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これはなにか
「なにかをする」と「処理する」の違いとは何かを記した記事です。
以前この件についてツイートしたときに幾ばくかの反応を頂いたので、今回はこのテーマで書きたいと思います。
日頃考えていてふと頭に思い浮かんだ「なにかをすること」と「処理すること」の違いについて書き残します。
ことの発端
ことの発端は、育児や家事タスクの外注についてを考えを巡らせたことです。
皿洗いとか洗濯物などについては、全自動家電の導入や家事代行サービスを依頼するなどして自動化や外部に委託しても何も支障がないと思うし、家系が許すなら全力でそうしていったほうが良いと思う反面、育児を外注ってやらないし、外注したいと思わないのって何が構造的な違いなんだろう、ということを考えた。
(※もちろん保育園や学童に通っていたりするので、それはそれで半外注といえばそうではある)
なにかをすることと処理することの違い
外注したい/したくないで考えたときに、洗濯と育児の差を分けるのがなにかと考えると、「誰がやっても大きく変わらない」こと(と本人が思っている)かどうかが違いだと気づいた。
つまり「自分が直接手を加えることが結果に対して重要性が高い(と本人が思っている)かどうか」だ。
例えば、洗濯を自動化するか手洗いをするかというプロセスを考えたときに、手洗いで自分が直接介入することがアウトプットの品質を大きく変えるのであれば、手洗いすることに意義や重要性を感じて自動化・外注化しないという意思決定になると思うし、あまりアウトプットの品質を左右しないのであれば、洗濯機に洗濯してもらうなり、ランドリーに出すなどで良いという判断になる。
逆に育児で考えると、理論上は自分の子供を誰が育ててもいいやという判断になれば、外注してもいいという話になるのだろうけど、そんな判断にはならないのでフル外注、ましてや自動化をするなんてことには当然ならない。
(※自分自身、保育園や学童で預かってもらい助けられているので、それらを否定する意図は微塵もない)
これらのように、自分が直接手を加えることが結果に対して重要性が高い(と本人が思っている)ことについては自らの意志でやりたいとなるが、そうでないものはより効率的にさばき、こなし、処理していこうという発想になる。
インプット・スループット(プロセス)・アウトプット
と、ここまで卑近な例として洗濯や育児等を題材に取り上げたが、本当に言いたいのはここからである。
特定の種類のタスクが「処理」的なタスクと認知される構造を考える。
「自分が直接対応することが、最終成果物の良し悪しをどれだけ規定するか」をインプット・スループット(プロセス)・アウトプットに当てはめると以下のようになる。
- インプット = 自分(作業者), タスク(作業対象)
- スループット(プロセス) = 対応
- アウトプット = 最終成果物
この構図において、インプットが異なっても、結局アウトプットの成果量・質が変わらないのであれば、作業者はその作業を自らがやる意義を見出しにくくなり、処理的なタスクと認識される。