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D4C.のだれかれ vol.1

森岡 剛一。代表取締役 クリエイティブディレクター。D4C.創業者の一人。
イラストレーターである父親の趣味で、アメリカな雑誌、漫画、雑貨などで溢れた家で育ち、それらをおもちゃとして遊んでいた。思い起こせば、そんな毎日が、今の原点になっているかもしれないと話す。


環境がきっかけをつくった
そんな父親のもとで育った森岡は、少年の頃から本が好きだった。「一日中本を読んで過ごすような仕事に就きたい」と考え、大学では図書館司書を目指すが、就職が決まらないまま、卒業を迎えた。卒業後、就職活動をしながら、やりたいことを見つける日々を過ごすも、現実はうまくいかない。結局やりたいことを見つけることができず、実家に戻る決心をした。ここが第一の転機だ。

実家に戻った森岡は、父親の仕事を手伝うことにした。1年間で、デザインの基本スキルを身に着けたところで、第二の転機が訪れる。父親の紹介で、とあるデザイン会社に入社することになったのだ。そこで任されたのは、カタログの制作。ここでデザインの基礎を身に着けることになる。居心地はよく、スキルこそ上がったが、何かが違うような気がした。自分でも正体は掴めてはいなかったが、奥底にある欲求が満たされることはなかった。


今への足がかりとステップ
20代後半に差し掛かると、森岡は広告業界へ導かれることになった。ここが第三の転機。とある大手代理店への入社が決まった。そして、奇しくも同じ時期に、D4C.の創業メンバーも入社していた。企画・提案、ディレクション、Webサイト、パンフレットの制作など、携わる範囲はこれまでと比べ物にならない。「そうじゃない、違う、なにやってんだ」。時には、上司から叱咤されながら、ビジネスのなんたるかを学ぶこともできた。自分で稼ぐ感覚は、心地よかった。

しかし、約2年間経験を積んだところで、世界を巻き込んだ不況の足音が聞こえてきた。リーマンショックだ。不況時に人材業界は打撃を受ける。東京へ転勤して1週間後、早期退職が募られることになった。このまま残り続けてもいいと考えていた森岡を誘ったのは、D4C.創業者の一人である桝井だった。そして、独立。これが第四の転機となる。これまでの経験でスキルは積むことができた。ビジネス感覚も磨かれた。自由な挑戦ができる。何とかなる。やるからには、普通の務め人では得られない収入を得る。独立の目標は、単純だったといってもいいかもしれない。


積み重ねてきた10年間
創業してからは激動の日々。はじめこそうまくいっていたものの、ある時、急に売上が落ち込んでいった。通帳を眺める毎日。オフィスとして利用していた銀座のマンションの一室から覗く公園。そこで行われる炊き出し。もしかしたら、自分も…。だが、ここで辞めて何になる。仲間もいる。真剣に、誠実に、コツコツと積み重ねていく。そして、ただ、まっすぐに仕事と向き合い、創業から10年で、無借金経営で2億円の売上を誇るまでになった。しんどくてもへこたれず、素直に頑張っていれば結果はついてくる。それを証明した10年間だったといってもいい。

まっすぐに歩き続けることは、意外と難しい。そんな時、支えになっているのがキックボクシングだという。サンドバッグを蹴り、スパーリングで汗を流せば、淀みはすべて流れていく。また、一人の時間を楽しむことも必要だ。観光で訪れたお寺で買ったお香を焚く。世界各国の民族音楽を聞く。各地の民芸品を集める。そんな束の間の休息が、また次のクリエイティブを生んでいく。

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