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【代表インタビュー 前半】引きこもりからすべてが始まった

はじめまして!

2023年9月に入社したばかりの鈴木聡一郎です!

今回は、弊社Misfits株式会社の代表である神谷翔也にこれまでの経歴や会社への思いなどを赤裸々に語っていただきました。

このインタビューは、同じく9月に入社した同期である遠藤皆登と蓑原亜弓の3人で行いました。

今回はインタビューの前半として、代表神谷の「過去」について聞きしました。

代表紹介

氏名 神谷 翔也
役職 代表取締役CEO
出身 沖縄県
年齢 29歳
趣味 トライアスロン

▍Instagram
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https://www.instagram.com/shoya.misfits/



順風満帆な生活の先に待ち構えていたもの

遠藤:改めまして、本日はよろしくお願いします。これから色々とお話しをお伺いしますが、いつも通り翔也さんと呼んでも良いですか?

神谷:良いですよ!

遠藤:ありがとうございます。
まず最初に、翔也さんの生い立ちについて教えてください。

神谷:出身は沖縄県で、5人兄弟の次男として生まれて幼い頃からやんちゃな子でした。通信簿には「明朗快活」って書かれたこともあったので、明るい感じだったんじゃないですかね 。運動は好きだったし 、小中高とずっと野球やってたし。まあ、中学生のときは運動もできて、テストも勉強せずともある程度の点数は取れていたかな。

遠藤:すごいですね...

神谷:まあ、高校はなんとなく地元の進学校に進んだんだけどね。

鈴木:進学校に進んでからも、野球は続けられたんですか?

神谷:そうだね。進学校にしては良いメンバーが揃ったから、甲子園を目指していたんだけど、しかし、なぜか怪我が結構多かったんですよね。そのときから興味をもち始めて、将来、医者になって身体のことで悩んでいる人たちを救いたいと思うようになって。

蓑原:たしかに、スポーツで活躍していた人が大怪我で引退するってことも多いですよね。

頻発した怪我。そこから始まる医者への憧れ

神谷:そう。恥ずかしい話だけど、勉強もできるほうだと思っていたから安易に受かるだろうと考えていたら、現役のときは見事に落ちたよね(笑)

遠藤:その後、どうなったんですか?

神谷:そこから3年間の浪人生活がそこから始まるんだけど、なぜか予備校とか塾に行くのが嫌で、自分で勉強しようって思って、宅浪してたの。でも、そこでいろんな挫折があって1年間引きこもったんですよね。

蓑原:そんな経験をされていたんですね。

神谷:そう。詳しく話すと、もともと完璧主義だったので1浪目のときは、すごく綿密に計画を立てて、それをこなすみたいな日々を過ごしていました。

ものすごく頑張ったんだけど、なかなか結果が出なくて凄く苦しかったんだよね。

鈴木:あぁ、それは苦しいですよね。

神谷:そうだね。いまとなっては、すごい良い経験だったと思うんだけど、当時はそれがつらくて、そこから勉強するのを全部放り投げて、引きこもるようになりました。自分のことがどんどん嫌いになっていくから夜も寝れなくなって。誰とも会わないし、連絡も別に来ないしみたいな一日を過ごして、お昼はだいたい寝てるみたいな生活を過ごしていました。

遠藤:自己嫌悪に陥ってしまったり、何をしたらいいか分からないというツラい経験を通して、何か得たものはありましたか?

神谷:3年間の浪人生活を通して気づいたのが「何もしなかったら本当に何も起きないんだな」っていうことです。1年間考えても「生きる意味なんて分からないんだな」と思って、だったら割り切って人生の意味を作っていくことが大切なのだと気づかされたんです。

鈴木:そうなんですね。

神谷:人生の意味を作っていくにはどうしたらいいんだろうって考えたときに、とりあえず「いま、目の前にあることを一生懸命やることが大切」なのかなって思うようになりました。

蓑原:たしかに、行動しないと何も変わらないですし、まずはいま一生懸命できることをやることって大切ですよね。

神谷:じゃあいま、自分が熱意をもってできることって?って考えたとき、自分で起業していくことなのかなとか、お金を稼いだ後になんかこう自分なりにできることをやっていくことなのかなとか思っていました。そんなある日、僕の人生を変える方と出会いました。その人がキャンピングカーで日本1周のために運転手を募集しますっていうタイミングだったので、すぐに申し込みました。そしたら「来週来れる?」と言われました。でも、「行けます!」って言っちゃって、向かいました。

鈴木:すごい思い切りましたね~。

神谷:そこから、1週間後にかばん1つでお家を出て、キャンピングカーでの下積みのような運転手生活が始まりました。



下積み生活の先に掴んだ大きなチャンス

蓑原:いま、Misfitsの代表としてご活躍されていますが、これまでを振り返って、最も大きな挫折期間は、3年間の引きこもり生活ですか?

神谷:あれが1番大きい…挫折というか、本当になぜ俺が生まれてきたんだろうみたいなことをすごく考えてはいましたね。

蓑原:それを乗り越えるためにしたことは、とにかく、自分に問いかけ続けたってことですか?

神谷:問いかけたらどんどん深みにはまっていっちゃって(笑)
病んでいったけど、別に死にたいとかは全く思いませんでした。でも、どうしたらいいか分からなくてっていう感じが続いて、この状態を1年続けながら記憶もあまりない中で、終始同じ部屋に閉じこもっていたから、このまま60、70歳になって死んでいくのは絶対嫌だなってシンプルに思ったので、じゃあ行動するしかないなみたいになりました。行動しようと思ってとりあえず勉強めっちゃしたみたいな感じです。

蓑原:3年間浪人生活したって話を聞いたら、普通の人はそこで挫折したと考えると思うのですが、でもそういう感じじゃないですもんね。

神谷:まあ、仮に1浪目がスーパー挫折として、そこからなんとか盛り返そうと思って頑張りました。でも別に受験もうまくいったかって言われたら実際本番受けてないしね (笑)
2浪目はダメだったし、3浪目はむしろ受けてないから、だから失敗って言われれば失敗だよね、多分。浪人は結果だけで見ればね。

蓑原:翔也さんの中では、2、3浪目を挫折とは捉えていないんですね。

神谷:そうですね。頑張って良かったなと、毎朝早く起きて原付乗って、12時ぐらいまで勉強して帰ってきてっていう生活を淡々とやってたから、2年間ですごい忍耐力がついたと思います。



いかがだったでしょうか。インタビューの後半では、引き続き神谷の「現在」と「未来」についてをご紹介したいと思います。


鈴木 聡一郎


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