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【23卒内定者紹介Vol.4】マインドギャルになりたい田舎っ子が、地元を飛び出し「ありのままの自分」でいられる場所を見つけるまでの話

#ありのままの姿がみせるのよ~

こんにちは!採用担当の望月です。
まだまだ寒い日が続きますね。今回はこれまで、「自分らしさ」に向き合って考えることが多かったという、小島さんに内定者インタビューをしてきました。

小島愛美(Kojima Manami)
宮城県多賀城市出身 筑波大学人間学群教育学類卒業予定
高校ではback numberに憧れ始めたバンドで、全国大会に出場。
大学では体育会の同好会でアルティメットに打ち込む。
週3の練習に加え、アルバイトは週6でこなすなど常に手帳に空きがない。
趣味はカラオケと弾き語り、岩盤浴、spotifyでプレイリスト作り、日記 etc…
最近の夢は、47都道府県の日本酒を制覇すること

Chapter.1 他人軸でしか生きられなかった幼少期

ー「他人軸でしか生きられなかった」というのは、具体的に言うと?

物心ついた時から高校に入るくらいまでは、とにかく人と衝突したくない、異論や疑問を挙げて波風立てるくらいなら自分の意見は飲み込んだ方がマシだ、とずっと思っていました。

側から見たらクソが付くほどの真面目ちゃんに見えてたと思いますし、先生からも物分かりのいい子だと思われていたみたいです。実際全然そんなことはなかったですけど(笑)

でも今思えば、それって大して良いことではないというか、本質的じゃないというか…。

人と衝突を避けたいという意味合いももちろんあったんですけど、何かにおいて成功体験を積めたこともなかったし、褒めて育てる家庭でもなかったので、正直自分に自信が異常なほど無かったんですよね。
今でも自分の自信は高くないですが、当時は本当に拗らせていました。

だから、多分自分は間違っているから、あるいは多分他人の方が正しいから、他人の言うこと聞いていればいいやって思って。こうやって振り返ると責任転嫁も甚だしいというか、ほんと、楽をしていたな…と思います。

長く交友関係が続いている地元の友人が少ないのですが、意見が衝突しながらも、思っていることをお互い言い交わし合った経験がないからかもしれません。

今この話すると有難いことに大体「意外〜!!」と言ってもらえるんですが…本当に大反省しています(笑)


Chapter.2 バンドマンになって得たもの

ー高校時代が、他人軸からの転機と言っていたね。

はい、もう価値観が丸ごと変わったと言っても過言ではないです。それくらい私にとっては大きな3年間でした。

私が通っていた高校は、校則なし、制服なし、部活なし、机はカラフル…と色々ツッコミどころ満載の学校でした。

そんな個性的な学校を、確実に合格する偏差値でかつ家から近いという理由で選んだ訳なんですが(笑)

それはさておき、学校のキャッチコピーが「ひとりひとりが輝く学校」だったんです。
本当に先生も生徒も他人の個性を認め合い、尊重し合う、本当にコピー通りの素敵な学校でした。

ーすごい自由度合い!
そんな高校では小島さんはどう過ごしたの?

部活はない高校でしたが、あらゆるスポーツから音楽、美術系まで、任意のサークル活動はあったんです。

わたしは軽音に入ったんですが、当時から大ファンだったback numberの大好きな曲たちを『いつか自分で演奏してみたい』という気持ちがあったのと、

サークルの中で対外活動が認められていたのが「ダンス」と「軽音」だけだったので、何かに打ち込むなら、発表の場が校内だけに留まらず、学校を飛び出したところで誰かに見てもらえることがしたいなあという気持ちが相まった結果でした。

とはいえ、最初はやっぱり「部活じゃないしなぁ 」「ゆるくback numberのコピーバンドできたらいいや」くらいにしか思ってなかったんです。いろんな曲をコピーして、月イチでライブハウスに演奏しに行く日々を一年弱くらい過ごしていたと思います。

そんなある日、顧問の先生から「オリジナル曲で大会に出ないか」と声を掛けてもらったんです。経験もなく、作詞作曲のノウハウも知らないので最初は戸惑いましたが。けど、せっかくだし面白半分で出てみることにしたんですよね。これが、かなり大きな出来事でした。

曲作りに着手した時は、相変わらずの他人任せの性分をフルに発揮していました。ギターボーカルを担当していた子に曲の大まかなたたき台を作ってきてもらって、それを聴かせてもらって「いいじゃんいいじゃん〜」って、いつものようにイエスマンでした(笑)

でも、それを少し自分でいじってみたり、何回も聴き返したりしているうちに「この良いたたき台をもっと良くアレンジできる」という感情や、「この部分は絶対こうしたい」的な譲れないポイント、こだわりのようなものが芽生えてくるんです。
この辺りから、より良いものを作るために意見を言ってみようと思えるようになって。

結果的にその時作った曲を大会で演奏して、優勝することができました。こうした実体験をもって「議論や擦り合わせをすることの重要性や面白さ」を理解し始めたような気がします。各々こだわりを持ちつつも、人の意見を取り入れ、うまく組み合わせるのが上手なメンバーに救われた面も大きいですが。

ーなるほど!個性的な高校入学から、まさかのバンドでの大会出場によって、受け身な生き方から脱する兆しが見えてきたんだね。

そうですね。本当に周囲の環境や人に恵まれた高校生活だったな、と思います。自分も他人も幸せにできる友人が沢山周りにいて、未だに定期的に刺激をもらえるのはとても幸せなことだなと常々思います。


Chapter.3 初めての真の「意思決定」と「自己主張」

ーその後の大学進学では、地元ではないエリアの大学を選んでいるよね?

元々親には地元の大学に行きなさいとずっと言われていて、一人暮らしなんて夢のまた夢の話でした。

お世話になった小学校の担任の先生に憧れて小さい頃から教員を志していたこともあったので、当たり前に地元の教育大学に進学すると、親も、私も思っていました。

ただ、真剣に自分の進路を考えるようになった時に、「同じ志を持つ人と切磋琢磨できる環境(=教員養成の大学)よりも、「色んな価値観や学びに触れられそうな環境(=総合大学)」の方が、面白そうだなと思うようになったんです。どちらが良いという話ではなく、これは本当に私の当時の直感です。

そこで自分で色々調べたり、先生に相談しているうちに筑波大学の存在を知りました。長くなってしまうので割愛しますが、当時一番学びたかったことを専門にしている先生がいて、かつ総合大学で、とにかく色んな人がいそうだなと。惹かれたポイントはこれだけじゃないんですが、とにかく「ここに行きたい!!」と本気で思うようになり、親を説得する日々が始まりました。

昔の自分だったら、県外に行くなと言われたら、さっさと諦めていたと思うんですが(笑)

初めてきちんとした意思決定とその主張をして、自分の人生を自分で決める経験ができたなと思います。許してくれた親にも感謝しています。

正直「ここに行きたい!!」と思った時は全然偏差値も足りず、かなり絶望的な状況だったんですが、自分の意思で選択できたからこそ受験勉強は誰よりも頑張れたと思います。

今考えたら恐ろしいですが、毎日13時間の勉強も当時は全然苦じゃなかったです。

ー軽音で得たものが、自分の人生選択でも大きく影響してると感じるエピソードだね!


ー入学後はどうなっていくのかな?

人生で一度で良いからチームスポーツがやってみたかったんです。それで新歓はずっとアルティメット、ラクロス、ホッケーなどのカレッジスポーツを中心に見ていて、結局、新歓の時に一番面倒を見てくれた女の先輩に一目惚れしちゃったのと、雰囲気の良さに惹かれてアルティメットの同好会に入りました。

コロナ禍の影響もあったので、満足いくように大会に出たり、練習したりというのは現役の時は叶わなかったのですが…。何よりこの同好会で過ごした時間からは、「ありのままの自分でいること」の重要さを教えてもらった気がします。

高校で人付き合いや価値観に変化があったとはいえ、やっぱり基本はまだどこか他人軸で、根底にある自信の 無さはそう簡単には覆らなかったんです。

でも、そういう根底から湧いてくる悩みを受け止めて、「顔色伺って他人に合わせたり、向けられた期待ばかり拾わなくたって、こじまなは十分楽しく生きられるよ」と面と向かって伝えてくれる人が沢山いました。

それで少し楽になれたというか、受け身で過ごすのをやめてみようと思って。
元々は「自分とサシでご飯行っても楽しくないだろうなあ」とか「私なんかと仲良くしてもなあ」みたいな、仲良くしてくれる人にすごく失礼なスタンスで人と接していたんです。
でも最近はそう言う思考が少しずつ改善されてきて、自分が話したい人と話してみる、誘ってみるができるようになりました。

こんなエピソードを直接言ったら「真面目ぶんな!!」と笑われそうで少し恥ずかしいですが…でも本当に高校同様、今の環境や周囲の人たちにはとても感謝しています。いつかちゃんとみんなにありがとうを伝えたいです(笑)

ー第一印象は活発で健康的なイメージだった!
揚羽と出会った時は、そういう変化があった時期でもあったんだね


Chapter.4 「等身大でいたい」をこれからも叶えるために

ー大学では他にもジムトレーナーのアルバイトもしてたよね!

トレーナーに関してはやりたくて始めた訳ではなく、最初はフロント業務っていう求人を見て応募したんです。

面接の時に「体育会入ってるならトレーナーもやってみない?」と言われ、知識も技量も自信もないので「それは大丈夫です!!」と強めに返した記憶があります。

ただ、気が付いたらトレーナーの業務するための研修が沢山シフトに入っていて、最終的にある程度の使い方とトレーニングメニュー組み、食事指導までできるようになっていました。

やりたい!というスタートではなかったけど、話の引き出しが増えたり、自分にも活かせたり、何よりトレーナーとしての経験が自分の就活軸に直結したので、結果オーライといいますか、やれてよかったと思います!

ー就活軸は【潜在的な課題に介入できる仕事がしたい】だよね?

そうです。
最初はマニュアル通りのヒアリングしかできず、結局どのお客さんの口からも「痩せたい」「運動不足で〜」という目的しか引き出せなかったんです。
だから提案するメニューが似たものになってしまって、途中から面白くなくなっちゃったんです。
でも、自分が担当する会員さんと仲良くなり、何気ない話をしている時に「今度結婚式があって、こういうドレスを着たいんだけど…」と写真を見せてもらって。その時に、要はこのお客さんはドレスで見えるところを中心にボディメイクしたいんだな、と重点的に取り組まなければならないポイントに気付くことができたんです。

目に見えるありきたりな課題だけでなく、その背景にあるより深い目的や目標を会話で引き出して、それに向けた提案することができたら、自分もワンパターンの提案から脱却してやりがいを持って働けるし、何より担当した会員さんに満足してもらえるんだな、と。それを理解してからは、バイトに行くのがすごく楽しみになりました。
そしてしばらくして就活が本格的に始まり、自分のしたい仕事ってなんだろうと考えてみた時に、ジムのバイトで経験した「お客さんが口に出さない潜在的な課題を引き出した上で、解決を提案する仕事」を、より高いレベル感でやってみたいと思うようになったんです。

そのプロセスに近い仕事、かつインターン等を通して楽しいと思えたのが、

個人的には広告業界だったんですよね。

ージムトレーナーが広告に結びつくなんてびっくりだね!
ちなみに、他にはどんな軸があったのかな?

就活する上で、会社選びの基準にしていた軸がもう2つありました。
結構ありきたりに聞こえるかもしれないんですが、「若手から裁量を持って働ける会社」「チームで何かする/協調性を重んじる社風」です。個々は満たしていても、意外とこの3つを兼ね備えている会社って、すごく少なかったなと思います。

「若手から裁量を持って働ける会社」が会社選びの基準に入っているのは、ロールモデルである母の影響が大きいです。
私の母は、それこそマインドギャルと言いますか、何かに依存することなく、強く逞しい女性の権化のような人であり、家族の精神的支柱でもあります。OL時代「この会社ではもうこれ以上自分は成長できない」と思った瞬間に辞表を出せちゃう破天荒さも持ち合わせているんですが(笑)現在の母があるのは、そうやって失敗を恐れず挑戦し続けたりした過去に基づいているような気がして。
だから背中を追いかけるじゃないですけど、私も家庭を持つ前、とにかく早いうちから沢山の経験や失敗を積んでおきたいなと。どんな環境でも実現できるかもしれませんが、年功序列に守られているような働き方はイメージとは違いました。

「チームで何かする/協調性を重んじる社風」については、小学校4年生の時に経験した東日本大震災の影響が強いと思います。2週間以上の避難所生活を経験したことで「人はひとりでは生きられないんだな」ということを身を以て実感したこともあり、よく就活でも聞かれる「一番大事にしている/譲れない価値観はなんですか?」という質問に、私はずっと「人の輪や繋がりを乱さないこと、大事にすること」と答えてきました。

地元の友達は少ない…と冒頭でお話しした気はしますが、一度築かれた関係は誰よりも大事にするんです。(当時は協調性を静観することだと勘違いしていましたが)なので、個人プレーで競争し合う、淘汰し合うという環境より、同じように人の輪や繋がりを大事にする人たちと一緒に働きたいなと思って、この軸を挙げていました。

それから、揚羽を選んだ決定的な理由は、どの会社よりも「等身大でいられる」と思ったからです。結構、他の企業の面談や面接では、ウケを気にしてどこか取り繕って話してしまう自分がいたのですが、揚羽は人事の方々に限らず、社員さんみなさんがありのままの自分の話を受け入れて、相談に乗ってくれて…。
選考でこんなに自分のこと正直に話していいのか?と思うくらい、素直に自分の話ができた、そんな感覚がありました。大学4年間で手に入れた『ありのままの自分でいる感覚』を社会人になっても忘れずに働けたらいいのにな…と心の底ではずっと思っていたので、面談や選考を重ねていくうちに、ここしかない!という思いがどんどん強くなっていきました。

ーいろんな会社を見たからこそ、気がつけたことかもしれないね!
最後に、今後はどんな自分になっていたいですか?

こうやって整理してみると、あらゆる経験が今の価値観に繋がっていて、無駄なことは1つもなかったな、と改めて感じることができました。

今後の夢は、母親が家庭における精神的支柱であるように、私は所属したコミュニティの、それこそ会社における精神的支柱になれるような人間でありたいです。それから、まだまだ先の話ですが、自分に子供ができたら、その子供にも「お母さんのようになりたい!」といつか思ってもらえるような女性であれたらな、とも思います。

社会人としては、具体的な業務内容は決まっていないですが、決まった先でその道のプロになれるよう、ヘッドハンティングに目をつけられるくらいの市場価値の高い人材になれるように、頑張っていきたいです。

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