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「『最強になりたい?』その一言が、人生を変えた。」

「最強になりたい。」その一言で人生が変わった。親孝行をするために、起業を目指した。私が株式会社最強に入社したきっかけは、「親に恩返しをしたい」という強い想いでした。将来は起業して、自分の力で成功し、今まで支えてくれた親に恩返しをしたい。そう考えるようになり、「起業するために必要な力は何だろう」と自分なりに考えました。そこで真っ先に思い浮かんだのが営業力でした。営業は、人に価値を伝え、人を動かし、信頼を築く力です。どんな事業を始めるとしても、この力は絶対に必要だと感じました。しかし、皮肉なことに営業は私が一番苦手で、一番避けてきたものでもありました。人と話すことが苦手で、自分から積極的にコ...

新卒2ヶ月半でリストラされた男が、月収100万円を稼ぎ、新規事業を立ち上げる話。

月曜日の朝、普通に出社した。何事もなく日常の業務をこなしていたら、突然会社全体の動きが止まった。一人ずつ会議室に呼び出されて、告げられた言葉が「もう雇用ができません」だった。新卒で入社してから、2ヶ月半だった。その瞬間、頭の中に浮かんだのはシンプルな一言だった。終わったな、と。人生初めての一人暮らし、人生初めての東京。名古屋から出てきて、ウキウキワクワクしながら始まったはずの社会人生活が、一気に崩れ落ちた感覚だった。居酒屋で、知らないビジネスマンに話しかけた貯金は0だった。生活を守るために、とにかく動くしかなかった。落ち込んでいる時間はなかった。落ち込んでいたら、周りの人と何も変わらない...

最強という名前をつけたのは、本当に最強になりたいから。というかなる。

2024年の2月、サラリーマンを辞めた。1月の末まで働いて、気づいたらどん底にいた。自分のやりたいことを、本当に何一つやっていなかった。このまま終わりたくない。そう思って、最強を作ることを決めた。社名を「最強」にしたのは、シンプルな理由だ。最強になりたかったから。そして、覚えてもらいやすいから。それだけだった。10万円と、夜行バスと、知らない街原薗と2人で大阪に行った時、手元には2人合わせて10万円ぐらいしかなかった。あえて、知り合いが誰もいない場所に行こうと決めた。夜行バスで大阪に向かった。本当に何もないところから、何者かになる。それだけを決めて乗り込んだ。大阪についてから、うまくいく...

大学生のまま、営業会社を立ち上げた21歳、まだ始まったばかりの話。

就活を始めた時、1つだけ決めていたことがあった。誰にも負けない実績を、学生のうちに作る。周りを見渡せば、同じ大学の友達はみんな普通に就活をしていた。ゼミに行って、サークルに行って、そろそろ就活でも始めるか、という感じで。そのままでいれば、きっと同じルートを歩んでいた。でも僕は、そうじゃない道を選んだ。「トップを取れる環境なら、どこでもいい」インターンを探し始めて、いくつかの会社と面談した。他にも声をかけてもらった会社はあった。でも最終的に最強を選んだのは、松本さんと話した時に感じた直感だった。「就活市場で、どの学生にも負けない実績が作れる。トップを取れる環境がある」その言葉を聞いた瞬間、...

「何をやるか」より「誰とやるか」。

大学の入学式が終わって、2週間、そいつは来なかった。ゼミで同じになったのに、一向に姿を見せない。ようやく現れた時に開口一番、「お前がライオンか、遊ぼうぜ」と言ってきた。変なやつだな、と思った。それが松本龍拓との最初の出会いだった。ずっと、輪の中心にいる人間だった大学時代、松本はいつも人を引きつけていた。どこにいても輪の中心にいて、みんなから好かれていた。仕事とは関係なく、ずっとそういう人間だった。だから、卒業後に松本から「うちの会社に来ないか」と声をかけてもらった時も、迷わなかった。その会社で一緒に働きながら、松本から「人としてのあり方」を学ぶことになるとは、その時はまだ知らなかった。結...

ドラマを作れる人生の方が、面白い。──4人目の入社から、最強の脳みそになるまで

ドラマを作れる人生の方が、面白い。──4人目の入社から、組織の脳みそになるまで大学4年生の時、就活をやめた。このまま普通に就職するより、自分で人生を切り開けたらいいと思った。塾のアルバイトで培った経験を活かして家庭教師を始め、TikTokで発信しながら動画編集の仕事も取るようになった。それなりに回っていた。そんな時、松本さんに出会った。「日本一になります」初めて会った時、松本さんはキャリーケースを引いていた。東京から大阪にから来ましたと言った。変わってんな、と思った。「なんでそんなことしてるんですか?」と聞いたら、「日本一になります」と言った。今何人でやってるんですかと聞いたら、「2人で...

「挑戦する人の人生を変えるきっかけになりたい」──営業、留学、サッカーを経て採用担当になった理由

こんにちは。株式会社最強で採用を担当している駿河です。今回は、「なぜ採用という仕事を選んだのか」、そして私が大切にしている想いについてお話しします。サッカーが教えてくれた「チームのために自分ができること」私は高校までサッカーに打ち込み、関西プリンスリーグで優勝を経験しました。当時のチームは攻撃力が武器でしたが、カウンターから失点することが課題でした。私は派手なプレーで目立つタイプではありませんでしたが、「自分にできることは何か」を考え、自分の弱点だった切り替えの速さやポジショニングを徹底的に分析しました。攻守両面で走り続けることでチームのバランスを支え、失点を減らし、攻撃陣がより力を発揮...

夢を、夢で終わらせるな。──会社を一緒に作ってきた男が、今思うこと

「こいつ、大丈夫なやつなのか」それが、松本龍拓と初めて会った時の正直な印象だった。開口一番に向けられた問いが「お前ってどうなりたいの?」だった。どうなりたいって、どういうことだよ。そう思った。変なやつに会ったな、と。あれから数年。今、僕は株式会社最強の取締役として、代理店推進事業部の責任者を担っている。断る理由が、なかった前職はBtoBの営業をしていた。別に面白くなかったわけじゃない。でも、松本から声をかけられた時、迷いはなかった。ワクワクする方を選びたかった。それだけだった。あとは正直に言うと、断れなかった。前職で上司と部下として一緒にやってきた中で、松本には他の人とは違う感情があった...

20歳フリーターが最強の幹部になるまで。

「稼げる」その一言だけで飛び込んだ、フリーターが幹部になるまで僕は、姫路でフリーターをしていた。建築の専門学校を出て、大学に編入したものの途中でやめた。彼女と同棲していたけど、収入は彼女より少なかった。このままじゃいけないとは思っていた。でも、何をすればいいのか分からなかった。そんな時、高校の先輩に声をかけて、紹介してもらったのが代表の松本さんだった。「稼げる」、それだけで決めた正直に言う。入社の理由は、それだけだった。当時の僕は20歳で誰がすごいとか、誰がすごくないとか、そういう判断ができなかった。いろんな人と会ってきたけど、みんな大きいことを言うわりに目標を達成しそうな人がいなかった...

【何者かになりたい】と思ってた学生が30人の学生を率いて幹部に昇進

僕は、ただの大学生だった。特別な才能があったわけでもない。何かを成し遂げた実績があったわけでもない。それでも、自分の中にはどこかでこう思っていた。「自分は何者かになれるんじゃないか」そう信じていた。でも、そのために何をすればいいのか分からなかった。そもそも、そんな環境が存在することすら知らなかった。何者かになりたい。けれど、何をすればいいのか分からない。そんな宙ぶらりんな感覚を抱えていた頃、人との繋がりで紹介されたのが、株式会社最強代表の松本さんだった。⸻最初の面談の日待ち合わせ場所を、僕は間違えていた。指定された場所ではなく、別の場所で待っていた。本来なら、自分で探して向かうべきだった...

株式会社最強の創業とこれからの展望

株式会社最強の創業とこれからについて「何者でもなかった」と、はっきり言える正直に話そうと思う。僕は、特別な学歴も、特別な才能も持っていなかった。大学を2年で中退し、工事現場で雑用をして、その後始めた完全歩合制の営業では、何ヶ月も全く売れなかった。「自分はこんなにも社会で通用しない、無力な人間なんだ」と突きつけられた夜、誰にも相談できず、2週間家に引きこもった。眠れない夜、ただ自問自答を繰り返していた。このまま諦めて、元の生活に戻るのか。 それとも、もう一度立ち上がるのか。ふと、気づいたことがあった。「このままじゃ、言ってることとやってることが違う、嘘つきでダサい自分のまま、一生終わる」そ...