PA, Inc. (PAアメリカ本部)で働いたのち、1999年から5年間、プロジェクトアドベンチャージャパン(PAJ)のフルタイムスタッフだったアダム・クラーク(Adam Clark)。日本語が全くできないまま来日してPAJで働き、現在、在日19年です。アダムにとってのPAについてききました。
アドベンチャーとの出会い
ーーアドベンチャーとの出会いは?
小学6年生のときにキャンププログラムに参加し、野外での体験学習を楽しみました。将来の職業となるアドベンチャーに出会ったその時のことをよく覚えています。ゲームをしたり、グループと共にいたり、ロープスコースに登ることで生計を立てらるとは信じられなかったし、それが実現可能なのかはわかりませんでしたが、それが私がやりたいことだと思いました。
その後、高校生のときにアウトドアショップでアルバイトをしていました。その店のオーナーはPA, Inc. の経営についてのアドバイスをしていました。私がアドベンチャーに興味があるのを知っていて、ジム・ショーエル(PA創始者のひとり)に私のことを紹介しましたたのです。それが私の人生の中で長きに渡ってジムとの親交を深めていく始まりだったのです。ジムは私をPAのサマーキャンプのカウンセラーとして連れ出し、後にPA, Inc. でインターンシップをする支援をしてくれました。そしてジムの家の納屋の2階に住まわせてくれたのです。
ジムとカール
ジムに会ったとき、私は高校の生徒会の会長をしていて、30人くらいのメンバーをPAのロープスコースに連れて行きチームビルディングをしました。PAの楽しい雰囲気はとても印象に残りました。ジムからPAのちからを感じ、グループとしても個人としても影響を受けました。
大学を卒業した後、カール・ロンキ(PA創始者のひとり)が、私立学校の採用候補者として私を指名してくれました。その学校は美しい森の中に大きなロープスコースをつくり、体験教育プログラムを準備していたのです。私は22歳からディレクターとして5年間働きました。その後、PA, Inc. でフルタイムのトレーナー兼コンサルタントとして働いていました。
PAJ創世記
ーーPAJに入ったきっかけは?
日本に来たい個人的な理由もありましたが、PAJがすごい勢いでPAの場を築いていることに興味がありました。1990年代後半にPA, Inc. から派遣されて玉川学園でプログラムを行ったのが始まりでした。
当時私が見た日本でのアドベンチャーの発展段階は、私が想像するPA創世記の1970年代、カール・ロンキ(アクティビティの神様と呼ばれる)やジム・ショーエル(アドベンチャーベースドカウンセリングを生み出す)がアメリカでPAを始めたときに似ているのではないかと思いました。林さんやPAJメンバーが日本でアドベンチャーフィールドを築き始めたばかりで、そこに加われることにわくわくしました。
人々がPAに触れ、何かパワフルなものが育っている時期だったのです。自然の家や学校にロープスコースが建ち始めていました。文部科学省でも変化が起きる中で、先生たちは体験教育をどのように教育の現場で生かすかということに興味を持っていました。
PAJスタッフと全国の教育者が一緒にこの流れに取り組むことは、私たち全員にとって素晴らしいものでした。 当時、私はまだかなり若かったのですが、アメリカで多くの経験を積んでいたので、日本のアドベンチャー分野の成長に役立つことができるのではないかと思っていました。
ソウルとスピリット
先日亡くなったカール・ロンキと最初に働いたのは、私が大学生のときにPA, Inc. のインターンシップをしていたときでした。その後、PA, Inc. で一緒に働きました。
私はカールと一緒にかなりの数のプログラムとロープスコースの施工や検査の仕事をできて、本当に幸運でした。あるとき、大きなジップラインを作りに行く途中に交通渋滞に巻き込まれました。 私は高速道路に何千台もの車が連なっていて現場にたどり着かないような気持ちになっていました。
そのときカールは「ここにある全ての車の中で、今日ジップラインを建てにいくのはおそらく私たちだけ。素晴らしいじゃないか」と私に微笑んで言いました。働くということは重要な学びの機会です。カールは何気ないやりとりの中で、「FUN」の本質や「アドベンチャー」の核心を教えてくれたような気がします。
カールとジムは私に異なる影響を与えてくれました。2人を説明する方法のひとつとして例をあげると、ジム・ショールが「アドベンチャーのソウル」を体現し、カール・ロンキが「アドベンチャーのスピリット」をより纏っているということです。
ーーソウルとスピリットの意味は?
「アドベンチャーのソウル」はよりプロセスに近いもの。言い方を変えると、アドベンチャー体験を比喩(メタファ)やふりかえり、その他の方法を通してファシリテーションする意味と重要性です。
カールにももちろんその部分はありましたが、ジムはよりそこに深く焦点を当てていました。「これが意味するものは何か?」「このアクティビティの深部は何か?」「何が学びを形づくっているか」を考え続けている人です。
ジムも楽しいことが好きですが、カールはアクティビティ自体が主軸です。 カールはコンフォートゾーンを物理的に広げていくことを後押しする人でした。「これを私たちが試してみたらどうなるだろうか…(ここにクレイジーな提案が続きます)」と言って、ほとんどの場合、まったく議論のないまま、彼の持つ新しくて面白くて、少しとんでもないことに持っていかれるのです。 FUNは常にカールの中心にありました。 カールは人々にとって「楽しい」とは何かを深く感じ取っていました。
両者の比較ではなく、どちらからも学べたことに感謝しています。カールはアドベンチャーの中で、最もFUNな部分の波長に楽々とチューニングし、ジムはアドベンチャー体験の完全な意味への道を指し示してくれました。
この「FUN」と「意味」の2つはアドベンチャーにとって、一番大切な要素です。その両方が共にあることで力強い師となるのです。
コンビネーションから生まれてくるもの
ファシリテーターとしての私は、長い道のりの中で出会った人たちからさまざまな影響を受けて出来ています。私が活動の準備をしたり、1日をどう過ごすかを考えているとき、私は自分のスタイルの中に、ジム・グラウト(Jim Grout)とニッキ・ホール(Nicki Hall)(どちらもHigh5アドベンチャーラーニングセンター 所属)を感じます。
ジム・グラウトは、飾らない、素敵な方法で人々とつながるのです。グループの人数が60人でも5人でも、参加者は彼が自分に向けて話しかけていると感じます。
ニッキ・ホールからは、ファシリテーターとして、上からみるのではなく、「グループの一員としてグループにいること」と「柔らかなあり方」を学びました。 彼女はファシリテーターとしてもクライマーとしても素晴らしい能力を持っていますが、人々が安心して挑戦できるような、そっとそこにいるような姿勢でファシリテートします。
ニッキを見ていると、私にもできるかもしれないと思えるのです。 そう思わせるオープンさが彼女にはあります。 私が2人のようになれているかはわかりませんが、私が自分のスタイルを確立する際に、私は2人のよさを取り入れようとしてきました。
ジム・ショーエルからは「時間をかけること」を学びました。彼は「時間をかけること」の達人です。
PAを始めた頃は特に、私はすぐ次のアクティビティに行こうとする傾向がありました。ジム・ショーエルは「次に行かずに、これを続けよう。ここにはたくさんの意味がある」と言っていました。時にジムがずっと考えているのを待っていなければなりません(笑)。それがジム・ショーエルです。彼は急ぎません、「ジム時間」です(笑)。私にはさまざまな「師」がいて、とても感謝しています。
PAを使い続ける
ーーいまは何をしていますか?
2012年、大学院でカウンセリング心理学の修士を取り、横浜インターナショナルスクールのスクールカウンセラーをしています。
ーーいまもPAを使っていますか?
もちろん。年度の初めにアイスブレイクをしたり、クラスでも頻繁にアクティビティをしています。
重要なことはアクティビティだけではありません。多くの治療のアプローチでは、カウンセリングルームで計画したりふりかえったものを、実際の生活の中で自分の行動に取り組みます。 それはPAのベースを形成するアドベンチャーウェーブ(フレーミング、アクティビティ、ディブリーフィング)のプロセスと同じです。いま私が学校でしていることは、アドベンチャープログラムのようには見えないかもしれませんが、全て同じです。
別の例として、世界中のインターナショナルスクールの教育と学習を支えている「探究型学習」は、アドベンチャーにおける問題解決型の活動(イニシアティブ)のプロセスと同じで、問題が提示され、調査、計画して解決策をつくります。
アドベンチャープログラムとは異なって見えても、多くのプロセスは似ています。私はアドベンチャーと同じ「楽しさ」や「発見」のスピリットをもたらすようにしています。見え方は違いますが、私はいまでもPAと同じアプローチを取っています。
ーーアドベンチャーの「要素」を使っているのですね。
数年前に伊豆で禅師と話をしていたときに、どれくらいの頻度で瞑想をしているのかを尋ねました。禅師は、「私は前ほど座って瞑想をしません。若いときはたくさんしていましたが、いまは日々の生活の中で瞑想しています。私が寺院で作業をしているとき、それも瞑想のひとつの形です。 寺院の会計に集中しているときも瞑想です」
私にとってはアドベンチャーを使うことはそういうことかもしれません。アクティビティという形を取らなくても、生徒とのクラブ活動や教室で教えているときの会話の中にアドベンチャーはあるのです。
ーーアダム自身がアドベンチャーなのですね。
私はラッキーでした。本当にたくさんの人が私に影響を与えてくれました。そして私はいまでも常に学び続けています。私の中にも、アドベンチャーを使って教えたり学んでいる全ての人の中にも、カールの一部分が入っています。私たちは人々を支援するために「Have Fun(楽しむ)」を使い、そして人生をエンジョイしながら学んでいます。
カールがプログラムの最初によく使っていた素晴らしい言葉があります。「今日あなたに起こる最悪のことは、あなたが楽しむこと(=悪いことなんてなくて、楽しいことばかり)。今日起こる最高のことは、楽しんで何かを学ぶこと」です。
最悪なことが楽しむことなのだから、すごいアプローチだと思いませんか?!対立が起きたり、つまづきがあったとしても、それは楽しんでいるうちに出てきたのかもしれません。幸いなことに私たちはそこから何かを学ぶことができます。
共にあること
ーーファシリテーター、カウンセラー、教育者として一番大事な要素は何ですか?
私が特に大切にしていることのひとつは、カール・ロジャーズの「無条件の肯定的配慮(unconditional positive regard)」です。 私は一緒にいる人々と一緒にいることを心から楽しんでいます。 それは人から人へ広がり、他者に対する心からの敬意を育むと思います。
何かを共にする人々は大きな価値をもたらします。 それはフルバリューというグループの規範と個々の価値の両方につながっています。
私は一緒にいる人々に感謝し、その人達が得たものと苦しみの両方を尊重しています。 限られた時間の中でできる限りのことをします。 私たちは人生の経験を通して、よりよくなっていくことを学んでいます。
日本人とフルバリュー
ーーフルバリューを日本の参加者に伝えるのに難しさを感じたことはありますか?
ありましたね。日本人がフルバリューにコミット(同意)するとき、かなり真剣になることが多いです。あまり軽めの会話にはなりません。
一般的にアメリカでは、「OK、OK、フルバリューしよう!」という感じで軽く受け取る感じがあります。時には「ちょっと待って!ゆっくりやろうよ、これは真剣なものなんだよ!」と言いたくなることもあるくらいです(笑)
一方で日本人のグループでは真剣に取りすぎて、難しいことがあります。あることにコミットする前に理解をすることも大切ですが、ときにはそれが何であるかを理解するためにコミットしなければならない場合もあります。それがまさに体験学習とは何かということだと思いませんか?
あるABC(アドベンチャーベースドカウンセリング)ワークショップでは、5日間の中の4日目になってもフルバリューにコミットできないままだったこともありました。ときにはその遅れが何かの機会を失ってしまったと感じることがありました。
ガーデナーとして
私は自由な状態の場所をつくる、ガーデナー(庭師)のように働こうとしてきました。人々が伸びたいように伸び、育つために、私ができる限りのことをしています。
アラン・ワッツ(Alan Watts)の詩に、
「春の景色の中で、素晴らしいものも、劣っているものもない。
花々は自然に伸びる。
あるものは長く、あるものは短く」
というものがあります。太陽、水、栄養、肥料などがあり、植物は育ちます。そこは人々が共にある美しい場所です。驚いたことに、そこではいつも必ず素晴らしいことが生まれる場所なのです。
そこには、グループの中にいる人たちのお互いを認めあう気持ちと、一人ひとりからグループにもたらされるものが存在します。グループでは人々の間にお互いを認めあう気持ちと一人ひとりが持ち寄るものがあります。
プロセスを尊重し、そこに関わること、楽しさをつくること、一人ひとりが考えるために問いかけをすること、それがガーデナー(ファシリテーター)がすることであり、私の根本にある信念だと思っています。
日本でプログラムをやるようになって、ファシリテーターとして一番最初に覚えた言葉は「まずやってみよう」でした(笑)。まずやってみて、そこから見つけていこうと。体験教育の中でとても大切なことです。
(20201002)