株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の会社情報 - Wantedly
株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)の魅力を伝えるコンテンツと、住所や代表・従業員などの会社情報です。外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップ。東京/インドネシア拠点🗼🇮🇩 移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを目指します ...
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プロフィール
私は東京都大田区・千鳥町で、母子家庭のもとに生まれ育ちました。町工場の多い地域で実家は産廃業を営んでおり、幼い頃から「大人になったら家の仕事を手伝うよ」と口にするたびに、祖父母が喜んでくれたのを覚えています。保育園の頃からよくしゃべる子だったようで、虫の話ばかりしていたことから将来は虫博士になるだろうと先生達から言われていました。(なりませんでした)
私は勉強が大の苦手で、"自分の価値を紙の上だけで測られてたまるか"と、社会に小さな反発と言い訳を呟きながら、小・中学生の頃は勉強そっちのけで友達と街を駆け回る日々を送っていました。なので当然、高校受験には失敗。仲の良かった友達とも離れ離れになり、勉強をおろそかにしてきた自分がとても情けなく感じました。その後、家業を継ぐことを考え、地元の工業高校に進学する道を選びました。
高校では小さい頃から好きだった卓球部に入ろうとした矢先、柔道部からの強引な勧誘を受け、これも何かのご縁と思いそのまま柔道部に入部。気づけば部長を務め、情けない自分を変えようと頭を丸めて3年間全力で打ち込みました。この経験を通して、私は「どんなに辛いことでも耐え抜ける」という自信と体力を身につけました。お世話になった先生方、部員、そして柔道部に誘ってくれた先輩方には今でも本当に感謝しています。
高校在学中は旋盤、アーク溶接、ガス溶接、フォークリフトなどの資格を取得しました。夢もなく淡々と過ぎて行く毎日に次第と「自分の人生、本当にこのままでいいのか」と疑問を感じるようになりました。そんな悩みを持った高校2年生の時、小学4年生から続けていたボーイスカウトの募金活動をきっかけに貧困問題に関心を抱き、「生まれた場所が違うだけで、なぜこんなにも暮らしに差があるのか」と強く疑問を抱くようになりました。どんなに貧しくても、ご飯くらいお腹いっぱい食べられる世の中であってほしい。そんな思いから、人々の暮らしを根幹から支える「農業」という産業に次第に魅力を感じるようになりました。家族の反対を押し切って、埼玉の農業大学への進学を決意しましたが、その中で唯一、母親だけは反対せず、私のやりたいことを応援してくれました。
母親の期待に応えるべく、大学では湿地が多い東南アジアでも育ちやすい里芋の研究を行い、現地をもっと深く知るために「NPO法人CFFジャパン」の活動でミャンマーを訪れました。初めての海外で緊張していたはずの私が、ミャンマーに降り立った瞬間に感じたのは、なぜか“懐かしい”という感覚でした。空気、街並み、人々の温かさに、心から惹かれていきました。2週間のプログラムを終え、帰国の際に「必ず戻ってくるよ」と涙ながらに子どもたちと約束し、日本へ帰国。その後も頭の中はミャンマーのことでいっぱいで、夢の中にまでミャンマーの光景が広がっていました。
そんな中、CFFの理事長から「前に訪れたミャンマーの施設で、日本人が子供達に有機農業を教えているから、会ってみては?」と声をかけられました。その日本人というのが田中和雄という方で、私の想いを熱意をもって彼に伝えた結果、大学卒業後彼のもとでミャンマーの地に戻ることが決まりました。田中和雄さんは旧東海銀行(現東京三菱UFJ)に10年勤務、ロンドン支店、国際部等勤務したのちに千代田化工建設に入社、建設省との合併事業(現CPW社)を設立するために短期赴任でミャンマーに訪れ、そこでミャンマーの素晴らしさと可能性に魅せられ退職後、(有)グリーンウェーブを設立、農業でミャンマーの発展を目指す彼の元に私が加わりました。念願だったミャンマーでの暮らしが決まり、私は期待と興奮で胸が高鳴りました。
児童養護施設での生活は、私にとって夢のような日々でした。300人近い子どもたちと一緒に、畑を耕し、種を蒔き、収穫し、皆で食卓を囲む生活。施設の若者たちと共に作った栽培計画で、子どもたちが“お腹いっぱい食べられる”環境と持続可能な農業を目指しました。院長に「お前は家族だ」と言われたときは、心の底から嬉しかったのを今でも覚えています。
それと、私が働いていた大きな農場の敷地内には、介護職を目指す若者たちが通う日本語学校がありました。そこでは、日本での就職という夢を叶えるため、必死に日本語を勉強するミャンマーの若者たちの姿がありました。畑へ向かう道の端で、地面に座り込みながら日本語の教科書をじっと見つめ、限られた時間と環境の中で、未来を変えようと懸命に努力する姿に、私は強く心を打たれました。
ミャンマーで農業を始めるには、まず土地や水源の確保、停電対策としての発電機の準備など、多くのハードルがあります。資金的に余裕がなければ、ゼロから農業を始めることは容易ではありません。実際に、施設で暮らす子どもたちに将来の夢を聞いても、「農業をやりたい」と答えるのは全体の1割にも満たず、多くは日本などの海外で働きたいという声が多かったです。その現実を目の当たりにして、私は思いました。彼らが日本で働くことは、日本の人手不足を解決するだけでなく、いずれはミャンマーの発展にも繋がるのではないかと。農業以外にも、ミャンマーに貢献できる方法があるのではと考えさせられました。とはいえ、当時の私は農業しか知らず、直接的に何か力になれることはありませんでした。ただひたすらに、毎日野菜を作ることしかできませんでした。
しかし、2021年2月1日。クーデターが発生し、穏やかな日常は一変しました。朝起きるとスマホの電波が入らず、街の方から来た人達が「クーデターだ!」と叫ぶ声が聞こえ、辺りは騒然となりました。その日から街では銃声が響き、連絡手段を絶たれた不安な日々が続きました。近くの火葬場では毎日人が焼かれ、その匂いが街を覆い人々の不安を煽りました。
情勢悪化で軍の外国人への監視が厳しくなる状況に、私が施設で活動することが院長やそのご家族、そして施設の子どもたちに迷惑がかかると思い日本に帰国しようと考え院長に相談したところ、「お前は家族なんだから、日本に帰るのもミャンマーに残るのも自由だよ」と、優しく背中を押してくれました。その言葉を受け、私は「日本人として、この現実を自分の目でしっかりと見届けるべきだ」「最後まで自分ができることをやり切ろう」との思いから、ミャンマーに残る決断をしました。
国軍のドローンでの監視や検問に直面しながらも6ヶ月間、ミャンマーの人たちと共にクーデター下を過ごし、野菜を育て、少しでも施設や地域に貢献できるよう努めました。未来のミャンマーを緑で満たしたいという1人の青年の想いを汲み、1500本の木も植えたりしました。その頃の私の気持ちはミャンマー人そのもので、今後10年どうしたら彼らと共に暮らし、この国の平和のために戦って行けるかを毎日考えていましたが、その後もコロナ禍や取引先の閉鎖、軍の監視強化もあり、2年半の活動の末、日本への帰国を余儀なくされました。
日本に帰国後、燃え尽きたように何も手につかず、食事も喉を通らず、自分の無力さに打ちひしがれる日々が続きました。そんな中、ミャンマーでの経験を語ってほしいと多方面から声をかけていただき、Zoomや講演会で発信を始めたことをきっかけに、参加者の方から紹介された栃木にあるアジア学院という場所で半年間、多国籍の生徒と職員の方に囲まれながら自給自足の生活を送りました。この期間は、私の心と身体をゆっくりと回復させてくれました。
その後、もっと多くの国を訪れ、さまざまな人と出会い、異なる価値観を学びたいという想いから、ワーキングホリデー制度を活用してカナダとオーストラリアで2年半を過ごしました。英語を学びながらホテル、酪農、造園、スキーリゾートなど様々な仕事を経験し、多様な文化や価値観に触れたことで、他者との違いを受け入れ、自分の軸をしっかり持てるようになりました。
5年間の海外生活を終えて日本に帰国した私でしたが、心はやはりずっとミャンマーにありました。電気も水も不安定な環境の中、毎日笑い合いながら食卓を囲んでいた日々。争いごとなどなかった、あの穏やかな日常こそが本当の幸せだったと、今でも強く思います。だからこそ、今のミャンマーの現状を目の当たりにするたび、どうしてこんなにも大切なものが簡単に壊れてしまうのかと、胸が締めつけられる思いでした。
そんな中、友人の紹介でLivCoを知りました。日本の深刻な人手不足という社会課題と、「働きたい」と願う東南アジアの若者たちの想いをつなぐこの取り組みは、私にとって心にまっすぐ響くものでした。LivCoは、単に日本の労働力不足を補うための仕組みにとどまらず、若者たちに夢や未来を届け、その先にある東南アジア全体の発展にもつながる可能性を秘めています。ここでなら、自分の経験や想いを社会に活かすことができる。そう確信し、LivCoに飛び込む決意をしました。
現在はインサイドセールス(IS)をメインに、新たに外国人材の受け入れを検討している企業の開拓を行なっています。もともと人と話すことが大好きな私は、今日はどんな人と出会えるだろうと毎日楽しみにしながら仕事をしています。
企業の課題や人手不足の悩みに耳を傾け、それに対してLivCoとしてどんな提案ができるかを一緒に考えていく中で、少しずつ信頼関係を築いていけるのがこの仕事の面白さでもあります。商談のアポイントを取り、求人票をいただき、実際にインドネシアの方が内定を獲得した瞬間は、本当に胸がいっぱいになりました。まるで自分のことのように嬉しかったです。
「自分のたった1本の電話が、誰かの人生を変えるかもしれない」
そんな想いを胸に、私はこの仕事に取り組んでいます。企業と外国人材の出会いの架け橋となり、双方にとっての希望や可能性をつなげていけるこの仕事は、ロマンに溢れていて、本当にやりがいのある仕事だと感じています。
LivCoで私が成し遂げたいことは、大きく分けて二つあります。
ひとつ目は、「日本で自分の価値を証明すること」です。かつての私は、日本でうまくいく自信が持てず、自分には何もないように感じていました。そんな自分を変えたくて、実家を出て農業を学び、ミャンマーへ飛び込みました。現地で農業に取り組み、児童養護施設で暮らし、子どもたちと畑を耕す毎日は、私にとってまさに“生きている”と感じられる時間でした。
そこで得たのは、技術や知識だけではなく、「自分は人の役に立てる」という確かな実感でした。そしてようやく、“ミャンマーでの経験”が自分のアイデンティティとなり、それを胸に日本へ戻ってきました。今だからこそ、日本という舞台で、もう一度挑戦ができる。自分の価値を証明できるチャンスだと信じています。
そしてもう一つ、私が目指しているのは「世界平和への貢献」です。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、ミャンマーでの暮らしを通して、私はこの世界にまだ多くの不条理があることを肌で感じました。紛争、貧困、教育格差、難民、その一つひとつに直面するたびに、自分の無力さを痛感しました。しかし私は、平和とは決して誰かが突然もたらすものではなく、一人ひとりの優しさや行動の積み重ねによって少しずつ広がっていくものだと信じています。だからこそ、私は「雇用を生み出すこと」から始めたいと思いました。仕事があることで人の暮らしが安定し、そこに笑顔や希望が生まれる。そうして社会が循環し、幸せが広がっていく、それが今の自分にできることだと考えています。
LivCoは、そんな想いをカタチにできる場所です。ミャンマーで私が受け入れてもらったように、今度は日本で、外国人の若者たちを迎え入れる側として、彼らの未来を支える存在になりたいと思っています。
そして、LivCoというフィールドで、日本人としての誇りを持ち、外国人も暮らしやすい社会を創る。
それが、今まで私を支えてくれたすべての人たちへの、私なりの恩返しです。
株式会社LivCoは、変化を恐れず、日々新しい挑戦を続けながら着実に成長を遂げている企業です。ビジョンの実現に向けて、チーム一丸となって試行錯誤を重ね、課題に立ち向かう日々は、まるで青春のような熱量とワクワク感に満ちています。
まだまだ発展途上の私たちだからこそ、一人ひとりの意見や行動が会社の未来を大きく左右します。自分のアイデアがカタチになり、仲間と共にゼロから組み立てていく面白さは、大企業ではなかなか味わえない、スタートアップならではの醍醐味です。
急成長を遂げる今、LivCoでは共に未来を創っていく仲間を絶賛募集中です。社会課題の解決に本気で取り組みたい方、自分自身の可能性を広げたい方、変化を楽しみながら突き進みたい方。私たちと一緒に大きな一歩を踏み出しましょう!
現在様々なポジションで共にチャレンジしてくれる仲間を募集しています!少しでも興味をお持ちの方は、ぜひ、採用情報をご覧ください!
弊社は『外国人も暮らしやすい社会を創る』がビジョンの、外国人向けに人材/不動産/教育/メディア事業を展開するスタートアップです。東京/インドネシア拠点。
移民が日本で生まれ亡くなるまで全てのライフステージの課題を解決するソリューションプラットフォームを構築しています。外国人業界初の上場を目指し、年間350%の成長を遂げています。
急速な人手不足を補うべく在日外国人労働者はこの10年で260%増の一方で、職場から失踪する外国人は年間1万人。
途上国では戦争が絶えず多くの若者が失業し自己成長機会が乏しい状況が続いています。
東南アジア事業経験を持つ経営陣が中心となった圧倒的外国人目線とITの力で移民就業機会の最大化・最適化を図り日本/途上国の課題を同時に解決してまいります。(HP:https://livco.inc)
〜Why LivCo!?〜
『グローバル』
東京/インドネシア拠点で外国人社員比率40%のグローバルスタートアップ。毎日オフィスでは4ヶ国語(ベトナム、インドネシア、ミャンマー、日本)が飛び交っており、グローバルな視座で仕事ができます。コアメンバーは半年に1回のペースで東南アジア出張があり、入社後半年以内にインドネシア現地入社研修がございます。
『急成長』
年間260%急成長の最後のHRブルーオーシャン市場である移民マーケットに挑み、松屋や日高屋、ベネッセなど大手含む250社以上と取引、500人以上を斡旋。年間成長率350%!
『ありがとうに近い』
「妹を学校に行かせるべく仕送りがしたい」と我武者羅に頑張る東南アジア人を支援する手触り感のあるソーシャルな仕事です。ただ支援をするだけではなく事業としてサステイナビリティーを追求するべく、ビジネスパーソンとして実行力/企画力も鍛えられます。
『経営者直下で裁量権大』
リクルート出身かつミャンマーで100万人メディアを創り売却したグローバル連続起業家直下で“社会正義”דそろばん”経営が学べます。そして新規事業を連続的に立ち上げているベンチャー企業なので裁量権大。ストックオプションも視野にいれながら最大速度で成長できます。
『優秀なメンバー』
中途・新卒問わず多くの優秀なメンバーが活躍しています!平均年齢は29歳、男女比率は6:4です。
・リクルートでMVP5回受賞した敏腕営業マン
・元大手プラントエンジニアリング会社のエース
・トリリンガルのインドネシアと日本のハーフムスリム
・サイバーエージェント出身のベトナム人
(出身企業・大学:リクルート、サイバーエージェント、JICA、ソウルドアウト、デロイトトーマツ、Speee、ラクスル、日鉄エンジニアリング、東京大学、大阪大学、早稲田大学、中央大学、明治学院大学など)
◆参考リンク
メディア取材記事(Fastgrow):https://fastgrow.jp/articles/livco-sasa…
採用資料:https://speakerdeck.com/sasa_shotaro/6
採用動画:https://youtu.be/MJeTPEUaAmA?si=1xxU9anol58sqZrz…
弊社元リクルートスタッフyoutube取材:https://youtu.be/EOUIxQd7SrU?si=N9MbkYORIhzom-gj…
代表佐々の監修記事「外国人業界の魅力」:https://fastgrow.jp/articles/foreign-employment…