1
/
5

コラム やる、やり切る。

湯船の湯温を2度下げるだけで、風呂上がりがとても快適になっているKANです(夏でもちゃんと、お風呂に浸かりましょう。快眠のススメです)。

2024年8月31日、大泉工場の敷地内にある、100% Plant Based Bakery Cafe「1110 CAFE/BAKERY」のパンメニューが、大幅に刷新されます。

多分、日本初となる、動物性の食品を、一切使わないで作る、13種類のロールパンが一堂に会する「Eat one’s fill of Rolls!」。

様々な困難を乗り越え、スタッフたちが夜を徹して準備に励んでくれたおかげで、本当に素晴らしいメニューが誕生。感謝しかありません。

新しいことに挑戦する人々に対して、自分は心の底から尊敬をしています。

オーストリアの心理学書である、アドラーの言葉の一つに、「行動(挑戦)しないことは、失敗することよりも恐ろしい」という、自分の大切にしている一節があります。

挑戦することには、失敗する可能性もともないます。しかし、自分は、挑戦することでしか、人は本当の成長や自信を得られないんじゃないかなと考えています。

結果はどうあれ(1110 CAFE/BAKERYの新メニューやプレゼンテーションは、本当に素晴らしいので、絶対成功します)、今回のプロジェクトに関わってくれたスタッフが成長し、自信をつけてくれることが嬉しくてたまりません。

自分もまだまだ挑戦をし続け、成長していくわけですが、今回は、未来に繋がる、ちょっとだけ過去の、自分のお話を。

13種類のPlant Based Rollsが楽しめる1110CAFE/BAKERY

■ポップコーン事業の思いつきと動き

2008年10月、自分が大泉工場に戻ったタイミングで、一つの事業アイデアがありました。

それは、街のテーマパーク化。郊外のショッピングモールに行って、同じような週末を過ごす、多くの人々の姿に、疑問を持っていたサラリーマン時代。街中にはめちゃくちゃ面白いコンテンツがあるのだから、もっと回遊して新しい発見だったり体験をしたらいいのに。そんなことを考えていました。

そして、テーマパークにはポップコーンが付きもの。このポップコーンを抑えることができたら、大きな富を得られる!

今思うと、とても浅いアイデアではありますが、当時の自分にとっては、とんでもないアイデアが思い浮かんだと、テンション爆上げでした。

このアイデア、誰にもパクられないよう、秘密裏に、粛々と進めていこう。

そんなことを思いながら、動き出したのを、覚えています。

友人との会食の際も、「すごいビジネスモデルを思い浮かべたけど、誰にもパクられないように、君にも話さない!」と、強固にこの話をしませんでした。

こんなド派手なポップコーン屋さんが街中にあったら面白いと、、、今も思う

■一向に進まない「事業化」

数ヶ月、そんな感じで過ごしていましたが、なかなか話は前に進まない。

当時の大泉工場のスタッフの人員配置は、現会長である、社長の母親、鋳物工場時代から残ってくれた60歳オーバーのおじいさん3名と経理のおばあさん、

清掃担当のおばあさんと、当時の会長(祖母)専属の運転手さん(だいたい事務所で昼寝していた)という構成。

ポップコーン事業の話を、このメンバーで形作るぞ!と息巻いていましたし、社内ではこの話をしていましたが、皆、若旦那がやってきて、よくわからない夢を語っとりますな〜。といった感じ。

もちろん皆さん、自分の話を聞き、なんとか力になろうと思ってくれていましたが、いかんせん、自分もポップコーン(というか食品ビジネス)に対する知見はゼロで、何もわからない。

そりゃ、何も進みません。

旧事務所の一コマ

■ふと気づいた、やるかやらないかの覚悟とスピード感

どんなタイミングだったか定かではありませんが、ふと、「自分がアイデアを思いついた時点で、地球上の70億人(2024年現在では80億人突破)の人々で、思いついていない人なんて、いないよな」と気づきました。そのアイデアが目の前にあるかないかは、ただやった人がいたか、いなかったかだけ。

厳密にいえば、そのアイデアをやった人がいたとしても、成功するまで愚直にやり切った人がいなかったら、そのアイデアは存在しないということと同じであると、自分の中で理解しました。

そこからは、考えと動き方を180度転換。とにかく、会う人会う人に、自分のこのアイデアをアウトプットし、可能性を広げていく動きに。

そして、忘れもしない2009年2月の厨房機器の展示会(東京ビックサイト)で、業務用調理器具製造メーカーの方とお話しし、大きく道が開けました。

自分のアウトプットから、どんどん人が繋がり、気づいたらアメリカのシンシナティという都市で、世界最大のポップコーンマシンおよびFUN FOOD供給メーカーの社長と、拙い英語で商談している自分がいました。

アメリカGOLD MEDAL社CEOとシンシナティで開催されたカンファレンスにて

■やるかやらないか

まだ20代だった自分は、お金のことにも疎く、身近にビジネスに関して相談できる相手もいませんでしたが、とにかくがむしゃらに、動きました。

不思議なことに、当時のことは、記憶力が恐ろしく乏しい自分の中に、結構残っています。多分、子どものように一年も、長かった。全てが新鮮で、刺激的で、時にはめっちゃ怒られましたし失敗もしましたが、愚直にやることを選び、突き進みました。

「思いついた時点で、同じことを考えている人は100人以上いる。誰が先にやるか、そしてやり切るか」 これが自分の行動哲学となり、今でも未来に向け、実践していることです。

人生最大の出会いの一つ、セントポールのビジネスパートナーTOMさんと、彼のサマーコテージにて。

新しいアイデアは、寝て起きるたびに増えています。

そして、支えてくれる仲間もどんどん増えています。

しっかり「素敵な環境を創造し続ける」という、大泉工場のVISIONを見つめ、どれをやり切るか、楽しんでいきたいと思います。

ぜひ、未来を見据えともに動く、素敵な仲間を大泉工場では常に募集しておりますので、お気軽にお問い合わせください。

www.oks-j.com

Invitation from 株式会社大泉工場
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社大泉工場's job postings

Weekly ranking

Show other rankings
Like 大泉寛太郎's Story
Let 大泉寛太郎's company know you're interested in their content