しているのに、『誰にでもできる簡単な仕事』では嫌だと思いました。それじゃ転職する意味がないし、結局私じゃなくてもいいじゃんって」

柳澤さんは少しさみしそうに笑う。

そんな柳澤さんを見たエージェント担当者から、「プルデンシャルという保険会社は知っているか」と聞かれた。 「当時の私はプルデンシャルを知りませんでした。エージェント経由の応募は受け付けない会社だと言われ、ホームページから直接応募してみたんです」

そうして柳澤さんは、当時支社長だった、現プルデンシャル生命執行役員の長谷川尚子さんと出会う。

「一瞬で長谷川さんから目が離せなくなりました。アパレル業界にいたので、センスが良くて美しい方はたくさん見てきた。でも、長谷川さんから溢れていたのは、容姿だけではなく、仕事への誇りと自信、そして全身から放つオーラ。そのカリスマ性に一目惚れしてしまって。『私もいつかこうなりたい』『毎日こんな人たちに囲まれていたい』と心から思える会社と巡り合えたんです」

「一番になってはいけない」と暗示をかけていた。コンフォートゾーンから抜け出せたきっかけ

「プルデンシャルで“ライフプランナー”になりたい」という願いは叶ったものの、入社後は全く結果が出ていなかった時期もあったという。

「プルデンシャルには、全てのライフプランナーが目指すと言っても過言ではない、大きなコンテストがあります。入賞できるのは、上位十数%のトップランナーのみ。私自身は、入社して意識が高い先輩方に囲まれているだけで幸せでしたから、自分が入賞することを想像することもなかったし、数字を追いかけることもありませんでした。今でもまだ入賞したことはありませんが、『それでいいや』と思っていた自分がいたんです」

これまでMy Rulesに登場したライフプランナーは、努力を重ね、仲間と切磋琢磨し、少しでも上へと高みを目指す人ばかりだった。だからこそ、柳澤さんの言葉に少し驚いた。

「私は、幼少期から『1番になっちゃいけない』と考える子でした。それは幼稚園の頃の小さな体験がきっかけになっているのですが、1番になって注目されてはいけない、でも悪目立ちしてもいけない。“中の上”くらいをずっとキープできるよう、ほどほどに頑張ろう、といつも考えていました」

つまり、“目立たない場所”が 柳澤さんのコンフォートゾーンで、それはライフプランナーになっても変わらなかった。

しかし、話はここで終わらない。柳澤さんは今期V字回復を果たし、自己最高の営業成績を残している。これにはある理由があった。


続きはプルデンシャル生命が運営する、自分らしく「働き・生きる」人を応援するメディア 《MIMOSA MAGAZINEーミモザマガジン》でぜひご覧ください。

ライフプランナーに転身したから、コンフォートゾーンを抜け出せた。「世界は私次第で変えられる」プルデンシャル生命 柳澤 彰子 <前編> - MIMOSA MAGAZINE(ミモザマガジン)
「コンフォートゾーン」という言葉がある。心理学等の用語で、ストレスや不安がなく、限りなく落ち着いた精神でいられる場所や生活状態を指す言葉だ。コンフォートゾーンはとても居心地がよい。その反面、果たしてその「心地よい場所」に安住したままでよいのだろうかと悩むこともあるかもしれない。 ...
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