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四万十町から、変化の連鎖を紡ぐ。

高橋 沙希 / Senior Manager

教育事業部 高等部 管掌
1987年生まれ。明治学院大学卒業後、新卒で労働組合専門のコンサルティング会社に就職。2016年にFoundingBaseに転職し、高知県四万十町に移住。「変化の循環を紡いでいく」を自身のテーマに掲げ、現在は運営委託を受ける四万十町営塾「じゆうく。」塾長として活動しながら、自社事業の学生向け宿泊型プログラム「FoundingFactory」を運営している。

人の顔色に敏感な幼少期

高橋家の長女として生まれた私は、それはそれは大切にされて育ちました。しかし、大切にするあまりに、私に対する両親の教育方針が食い違うようになります。漁師町で育った父は血気盛んで、「これは教育上良くない」という理由で、父が母を怒鳴る姿を見ました。今でもよく覚えているのは、父の怒鳴り声を襖1枚挟んで体育座りで聞いていたこと。声を殺して泣きながら、ものすごく悲しい気持ちだったことを覚えています。母が泣いているのに何も出来ない無力な自分や、いつもは優しい父が一度怒ると過呼吸を起こしてしまう自分。今となってはその出来事がどれくらいの頻度で起こっていたのかあまり記憶にありませんが、例え年に1回であっても、私の記憶に強く残っています。ちなみに今は家族旅行もよく行くくらいとっても仲の良い家族なのですが、今思い出すと、あの頃から私は周りの空気を読むようになりました。

「私は、いい子でいなければ」そんな風に思うようになり、何か言いたいことがあってもぐっと我慢するようになり、前へ出て行くことはおろか、いつも友達の顔色を伺っては、「何か怒ってる?ごめんね?」と言っていました。

※今はとっても仲良しです(笑)

自分の意志で動く面白さに気づく

そんな私に気づいてか、小学6年生の時に担任だった先生に、半ば無理やり学級委員に任命されます。私は意気消沈し、母に「やりたくないのに」と相談していたそうです(笑)それでも先生は、「もっと前に出ろ」「出来るから、やってみろ」と言われ続けました。そうして少しづつ、空気を「読む」のではなく、空気を「創る」側になり、その面白さを知ることになります。

気づけば中学では「文化祭改革」をマニフェストに生徒会に自ら立候補し就任したり、中学生の時に感銘を受けた映画「Lord of the Rings」を見てニュージーランドに憧れ、高校1年では同国に1年間の留学をするなど、どんどんと活発性が開花しました。大学ではユニークなメンバーに囲まれながらサークルを立ち上げ、カンボジアの教育支援のため300人規模のイベントを企画したり、活動資金250万円を集めて学校を建てたりと、色んなことにチャレンジしました。留学の時に体験した海外の面白さからひとり旅もはじめ、20カ国を旅したりと、とにかく「百聞は一見に如かず」を信じて、やりたいと感じたことはなんでもやりました。


人は「あるべき姿」という足かせを引きずりながら生きている

そんな私は、新卒で労働組合を専門にコンサルティングをしている会社に入社します。「ボトムアップで会社を良くする」。そんなコンセプトに惹かれ、組合活動を支援していました。現在、日本の労働組合の組織率は17%。この数字には日本の大手企業組合が多く含まれます。日本のリーディングカンパニーと呼ばれる会社と1年目からお仕事をさせてもらえるのは、とてもワクワクするものでした。中でも、震災直後に電力の会社さんと組織の立て直しをさせていただいたのは、とても心に残っています。

毎日とても幸せに働き、成果も出せました。一方、私がルンルンで幸せに働く中で、気付いたことがありました。それは、多くの人がいつの間にか、自分や周囲が決めた「あるべき姿」に苦しんでいるということでした。「前年はこうしてたから、今年もやらなければいけない」や、「私はこの役割だから、それ以上は出来ない」と今一歩煮え切れないことにもどかしさを感じているお客様や、「上司からこう言われたから」「会社がこうだから」と苦しむ同僚の姿がありました。

今でも良く覚えているのは、「だったらこうしたらいいじゃん!」と私が伝えると、「みんな沙希ちゃんみたいにはなれないんだよ」と言われたことです。

そこでハッとしました。

昔は私も「いい子であらねばならない」とあるべき姿を自分に植えつけていたことを。それを壊すには、その人を信じ、自分の思想や思いを伝え続けてくれる存在が必要があること。そして、それを体感できるフィールドが必要であること。それがあって初めて、その人はその人らしく生きることが出来るようになるんだということ。

そんなことに気付き、「その人がその人らしく生きるため」に、自分はどうありたいのかを考えるようになりました。3ヶ月、毎週末ノートと向かいながら、ひたすら黙々と各作業に没頭しました。そして、自分の人生を振り返り言語化をしていった先に見つけたのは「人の背中を押す私でありたい」ということ。「あなたなら出来る」と背中を押し、伝え続けるためには、人ととことん向き合う必要があると感じました。合わせて、人が挑戦できるフィールドを作っていることも必須です。その時私は28歳でした。前職の会社や仲間、お客様は大好きでしたが、ありたい姿を実現するためには、私自身が挑戦し、その姿が許される場所に行かねばならない。そう感じた結果、私は仕事を変えることを決意しました。

FoundingBaseとの出会い

転職サイトを眺めて、たまたま出会ったFoundingBase。当時は鶯谷のホテル街を抜けて看板もない地下のオフィスを見て、入るかどうかを本気で悩みました(笑)でも今思うと、本当に入ってみて良かったと感じます。そこで出会った人事の方が、初めましてにも関わらず、私の人生に心底興味をもって話を聞いてくれました。そして、私がまだ考えられていない部分の言語化を手伝ってくれました。初めて会ったとは思えないくらいに自分の内を話した時、「この人のように、私も誰かと向き合いたい」と強く思いました。そしてその後、まだ当時は10人満たなかった社員全員と、それぞれ1時間以上の面談をしてもらい、入社が決まりました。今でもよく友人に「29歳でよく引越しを伴う転職したよね」と言われますが、当時の私には、新しい仕事と会社と地域に希望しかありませんでした。

入社後に私が関わることになったのは、高知県四万十町に設立される町営塾「じゆうく。」。町内2つの高校の町内進学率が年々減少し、このまま進むと高等教育を町として手放さなければいけない危機感から、外から高校をサポートする機関としてつくられたのが町営塾「じゆうく。」でした。

立ち上げすぐの塾はてんやわんやで、新しい事づくめの毎日がとても面白かったです。ただ、少し運営が落ち着いてきた頃に、私はなかなか抜けられない長いトンネルに入ることになりました。私が出会ったのは「変われない自分」でした。

なかなか脱皮出来なかった不甲斐ない自分

中学の時から少なからず「出来るいい子な私」でいたせいか、自分の弱いところをなかなか改善できませんでした。
良くしたいと思ってる。もっと良くなりたいと本当に思ってる。
でも、何をやってもいい結果は出ませんでした。
今思えば、全てが中途半端だったんだと思います。
何より厄介だったのは、どんなに指摘をされても、心の底では「自分は悪くない」と思っていたことでした。
どんどん意固地になり、指摘されるたびに
「なんでこの人こんな風な言い方しか出来なんだろう」
「私だってやってるのに」
とひねくれるようになりました。
そんな私が何を提案しても信頼してもらえず、どんどん上司が苦手になり、上司の車を見ただけで頭痛がするようになりました。

そんな不甲斐ない状態を、私は1年半も続けてしまったんです。
どん底まで落ちきり、2018年の9月、私はすがる思いである学生プログラムのサポートに入りました。丁度その頃、私は自分で対話型の宿泊プログラムを四万十町で作りたいと考えており、その勉強のためにも、宮城県気仙沼に旅立ちました。
そのプログラムは、5泊6日で自分自身を見つめ直す大学生向けのプログラムでした。大学生と対話するうちに、どんどん自分の中がクリアになっていくのがわかりました。
人の人生に寄り添うことで、自分の人生を紐解きました。
人の悩みを聞くことで、自分の悩みを言語化出来ました。
四万十町を一旦離れることで、四万十町にいる自分を俯瞰して見ることが出来ました。

そうして過ごした最終日、私の中にストンと落ちてきたのは、
「自分は出来ない。だからこそ、ゼロから始めてみよう。」
という言葉でした。

そこからは、小さな仕事も上司とすり合わせながら細かく進め、マイナスだった自分の信頼をまずはゼロに戻すように働きました。様々なものが、好転的に動き始める瞬間でした。

「変化の連鎖」を紡げる私に

現在、私は2つの事業を運営しています。

1つ目は、町営塾「じゆうく。」です。
私たちの塾は今年4年目を迎え、私は塾長に就任しました。挑戦することを決めたのは、去年の12月です。自分に負荷をかけて、新しい自分を開拓したかったし、単純に出来ることを増やしたいと思いました。現在は6名の仲間と共に「19歳、未来が動き出す」をビジョンに掲げ、塾の運営をしています。

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2つ目は「FoundingFactory」事業です。
Factory は、私の想いで始まりました。私が長年かけて歩んできたプロセスは、私を「自由」に近づけてくれたと心底思います。自分の過去を丁寧に紐解くことで見えてくる価値観を言葉にすること。その価値観を誰かに伝えながら、より自分を知ること。腹落ちしたら、すぐに行動に移すこと。葛藤し、挫折し、悔しくて不甲斐ない思いをすること。そこで溜まった経験を、また言葉にして自分の武器に変えること。

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長いどん底期間ではありましたが、今思うと、本当にたくさんの人に向き合ってきてもらったと実感するばかりです。私は、このプロセスを踏むことこそが、人がその人らしく生きることに繋がるんじゃないかと信じています。

それこそが、「自由」を手にいれる行為だと思うんです。

2年半前の私に言葉をかけるなら、「最終最後、逃げずによく、自分を変化させた」と褒めると思います。(とは言え、随分長い間逃げ回っていましたが笑)

私は、そんなプロセスを自分の手で作りたいと、Factoryプログラムを立ち上げました。
2泊3日の大人向けの合宿プログラム。これまでに計8回開催され、47名の卒業生がいます。
まだまだ小さい事業ですが、このプログラムを、世の中に広げていきたいと強く思っています。

「じゆうく。」と「Factory」、どちらにも共通して言えることは、「変化の連鎖」を紡ぎたいということです。
高校生も、大学生も、大人も、自分や周囲が決めてしまったルールや固定概念に苦しんで動けずにいます。
それは、私自身もそうでした。
でも、私の周囲はそれを認めてはくれず、
「あなたはあなたのままでいいんだよ」と優しい言葉をかけることなく
「そこから動け、変化しろ」と伝え続けてくれました。
そうして伝え続けてくれたからこそ、私は変化し、その変化が周囲の人や組織にいい影響を与え、いい循環がまわり始めました。

人の「変化」は、人を「変化」させる。
そうして作られた連鎖は、世の中を少しいい方向に動かすと、私は信じています。

「じゆうく。」の子どもたちにも、「Factory」に来てくれる大人達にも、私はおこがましくも「変化しろ」と伝え続けます。そんなメッセージを、一緒に伝えてくれる仲間に出会えることを、楽しみにしています。

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