インタビュー#4|主食:プログラミング、主軸:未知への挑戦、主張:成長なくして自由なし!relationのビジョンを体現するマネージャーに迫る。
こんにちは!relationのWantedly担当です。
早いものでもう3月!温かい瞬間も感じられ、春の訪れを予感します。
門出の季節といった明るい印象とは裏腹に、人によっては花粉症の季節…!春といっても、様々な良し悪しがあるものです。
このような両面性は当社にも言えること。「NO MORE 不自由」を掲げていますが、もちろん一筋縄ではいきません。
そこで今回は、入社半年でマネージャーとして活躍する米川さんにインタビュー!
加入したてだからこそ見えるrelationの魅力や課題など、まさにrelationの裏と表を知り尽くしている存在。
米川さんのバックグラウンドを交えながらrelationの内情について深掘りしましたので、どうぞご覧ください!
米川 悦史(よねかわ・えつし)
2022年8月入社。小学生からパソコンに触れ、あらゆるプログラミング言語を習得。専門学校卒業後はテクニカルサポートや基板製造を経験し、リファラル採用でrelationに入社。現在は入社半年ながらマネージャーとして、請負案件やSES、メンバー教育など幅広く活動中。
プログラミング漬けの学生時代!パソコンに生き、パソコンに生かされた半生とは。
ーー社会人経験が豊富な中での入社ということで、これまでもプログラミング関連に携わってきたのでしょうか?
米川 悦史(以下、米川):もちろんです!もはや人生そのものがプログラミングで構成されていると言っても過言ではありません!
小学2年生で父親からパソコンをプレゼントされて以来、とにかくプログラミングに没頭し続けて…。最初はBASICで細々としたプログラムを組んで遊んでいたんですが、すぐにそれだけじゃ物足りなくなっちゃいました(笑)
C言語の習得はもちろん、アセンブラでのゲーム開発、コピープロテクトの解析など、ありとあらゆるコンピューター技術の虜になる日々でしたね。
もはや呼吸のようにプログラミングを行い、パソコンを取り上げられたら冗談抜きで死んでしまう、というのめり込み具合。あの時は「プログラムとそれ以外」という認識で生きていました(笑)
ーー小中学生の遊びとしてはかなりマニアックですね(笑)
米川:昔はネット検索が手軽にできない時代。ずーっと図書館や本屋に通い詰めてはITに関する技術本を読み漁り、家に帰ってすぐ実践…といったルーティーンを繰り返し、気がついたら高校生にまでなっていたという感じです(笑)
そんな偏愛まみれの生活を送っていたので、自然とIT関係の仕事に就きたいなぁ、と思うようになっていて。そんな時に登場したものがWindowsでした。
生活の中心がパソコンであった私からすれば、もう衝撃の一言で!すぐに「誰でも気軽にパソコンを使える時代が来るのなら、これからはWEBデザインを学ばないといけない」と考え、専門学校への進学を決意しました。
ーーここまで来ると進路にまで影響することは当然のように思えますが、本当にパソコンと共に成長されてきたのですね。
米川:学生時代を振り返ると、すべてがプログラミングに魅せられて行動しているんですよね。
専門学校時代も、自分のプログラムを納品するようなアルバイトに熱中。当時は「ISP」や「Yahoo!JAPAN」などインターネットサービスの黎明期で、私たちのような存在は引っ張りだこでした。なので若干19歳ながら、プログラムを求めるお客さんとバリバリに折衝したりして…。月の残業時間は280時間を超えていましたし、当時の恋人にも忙しすぎて振られる始末(笑)それでも仕事がとにかく楽しくて、何も辛くなかったですね。
もちろん、こんな労働環境、今はやっていないですしダメですよ!relationとしてもこんな働き方は推奨していないので、そこだけは誤解しないでくださいね。
ーーもちろんです(笑)心からエンジニアという仕事が楽しくて仕方がなかった、ということが痛いほど伝わってきます!
米川:とはいえ、ずっとアルバイトだけをしているわけにもいかないよなぁ…と思い、業務委託型のパソコンサポートサービスをメインとする企業に入社しました。
しばらくは個人・法人のパソコン指導や機械設置を行なっていたんですが、正式な社員となってからは社員管理やお客様向けのマニュアル作成、顧客折衝など、現場ではなくマネジメント側に回りました。
とはいえ、私は現場で動き回って成果を上げたい人間。パソコンだけでなく人と向き合う時間も好きなので、トライアル作業やお客様訪問なども続けていました。
新しいことに挑戦したい、ただそれだけ。最愛の武器を捨て、製造業で1からスタート。
ーーすでに1社目でマネジメント職も経験されていたとのことですが、そこからもずっとIT関連一筋だったのでしょうか?
米川:いえいえ。13年ほどテクニカルサポートを担当していたのですが、2社目は鉄道関係の基板を製造する企業に入社するなど、実はまったく違う分野に挑戦していました!
というのも、私はとにかく「何も知らない状態が1番好き」で。自分がまだ触れたことのないモノ・コトを学んで吸収するという過程に生きがいを覚えるタイプなんです。
小さい頃からプログラミングにのめり込んだ理由もここにありますね。だから製造という「未開拓分野にもほどがあるでしょ!」という仕事でも、むしろ楽しみながらチャレンジしていました!
ーーものすごい好奇心と探究心ですね!とはいえ、鉄道とITって現在ほど強く結びついていなかったですよね?
米川:そうですね。でも、2社目の社長は「鉄道業界の基板製造はいつか限界が来る。将来を見据えてWi-FiやIoT関連の基板に着手したい」とハングリー精神あふれる人で。新しいモノ好きの私はすぐにその手を取ったんです。
さらに「会社のためになることを自分で考えてやってほしい。それなら何をやってもいい」という、良くも悪くも放任主義すぎる方針だったので…(笑)その言葉に甘えて本当に好き勝手やらせてもらいました(笑)
例えば、基板設計の開発・実験をしては、工業会や商談でプレゼンを繰り返すなど、私なりに事業の幅を広げようと頑張っていたんですが、業界の保守的な風潮もあってなかなか前進しなかったんです。
そんなことをしているうちに、会社の後継者問題が原因でM&Aされることになってしまって…。
ーー道半ばでそんなことが…。買収されたら今までの自由度も下がってしまうのでは?
米川:本当にその通りだったんですよ。M&A自体は良いことだったんですよ?足りていなかった技術や戦略が補填され、会社として一回り以上大きくなった実感もありました。
けれど、買収元の仕様に合わせた見積書の作成や利益計算など、ビジネスの基礎を1から指導される日々。
膿出しの期間だと頭では理解していても、当時40歳の私からすればもうめちゃくちゃつまらなくて…。2022年のGW期間はずーっと「会社に行きたくないな」と鬱屈していました。
ーー仕事大好きな米川さんがそこまで思い詰めてしまうなんて…。会社の方針は正しいと思いますが、キャリア自体が振り出しに戻ってしまったように感じますよね。
米川:そんなとき、私がアルバイトに明け暮れていた頃からの親友である北河から、「relationで一緒に仕事をしないか?」と連絡があったんです。実は前々からお誘いはあったんですが、ずっと断っていて(笑)
その時も1度は断ったんですが、「仕事がつまらないタイミングで連絡が来たのは、何かの縁かもしれない」と思って、GW明けにrelationの副社長と北河、そして私の3人で面談を組んでもらいました。
ーー北河さんの熱意が勝った瞬間ですね(笑)まさに運とタイミングがもたらした機会だったと。
米川:大阪本社に伺ったんですが、副社長のサッパリとした人柄、そして「NO MORE 不自由」という会社方針にとてつもなく惹かれ、その日に入社を決意!
私はSEとマネージャーの経験者として、IT業界の課題でもある「SESの冷遇からくる薄利多売な風潮」をずっと危惧していたので、そこにNOを突きつけるrelationのMVVがあまりにも真っ直ぐ突き刺さった、ということが大きな理由ですね。
耳触りの良い言葉だけで終わらぬように、「自由」と「勝手」の線引きを見定める日々。
ーーこれまでに経歴や入社理由から、「NO MORE 不自由」への理解度が入社前にして非常に深かったことが窺えます。
米川:ただ、「社員の不自由を取り除いた会社にする!」と言っても、その実現は決して容易ではありません。綺麗事を綺麗事として叶えることほど難しいことはないですから。
まぁ、私はそこへの挑戦に面白みを感じて入社したんですけれど(笑)
ーーさすがのポジティブマインドです!入社してからは、マネージャーとしてどのように手腕を振るわれていますか?
米川:メンバーに対しては何よりも「気分良く働いてほしい」と願いながらマネジメントしています。
今の時代はワークライフバランスの重要性が見直され、プライベート重視の方が増えましたよね。もちろんそれは素晴らしいことなんですが、1日の半分を占める仕事が楽しければもっと人生が色づくと思うんです。
ライスワークではなくライフワークにできたら、仕事が苦しくなくなるだけでなく個人としても大きく成長できるはずですから。
ーー「苦しんで仕事をしたい」と思っている方はまずいないでしょうからね。仕事のためというより、人生のために成長できれば素敵ですよね。
米川:やっぱり、生きていく上で成長は必要不可欠だと思います。これは決して「成長してより会社に貢献しろ」という意味ではなく、自分を不自由から解放するためにという意味です。
20〜30代のうちは「若さ」という武器でスキルや経験がなくても生き残れるし、目溢しもしてもらえる。
けれど成長せずにミドル層までたどり着くと、自分の選択肢がどんどん狭まってしまうんですよね。
だから私も、やりたいことをやるためにスキルを磨いたというよりは、「やりたくないことをやらないために」成長してきた、と言った方が正しいのかもしれません。
ーーなるほど。不自由から解放されるには、自分自身の成長が1番の方法だと。
米川:こう言うと「成長できる機会をください」という方が稀にいらっしゃるんですが、そこもちょっと違うかな、と。
成長機会はあくまでも自分から掴みにいくもので、受動的にタスクをこなしているだけではいつまでもその位置から動けません。
「Javaを極めたいからこの案件に携わらせてほしい」「将来的にマネジメントをしたいから、お客様との折衝に参加させてほしい」といった自発的な発信があれば、私もrelationもそれを無下に弾きませんし、むしろ喜んでバックアップします。
逆に「過去にトラブルがあって、この案件は難しいです」といった正当な理由で固辞するメンバーがいれば、決して無理強いせず、臨機応変に調整を行っています。
ーーまさに「NO MORE 不自由」に徹したマネジメントですね。自由には責任が伴うといいますし、主体的な方には惜しみなく選択肢を与える、という軸が見られます。
米川:relationは本当に1人ひとりの働きやすさを尊重していますし、私もその恩恵を受けている1人です。
マネージャー職に就きながら「知らない現場の方が楽しいです!自分で売上を立てたいです!」と言って、未だにいろんな現場を動き回っているとか…(笑)もう感謝しかないです。
とはいえ、私はマネージャー。役職をいただいている身として、IoT施策や自社商品の開発など、1人あたりの利益が少しでも増加するような取り組みを進めています。
▲米川さんをrelationへと導いた親友・北河さん(写真左)。現在は常務取締役 兼 CTO(最高技術責任者)として活躍中。
不自由から解放されるため、変化を続けられる人間に!ダーウィンに学ぶSEの生き方とは。
ーーマネージャーとして、そしてrelationを支えていく中堅層として、どのような方に入社してほしいですか?
米川:「こういう人材になりたいから、こういう仕事をしたい」というマインドを持つ方であれば、どんな人でもrelationにハマると思います!
一方、振られた案件をただこなすだけ、といった受け身な方は、厳しいようですがrelationのSEとしては不十分です。
「NO MORE 不自由」というポリシーだけを見て「ここでなら自分の思い通り、自由気ままに働けるかも」と思った方は、自分の予想とのギャップに傷ついてしまうかもしれません…。
特に役職が上になればなるほど、自由な社風だけが独り歩きしないようにすることが大変ですから。
ーーこれからさらに上を目指すrelationだからこそ、向上心あふれる方に扉を叩いていただきたい、ということですね!
米川:あの偉大な自然科学者・ダーウィンが残した「強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ」という名言を体現できる人が集まれば、relationはもっと成長していくはず!
多様性あふれる時代だからこそ、どこでも生き残れる人材になってほしいと、心から願っています。
もちろん、これはあくまで私の価値観。必ずしもこの考えが正解ではないと重々理解しています。だからこそ、メンバーがのびのび成長できるよう、私自身も新たなことに挑戦してスケールアップするつもりです!
私と一緒に「NO MORE 不自由」について真剣に向き合い開拓できる方を、心よりお待ちしています!