私が仕事を選ぶ時の決め手は、ただひとこと「直感」。新卒で入社したゴールドマン・サックス、異業種に挑戦したラグビーワールドカップ、そしてSanu。いずれも、出会った時の直感が原動力でした。
ただそこには、直感を確信させる共通点もありました。
「誰と働くか」で選び、外資金融の世界へ
就職活動をしていた2000年頃は、外資系金融機関の拡大期でした。ゴールドマン・サックス(以下GS)を含むいわゆる「外資金融」は、80年代に日本に上陸したのち、90年代後半にかけて日本の市場にストラクチャード商品や証券化商品といった新たな手法を取り入れ、急拡大の最中にありました。それに伴い採用活動にも熱心で、そこで働く人たちは冬でも腕まくりをして頭から湯気がたつほどのエネルギーにあふれていました。
就職活動を通じて、彼らがマネジャークラスに上がるほど、オン・オフの切り替えが巧みであることが新鮮でした。プライベートでウルトラマラソンに出場するトレーダーや、アマチュア自転車レースの最高峰であるツール・ド・おきなわで表彰台にあがるマーケター。みんなオンもオフも楽しそうで、もともとスキーに熱中していたことやアウトドアスポーツ志向だったこともあり、一緒に働きたい、という直感はすぐに確信へと変わりました。
車山高原SKYPARKスキー場。GS時代、オフに東京都スキー技術選手権大会に出場した時
ゴールドマン・サックスで過ごすハードなジュニア時代
GSでは、信用リスクを取引するチームのミドルオフィス(管理部門)で経験を積みました。比較的好景気が続いた2000年代前半、投資家や資金調達者のニーズにあうような金利や満期を自由に設定できる仕組債券の組成は特に盛んで、私はケイマン籍の特定の取引専用の会社(特定目的会社: SPC)を用いた金融商品取引の管理全般を任されていました。
バイブルと言われる英文の信託証書や、200ページにも及ぶ目論見書をくまなく調べ、ロンドンの受託銀行の担当者と現地時間にあわせて決済の確認をし、顧客や営業から質問があればニューヨークの弁護士に相談するというハードな毎日でした。
100kmレースに出場し、自然が生活の一部へ
初挑戦。40時間で4人1組めでたく完歩した記念写真
ある日チームの先輩から「ねぇ文代さん、100kmレースに出ない?」とのお誘いを受けました。これまた直感で楽しそう!と思い、一つ返事で参加を決意(今から思えば少しぐらい迷うべきでした、笑)。
それは、イギリスの慈善団体 Oxfam がチャリティを目的に開催しているレースで、1チーム12万円のファンドレイズを行い、4人1組で48時間以内に小田原から箱根を経由し山中湖までの100kmを歩き切るというイベントでした。
ほとんど寝ることもせず、朝も夜もひと気のない山中を一歩一歩進む二日間。感覚が研ぎ澄まされているからこそ出会える数々の瞬間がありました。
夜の闇に目が慣れてようやく気づいた、斜面の岩の色のグラデーション。初夏にもかかわらず標高1000mを超えれば空気中の水分が凍ってはゆるみ、水滴が滴ったハードシェル。二回目の夜半に明神峠から一気に標高をあげ、1300mの三国山から一気に山中湖村へと下る道中の、穏やかで温かかった朝焼け。
そして、このイベントのために毎週末レースコースを試走するうちに、山で遊ぶのがいつのまにか生活の一部になっていました。
身近な自然に触れる、穏やかな猶予期間
さて、2008年9月15日の前日、リーマンブラザーズが bankruptcy laywer(破産専門弁護士)を雇ったというニュースを聞いて誰もが予感した通り、まもなく私たちの部署は解散に追い込まれることとなりました。
かくして訪れた7か月にも及ぶお休み期間は、「最近、太陽見てないなぁ」なんて軽口を叩いていたかつての慌ただしい毎日とは何もかもが正反対。朝焼けの時刻や太陽の傾き、土手の草刈りのタイミングに目をむける日々。20年前に母と堤防に腰をかけて、満潮になると河が上流に向かうね、と見つめた多摩川をひとりゆっくりと眺める夕刻。
身近な自然に触れて満ち足りた想いに包まれた猶予期間は、意外にも穏やかにあっという間に過ぎていきました。
「何をするか」で選んだ、ラグビーW杯の世界
ラグビーワールドカップ2019大会。熊谷ラグビー場にて。後のSanu CEO福島と。
その後、米系証券会社であるモルガン・スタンレーでの金融一色の日々を再び経て、2015年にラグビーワールドカップ2019(以下RWC)の組織委員会に参画しました。もともと全日本スキー連盟の副業ポジションでマーケティング施策に携わるなどスポーツへの関心が高いこともあり、「何をやるか」という点でまさに自分にぴったりの環境でした。
一方、たった一度のイベント運営が目的のチームだったため、長期的なベストを探るよりもタイムリミットを優先した決断に従わざるを得ないことも多く、「何をするか」と同じくらい「誰と(=何を大切にする人と)働くか」が大事であるという自身の価値観に改めて気づく機会となりました。
RWCに参画した最大の幸運は間違いなく、SANUのCEOとなる福島弦に出会ったこと。
福島が、外資系戦略コンサルという全くの別の業界からパッションとスキルを備えてラグビー界に参画し、次々と新たな取り組みを実現する姿に強く触発されました。お互いに別のチームに所属していましたが、新しい領域に挑戦する気概は共通していたと思います。
RWCが成功に終わり、まもなく福島と(ファウンダーである)本間がSANUを立ち上げ、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」をブランドコンセプトに一緒に仕事をやらないかと声をかけられたときには、ついに「誰と働くか」と「何をするか」の巡りあわせだ、と胸が高鳴ったことを強く覚えています。
過去の経験を総動員して挑む、SANUのコーポレート業務
Sanu 2nd home白樺湖から出かける夏の車山高原。Photo: Sayuri Murooka
かくして、創業から約一年後に社員1号としてSANUにジョイン。現在、コーポレート部門で会社全体のコントロール業務を行っています。スタートアップのコーポレート業務は、攻守両方の視点で管理を行いながら裁量も大きく、「気がついたことは全て私の仕事」です。
今は、会社の会計・経理業務をはじめ、契約書の作成や行政手続きなどの法務業務、そして主力事業であるSanu 2nd homeの管理業務をカバーしています。
SANUは、「Live with nature. / 自然と共に生きる。」というクリーンな理想を掲げながら、しっかりと根を張ったビジネスを行う事業会社です。Sanu 2nd home事業では、不動産を取得して、SANU独自のアイディアでその価値をあげながら事業価値を最大化するのですが、その裏では複雑な収支を紐解いたり、はたまた、よりシンプルで事業拡大のためにベストな仕組みを作るといった攻めのコントロールを行います。
「取引のスキームづくりやコントロール」と「Live with nature. / 自然と共に生きる。」ということ。これまでは金融商品取引のために行っていたSPCの活用やリスク管理業務を、今はSANU 2nd homeをより広く届けるために行っています。当時は予想しなかったかけ算に、これまでの経験を総動員して臨む毎日です。
私たちは、人と自然が調和して生きていく世界を実現するために、「住」の領域でユニークなサービスを打ち出していきます。コーポレート業務をはじめ、ジェネラリストとしての経験が大いに活きるチャンスがこの先もたくさんあります。
「Live with nature. / 自然と共に生きる。」というブランドコンセプトに共感し、新たな世界に踏み出してみたいと思ったら、ぜひ力を試してほしいです。これから本格展開のSanu。募集が出ていないポジションでも、我こそはと思う方はぜひ recruit@sa-nu.com までご連絡ください。
人生一度きり。Enjoy your ride!