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プロフィール
ABEJA Infrastructure Engineer / 村主壮悟(むらぬし しょうご)
京都府出身。高校を3ヶ月で中退。
元アイレット株式会社の大阪拠点立ち上げメンバー・cloudpackグループリーダー。
AWS導入のコンサルテーションから、インフラの設計・構築・運用保守を担当し、大企業のAWSへのマイグレーションを中心に多数の案件を担当。
AWSの認定資格は5つ取得。JAWS-UG京都支部メンバー。
前職時代にクラウドのメインストリームにいる中で、IoT,Bigdata,AIが次の波であると確信し、2017年3月よりABEJAへ参画。関西を主な拠点として、リモートワークで開発を推進。
意味がないと感じて高校を中退してトラック運転手に
ABEJAは色んなバックグラウンドを持っている人がいますが、その中でも、村主さんは異色の経歴ですよね。この機会に学生時代からドライバーになった経緯をぜひお聞きしたいです。
まぁ、確かにレアケースでしょうね(笑)
簡単に学生時代の頃をお話しますと、私は京都の伏見出身です。日本酒・酒蔵が有名だったり、坂本龍馬が亡くなった土地でもあります。そこで生まれ、育ちました。
中学2年生の頃にコンピュータに出会い、まだプログラミングはスタートしていませんでしたが、ずーっと触っていましたね。
今では懐かしいですが、テレホーダイの時代です。分かる人にはわかるかと(笑)
中学生活の話をすると、私の在籍してた中学は非常に荒れていたのか、高校に進学しても7人に1人は退学していて、結局1年で20人ぐらい退学者がいましたね(笑)
僕もその1人で、当時は勉強への意味が見出せず、夏休み入る前に辞めました。
友達と夏休みはひたすら遊んで、夏休みが終わるとバイトをすることにしました。
なぜかというと、友達は学校が始まって、私は暇になるからです(笑)
16歳から20歳まで、色んなバイトを掛け持ちをしていました。
マクドナルド、回転寿司、清水寺のバイト、その他諸々...。その頃にヤマト運輸の短期バイトを始めていました。
働きぶりを社員の方からすごく評価していただいて、契約社員の話をもらいました。
ヤマト運輸は20歳からしかドライバーになれないので、そのタイミングで契約社員になり、ドライバーの仕事をスタートしました。
転機となった運命の事故、生きる道を模索した結果、エンジニアへ転向
なるほど、そこからエンジニアになったのはどういった経緯でなられたんですか?
今振り返れば、不幸中の幸いかもしれませんが、22歳の頃に事故にあったことがきっかけです。配達中、荷物を荷台に積んでいる時に突然セダンが後ろから私に突っ込んできて、トラックのステップに脚を挟まれたんです。
二ヶ月間入院を余儀なくされ、当時の事故で脚の神経の一部がなくなりました。
今はフットサルも出来たりするので、大きな支障はないですけどね。
この事故を契機に、自分のキャリアを見つめ直すことになります。
なぜなら、怪我によって一番影響を受けるのが、給与だったので。
給与の仕組みが、半分以上が歩合制で、出来高によって決まっていたんですね。
事故のことも含めて、これから年齢を重ねていって身体を動かせなくなっていくことを考えると、30代、40代になっても基本給は増えるけど歩合は減るので上がり幅が大きくないし、周りの先輩方を見てると体力的にも厳しそうだなと思いました。
こうして事故が起きた年末、12月にドライバーの仕事を辞めるという結論に至ります。
しかし、当時は結婚したてで、娘も生まれたばかりのタイミングでした。
その年の6月に結婚し、11月に娘が生まれていたんです。次の仕事が決まる前に、嫁に辞めることを伝えた時、「周りが幸せな中、私不幸や。。」と言われました(笑)
当時は「死にはせん、なんとかなるやろ」と言っていました(笑)
ヤマトを辞めた後、次のキャリアを考えた時に、コンピュータが好きだったことを思い出しました。コンピュータを使った仕事がしたいなと思って、ITエンジニアを志して転職活動を行い、大阪の会社へ入社することになります。
クラウド(AWS)の可能性を感じて、アイレットの大阪拠点立ち上げメンバーとして参画
事故を契機に、中学生の頃に触ったコンピュータの話が出てくる訳ですね。面白い。前職のご経験まで一気に聞かせてください。
1社目は常駐先の会社で1年ほどオペレーター等の仕事を行いました。
その後常駐先から誘われ、KYOSOという京都で老舗の開発会社に転職することになります。
KYOSOは8年弱在籍して、簡単なオペレーター業務から、インフラ構築、開発リーダーなど色んな仕事を経験しました。
障害の二次対応などもしていたのですが、もっといい形で対応できるものがないかと思案していた頃、AWSと出会います。2013年の頃ですね。
Immutable Infrastructureに関する記事をネットで見たことがきっかけです。この発想に非常に衝撃を受けました。
この思想を元に考えた結果、クラウドを選択すべきだという結論に至り、AWSに辿り着きました。
当時はシステム変更をする際に、手順書を作りレビューを通し検証環境でテストして本番環境に実装。するけど本番環境ではうまく行かずリカバリして、失敗の原因を調査して報告。とか繰り返していましたが、
クラウドなら既存環境をコピーして変更を加えて、その環境をそのまま本番稼働させ、古い環境は消す。といったことができ、ずっと抱えていた面倒なことが解決され、新しく様々なアプローチができると確信しました。
KYOSO在籍時には、その後1年間に渡って、AWSの良さをクライアントへ伝えていきました。
特に思い出深いのは、京都の有名な某電気機器メーカーに常駐していた時に、インフラをオンプレからクラウドへ移管させたプロジェクトです。
大手企業なので、通常は予算策定前に相見積を取って、購買を通していくのが正規のフローです。
既存ベンダーとのお付き合いもある中で、移行もそれなりの予算が必要なため、1年かけて関連する他部署やクライアントを説得し実現させました。
災害対策が初期ニーズだったのですが、既存ベンダーの月額課金の料金体系が無駄だと感じ、利用していない時は課金されないクラウドの方が必ずコストパフォーマンスが高いと判断しました。
当時、私は情シスに常駐していましたが、その企業としては、初のAWS導入が成功したことを皮切りに、管掌外だった他部署からもAWSを使いたいという声が次々生まれました。
結果、管理すべき範囲が広がり、ウェブサイトやグループ企業のサイトも全て管理することになり、グループ子会社にも出向いてクライアントへ企画から提案まで全て行いまいました。
トータルで6000万ほどの予算を新たに動かして、クラウドへ移管することになったのです。
良いものには価値があることを正しく伝えれば、採用してくれるという成功体験になりました。
その後アイレットへと転職することとなりますが、きっかけはJAWSのコミュニティに参加してクラウドパックの大阪拠点立上げ責任者の方にお会いしたことです。
懇親会で話をして、その後すぐに面接の日取りが決まりました(笑)
AWS認定ベンダーであり、大阪で新拠点立上げというフェーズも面白そうだなと思い、オファーいただいてすぐに参画を決めました。
既にクラウドへの関心が高かったことも大きな要素でしたね。
アイレット入社後3ヶ月で、AWS認定資格もSA Pro含めて計3つ取得しました。
一応その前に、期間としては、妄想期間1年、実務半年があったので助かりました。
妄想は役に立ったかわかりませんが(笑)
アイレットは在籍1年半のみでしたが、エキサイティングなPJTばかりでした。
特に某世界的ゲーム会社のPJTが印象に残っています。
オンプレからAWSへの移管をCTO直下で一緒にやらせていただいたのですが、グローバルからのアクセスがある案件でOracle Databaseのメモリが当時のAWSのMAX容量の244GBの移行案件です。
無事成功に終わりましたが、この時の話はネタが沢山あって語りつくせないので、違う場でゆっくり話せたらと思います(笑)
ABEJAで初の試みとなる地方でのリモート開発を成功へ導く
とても濃い経験ばかりですね(笑)現職でも大活躍中だったと思うのですが、なぜABEJAへのジョインを決めてくださったのでしょうか?
まだアイレットもジョインして1年半だったので、正直転職は考えていませんでしたが、「この波を逃して後悔したくない」という気持ちが大きかったですね。
私がクラウド・AWSに出会ったのは、2013年です。
アイレットに入社したのが2015年で、既に世の中のメインストリームに乗っかっていたんですよね。
いわば、勝ち馬に乗っかっているというか、そりゃあ今後伸びるでしょっていうタイミングからだったので、個人的には遅かったなと思いました。
そして、クラウドの次に来る波は間違いなくAIで、IoTも未来があり必然とBigdata化するとも思っていました。
良いタイミングでABEJAのビジネスを聞かせていただいたことで、「クラウドの次に来る波を逃したくない」という気持ちと、「勝ち馬に乗るのではなく、自らその勝利を生み出してみたい」という想いが強くなり、次の波に移り、自ら作ってやろうという決意が生まれました。
AWSも5年前まで反対されていましたが、今はどうですか?
ゲームチェンジャーが沢山生まれています。
自分からどんどん変化をしていけば、その先にキャリアが結果として着いてくる、というのが僕の考えです。
既にABEJAに入社して約1年ですが、これまでとは違った環境でとても魅力的に感じます。
大きな会社だとHowしか決めれませんが、What(何を提供するか?)やプライオリティも決められる分、自分達で価値の定義から、開発まで一貫してやれます。
遊び感覚で新しいサービスを試してみたり、DevOpsやSREの要素を取り込んでみたりと、自由な裁量で楽しませてもらっています。何よりも自社サービスなのでクラウドの恩恵を100%受けられるのが楽しいです(笑)
関西でリモートワークできる会社は少ないので、自分が良い事例となって、関西のエンジニアの方々にも興味・関心を寄せていただけるようにしていきたいなと思いますし、ABEJAは既に10ヶ国籍のチームですが、今以上に日本各地・海外含めて優秀なエンジニアの方々を集めて、一緒に働いていきたいなと思いますね。
村主さん、濃厚なインタビューありがとうございました!
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