今回は、東京大学卒・前職は大手広告代理店という経歴を持つ、石渡英敬(いしわた・ひでたか)への取材。
エグゼクティブ・ライフプランナーとして多くのお客様から信頼を得る石渡。一方、取材では「成功ばかりの道ではなかった」と語るシーンもありました。
『挫折からの転機』を掴み取り、「90歳でも100歳でも現役を続けていきたい」と語る石渡のライフプランナーとしての在り方に迫ります!
―――最初に自己紹介をお願いします。
石渡英敬と申します。ライフプランナーという仕事をしております。
2005年の1月に入社し、7年目に管理職のポジションにも挑戦しましたが、やはりライフプランナーの方が向いていると感じ、再びライフプランナーとしてのキャリアを歩んでおります。2015年5月にエグゼクティブ・ライフプランナーに昇任致しました。
<キャリア備考>
2005年:入社
2006年:シニア・ライフプランナー 昇任
2008年:コンサルティング・ライフプランナー 昇任
2011年:営業所長 就任
2012年:シニアコンサルティング・ライフプランナー 昇任
2015年:エグゼクティブ・ライフプランナー 昇任
―――石渡さんは、ライフプランナーとしてどのようなマーケットを軸に、エグゼクティブ・ライフプランナー まで成果を残し続けてきたのでしょうか。
まずは身内や友人・知人などからマーケットを広げていくライフプランナーが多く、私の場合もそうでした。
しかし、私の場合、このまま知り合いの延長線上にマーケットを広げていけたとしても、本当に自分の『やりたいこと』や『やりがい』を満たしていくことができるだろうか?と疑問を持つようになりました。
そこから改めて『自分にとっての顧客は誰なのか?』を考えなおすようになり、自分の生い立ちを活かす働き方に挑戦したいと思うようになりました。
元々、私の祖父は戦前に八百屋を興し、戦後にそれをスーパーマーケットへと拡大し、私の父が2代目、兄が3代目として会社を継承してきました。
サラリーマン家庭で育った人よりも、オーナー経営者の家庭で育ったことは、私がプルデンシャル生命でマーケットを広げていく上での強みにできるのではないかと考えました。
今の世の中、ちょうど戦後に生まれた優良企業の2代目・3代目の経営者の方々が、事業の承継や相続のことで頭を悩ませている。そこにライフプランナーとして関わらせていただくことを私の仕事に定めていくようになりました。
―――元々は大手広告代理店にお勤めだったと伺っております。
東京大学を卒業し大手広告代理店という輝かしいルートを歩まれてきたようにも思われますが、なぜフルコミッションのプルデンシャル生命に転職されたのでしょうか。
大手広告代理店で働く当時の私の役割は、期待する広告効果を数字を以って測定し、広告効果に説明責任を持たせることでした。
しかし、さまざまなアプローチを繰り返してみても、期待されるアウトプットはなかなか出せないことが続きました。また、他部署に移ってからも思うように適応しきれず、産業医に薬を処方されるまで精神的に追い詰められることもありました。
プルデンシャル生命から「ライフプランナーとして挑戦してみないか?」と声をかけられたときの私は、メインの仕事から外され、「9時―17時で会社に行き、ある程度の仕事をこなし、家に帰る」という日々を送っていた、そんな29歳でした。
声をかけられた時、『自分の人生は、これでいいのか?』と思いましたね。いま思えば、「病んでしまったメンタルの荒療治にトライしてみたい!人生このままではつまらない」という想いが強くなり、転職に至ったんだと思います。
―――ご経歴からは想像できない『挫折と転機』ですね。
ではプルデンシャル生命に転職せず、このまま前職に残り続けていたら…。どのような今を歩まれていたと思われますか?
私の転職はステップアップなどと言える綺麗な話ではなく、新しい人生の転機を掴むための転職でした。
もし私が前職に残り続けていたら…想像するのも怖いですね。
おそらく、新しいチャレンジをすることもなく、『定年まで会社にすがり続ける』そういう人になっていたかもしれません。29歳のときにすでにそういう人になりかけていたので。
あのとき「荒療治へのトライ」を決断していたからこそ、今の私があります。
40代後半になった今、前職で近い年次だった人たちの中には、早期退職制度を利用して新しいフィールドに飛び込んでいる人もいます。それができる人はある程度以上の力を持った人だけでしょう。今の私なら、もしも会社がつぶれても(つぶれるはずはありませんが)何か新たな仕事で生きていけるのではないか、と思います。
―――ありがとうございます。
突出した成果を残し続けてきた、石渡さんの営業パーソンとしての強み・武器を教えて頂けますか。
また長くライフプランナーを務める中で、仕事の在り方に変化はありましたか。
『自分の顧客は誰なのか』を定めることが重要とお話しましたが、同時に『競合は誰(何)なのか』という視点も非常に大切だと考えています。同業他社のセールスパーソンが競合であることはもちろんですが、オーナー経営者を顧客にした場合、銀行や顧問税理士が競合になることもあります。
そのような方々が提供していることと同じコトを提供していたのでは、大切な存在として選ばれません。「ライバルが提供できない価値はどこにあるのだろうか」を研究し、さらに自分の強みをどう発揮していくのか。そこを考え続けてきた結果、ここまで成果をだすことができたのではないかと思います。
また営業の在り方については、入社後数年間、今の私とは比べものにならないほどタフに動いていたことも、支えになっています。
今はタフに動くこと以上に“プルデンシャル生命のライフプランナーだからこそ提供できる価値は何か?”を深く考えることに重点を置いています。
その結果、お客様に喜んで頂ける機会が増え、さらに大きな仕事を任せて頂いたり、大切な方のご紹介に繋がるようになりました。
―――プルデンシャル生命では、仕事や時間を自分でコントロールできる働き方ですが、自分なりに決めているルールや意識していることはありますか?
そうですね、おっしゃる通りで、全てを自分で決められます。誰からも「いつ・何をやってくれ」と指示されることはありません。
もし、誰かが私の生活の24時間を撮影してくれていたら、その映像を「大事な自分の家族やお客様に見せても胸を張れる状態に自分はいるだろうか?」という問いを、常に自分に投げかけていますね。
―――誠実な石渡さんらしい、お話ですね。
長く仕事を続けていく上で、年齢を重ねるごとに仕事への不安を募らせる方もいらっしゃるかと思います。現状、健康面での不安・心配を抱くことはないのでしょうか。また何歳まで現役のライフプランナーを務めたいとお考えですか。
今のところは心身ともに元気ですが、確かに出張等でスーツケースをゴロゴロ運びながらの階段の上り下りなどのときに「これを何歳までできるだろうか?」とふと思うことはあります。
一方で、私自身は90歳でも100歳でも“現役を続けていきたい”という気持ちを持っています。今のプルデンシャル生命の制度では80歳が上限ですが、あくまでも今現在のルールだと思っています。私が80歳になる頃には、『85歳でも90歳でも現役であり続けられる』という状態になってくれていると、会社に期待しています。
―――まさに“生涯現役”ですね!
そんな石渡さんが思う“ライフプランナーとしてのやりがい”は何でしょうか?
私が関わるお客様は、オーナー経営者様だけではなく、その方のご家族・後継者になる方・会社の幹部社員の方々、さらに弁護士や税理士など各種の専門家の皆さんも含め、関係者は多岐にわたります。
多くの方々にとっての事業承継や相続というプロジェクトにおいて、プロジェクト全体を前に進めていくポジションをお任せいただけた時、ライフプランナーとしての責任とやりがいを感じます。どちらかというと、やりがいよりも責任の方を重く感じて、プレッシャーにつぶされそうに感じることもありますね。
―――では最後に、40代・50代からプルデンシャル生命に転職をチャレンジする方に一言頂戴できますでしょうか。
事業承継や相続の仕事は、70代の方をお相手することが多くあります。
人生を積み重ねた40代・50代、またはそれ以上でないと務まらないのではないか?と私は思います。
これまでのキャリアを生かして、ご縁があればぜひトライしていただきたいですね。