1
/
5

【MyRefer's Game-Changer #06】MyRefer創業期の開発責任者が3年ぶりにアルムナイ入社。非連続な新規事業構想へ

MyReferの“Game-Change”を伝える公式ブログ、今回はMyRefer次世代新規事業の開発責任者坂村さんにインタビューしました。アメリカの大学でコンピューターサイエンスを学び、新卒のITコンサル会社でエンジニア、PMとして活躍し、先輩に誘われてベンチャーを起業、その後フリーランスや事業会社での複数のプロダクト開発責任者として携わり、MyRefer1人目のエンジニアへ。その後一度はMyReferを卒業した彼が、3年ぶりにアルムナイとして戻ってきました!坂村さんのこれまでのお話と新規プロダクト構想について、坂村さんと代表鈴木の対談を行いました。

※このストーリーはMyReferのコーポレートブログ(https://note.com/myrefer/)で公開した記事を転載したものです。
※写真撮影時のみマスクを外しています。

■プロフィール

社長室 新規事業開発グループ 新規事業開発責任者
坂村 晋弥

・米ワシントン州立大卒業後、フューチャーアーキテクトに新卒で入社
・ToC向けサービスの立ち上げ
・検索DBに特化したフォルシア社で高負荷、大容量データを扱う検索サービスの開発に従事
・2015年5月にMyReferの創業メンバーとして参画し開発チームを率いる
・2019年、パーソルにて新規事業エクスチームをリリース
・2021年、MyReferにアルムナイ入社、新規事業開発責任者に従事

アメリカに憧れて大学留学。コンピューターサイエンスを学び、エンジニアの道に

――まずは坂村さんのこれまでの経歴についてお聞かせください。坂村さんは、1990年代にワシントン州立大学でコンピューターサイエンスを学びエンジニアになったと伺いました。当時、海外の大学にコンピューターサイエンスを学びに行くのは珍しいと思いますが、どのような理由だったのでしょうか?

坂村:
その当時は海外の大学に留学してコンピュータサイエンスを学ぶという例は少なかったと思います。
場所はシアトル近郊のベルビューという地方都市だったのですが、MicrosoftやAmazonなどTech系の企業がすごく多いんですよ。そんなテクノロジーの雰囲気が盛んだったので、コンピューターサイエンスを学んでみたいなと漠然と思って専攻しました。そのまま卒業してITコンサル企業のフューチャーアーキテクトに入社し、エンジニアになりましたね。

純粋に「アメリカ行きたい」という想いもあって。バスケットボールがすごく好きだったこともあるし、アメリカンドリームに憧れがありましたね(笑)。実は高校のときにも「交換留学制度」に興味があったけど部活が忙しくて行けなかったので、ずっと留学したいと思っていて。親にお願いしまくって、「一年だけ行かせてください」と話して行きました。

結局、その1年間の中で勝手にコミュニティカレッジという日本でいう短大のようなものに入学して(笑)。そこから、さらに2年の間で、1998年に四年制大学に転入しました。

――コンピューターサイエンスの学問は面白かったですか?

坂村:
正直そんなに面白い学問ではないと思いますよ(笑)。青春を謳歌したイメージは全くなく、ひたすらパソコンと向き合ってプログラムを書いていました。でも、コンピューターサイエンスという王道で、ソフトウェア的にはアルゴリズムやデータストラクチャとそれぞれの計算コスト(僕らの世界ではオーダーと言います)、ハード面ではCPU内部のレジスタ、各種インタラプトの仕組み、メモリと記憶域の読み書き、オペレーションシステム上のパラレルコンピューティングやコンテキストイッチなどコンピューターの原理原則を学んだことは、めちゃくちゃ役立っています。そのときのベースがある上で今があるかなと思いますね。

――当時、日本でもWebサービスは黎明期くらいでしたよね。

坂村:
アメリカにいた頃にWindows95が爆発的に売れて、インターネットが身近になり、数年でMicrosoft+IEが全盛を迎え、ネットスケープ社が対抗馬としてブラウザ戦争してて、Appleはスティーブ・ジョブスが再加入しiMacを売り出し、検索はYahooからGoogleにフェーズシフトしていたような時代でした。今でいう”Webサービス”はebayのようなネットショップとブックストアとしてのAmazonくらいでしたね。

――新卒で入社したITコンサル企業のフューチャーアーキテクトでは、どのようなことを担当していましたか?

坂村:
最初はR&Dという部署に入って、お客様先で作るプロダクトを下支えする共通基盤を作っていました。ただ、実際に利用されるお客様が見えず、ユーザーの声も届いてこないので「フロントに立つ経験がしたい」と上司に話していたら、ある日突然「明日から鹿児島!」と言われて(笑)。それから鹿児島のとある地方銀行の情報系システムを開発する案件に配属されました。そこからは出張が多くて、鹿児島から福岡行ったり、札幌行ったりと。

かなり大変な案件も多かったですが、実際に利用してもらえるユーザーがいる開発が新鮮で、ユーザーにとってどういうものが使いやすいかをとことん考えるようになりました。特にUIにもこだわりが強く、デザイナーさながらに1ピクセルのズレでも指摘していたくらいです(笑)。

――1ピクセルって細部へのこだわりがすごいですね!(笑)そのあと、フューチャーアーキテクト内で社内ベンチャーに参画されたんですよね?

坂村:
札幌で一緒に出張生活をしていた上司がToCサービスの社内ベンチャーを立ち上げられて、僕も一緒に仕事をしていた流れでお声がけいただきました。

――社内ベンチャーの創業メンバーに抜擢されたんですね。その頃から坂村さんは“ギーク”だったんですか?

坂村:
その人と繋がりがあったから、たまたま声をかけていただいただけです。でもたしかに、自分で率先してガンガン開発することが多かったですね。自分で言うのもなんですが、社内的にもギークで結構有名だったかもしれないです(笑)。

人と人を繋ぐサービスを開発してビジネス視点を持ち、ギークな技術者としての深みも


坂村:
社内ベンチャーは残念ながらあまり長続きせず、ちょうどそのタイミングで他の案件で懇意にしていた先輩がWEBサービス系の事業会社を立ち上げるということでお誘いいただき、その方とその方のご友人と3人で独立しました。

当時、2007年頃はmixiやGREEがメガヒットし出した時期でした。ネットを使ったビジネスがどんどん出てきていて、その流れに乗っかって、ざっくりいうと「楽天のようなサイトでギフトを選んで友達に送る」サービスを考えたんですよね。ただ店舗を集めることの参入障壁も高くて。店舗を集めなくていいし、商品を作らなくてもいいようなサービスができないかなと思って、人が人をつなげるサービスを作ることになりました。

例えば、私の知り合いに20代男性で筋骨隆々な人と、ジムを運営している人がいたとして、その2人をつなぐことができるサービスです。「自分は知らないけどあの人なら知っている」という繋がりを数珠つなぎでつないでいけるコンセプトで作ったんですよ。

マンションの一室を会社として借りていたんですが、そこに電話線を引いてみんなが使うパソコンやプリンターをセットアップして、サーバーを風呂場に設置して……みたいなことからやっていました(笑)。今はAWSでボタン一発でサーバー立てたられると思いますが、昔は物理的なマシーンを置いてやっていましたよ。

――大学の経験が活かされそうですね(笑)。どのようなマネタイズだったのですか?

依頼する側が企業だったときに広告費としてもらって、紹介してくれた人にもインセンティブを支払うモデルでしたね。その頃リーマンショックが起きて、結局会社をたたむことになったのですが。

ただ、このときに自分たちの会社を創ったからこそ、プロダクトを作るだけではなく、経営的な視点をもって、どうしたらビジネスとして儲かりやすいかも考えるようになりましたね。そこからは、一度フリーランスになりました。といっても、フューチャーアーキテクトの仕事を請け負っていたんですが(笑)。

――辞めた会社からも、フリーランスで仕事をもらっていたのですね。

坂村:
突然、社長から「暇でしょ」ってメールが来たんですよね(笑)。潰れかけの会社にいたことが耳に入ったんだと思います。ありがたいことに、社長から「この仕事手伝って」というメールをいただいて、仕事させていただいていました。

――まさにリファラル!でもそれだけ信頼が厚かったのですね!

坂村:
恐れ多いですけど……(笑)。

――それから、データ検索に強いフォルシアという会社に。

坂村:
日経平均が7000円~8000円台を右往左往していたくらい景気がめちゃくちゃ悪かったので、フリーランスとしてやっていく難しさも見ていて、明日は我が身だなと思いまして。ちょうど結婚して子供もできたタイミングだったので、サラリーマンに戻ろうと思い再就職活動してフォルシアに入社しました。ここが、めちゃくちゃ技術的にニッチでギーク。すごい会社だったんですよ。PostgreSQLというオープンソースのデータベースを駆使して大量データを検索することに特化した会社でした。上司や同僚もPostgreSQL界隈では有名な方がいらっしゃってすごく勉強させていただきました。

――その会社では、どんなことを経験したんですか?

坂村:
検索するには普通にやったら何時間もかかるようなレベルの大容量データを即座に検索できるようなシステムを作ったり、そんなサービスを普遍的に提供できるような独自ライブラリを作ったりと。とにかく執念がすごいんですよ。「何とかなる、何とかするんだ」という感じの、もはやスキルなのか、追求する姿勢なのか。今でもその執念が活きていますし、「割とできないことはないんだな」というすごい視点を得ましたね。ギークに特化して技術者としての深みが出る経験ができたと思います。

世の中への価値提供を軸に、ワクワクしたMyReferへ入社


MyRefer創業当時、前身「LinkMap」のサービス画面

――エンジニアとして様々な経験をされて、ついにMyReferの1人目エンジニアに。お客様を向いてサービスを作る方向性と技術者としてギークに尖っていく方向性があったと思いますが、MyReferに入ったときはどう考えていたんですか?

坂村:
僕の志向性としては、世の中に対してどんな価値提供をしていくか、ユーザーに対する想いのほうが強かったですね。技術をつきつめていくことも一つの方向性としてありますが、僕としては、技術は何かソリューションを作り上げるための一つの手段だと思っていて。技術が深いとよいソリューションを提供できると思いますが、追及する姿勢が強すぎると結局これで何がしたかったんだっけ?と。僕は、今持っている技術でソリューションを作っていけたらと思っていたんですよね。

――ここからは代表の鈴木さんにもお話を伺っていきたいと思います。MyReferの創業メンバーになったのはどんな流れからですか?

坂村:
実は、そこから1回広告代理店にも転職したんですよね。少しエンジニアから遠ざかった時期があったんですが、やっぱりエンジニアをやりたいという想いがあって、ヘッドハンティングの方に相談していて。そこでインテリジェンスの募集ポストを紹介いただいて、鈴木さんとお会いしたんですよね。

鈴木:
一人目のエンジニアって、後々のCTOポストですごい重要です。でも、当時僕もまだ25歳とかで若かったので、エンジニアの技術の見極めもできないわけで。シンプルに一緒に働きたいと思う人を選ぼうと思っていたんですよね。

たしか坂村さんが起業したときの人と人を繋ぐサービスの話を詳しく聞いていたと思います。当時MyReferの前身となる「LinkMap(リンクマップ)」という構想を持っていて。人と人との繋がりを活かした転職の概念を日本に作ることを考えていたので、近しい話だったんですよね。僕自身大学時代に起業しようと思っていたアイデアも、「クラウドアドバタイジング」という人間広告でした。広告よりも、誰かからおすすめされるほうがいい情報流通になるという想いで作っていたので、その思想に共感してめっちゃ盛り上がったのを覚えています。

坂村:
あのサービスの話がそんなに刺さっていたとは、初耳です(笑)。

鈴木:
あとは、シンプルに人です。めちゃくちゃいい人だから、坂村さんと一緒に働きたいと思いました。

――坂村さんは何が決め手に?

坂村:
僕も話していてめっちゃ楽しかったんですよ。リンクマップの話をして、これは盛り上がるサービスだろうなと思ったのですごいワクワクしましたね。起業したときのアイデアとも近くて、やりたいことがマッチしていたという印象ですね。

鈴木:
でも、1人目の正社員エンジニア、相当大変でしたよね(笑)。
「8月1日にリリースするので時間がないため、入社前から来てください。フリーランスエンジニアは先に集めておきます」くらいの唐突さだった気がしています(笑)。

坂村:
入社前から夜に打合せして設計を進めていましたよね(笑)。しかもその時ちょうどFacebookのAPI仕様が変わって、根幹の機能になる友人のリストが取れなくなったので、大問題でしたね。

鈴木:
あれは本当に大問題でしたね。ソーシャルグラフの形成がグロースハックのポイントだったので、大分最初の構想から遠回りすることになりましたよね。

坂村:
あとは、開発のデッドラインが決まっていることが大変でしたね。リリースまで半年、リリース後1年以内に単月黒字にしなきゃいけないという制約のもとなので、悠長に開発していられないですよね。API問題も勃発するし、胃に穴があきそうなくらい、かなりのプレッシャーを感じながら開発していました(笑)。

インテリジェンスの求人広告との連携や、会計/経理システムと接続しないといけないこと。特に求人データについてはドキュメントが古かったり、誰に聞いても正しい仕様を知らない状態だったので、中身を調べてパズルしながら連携の裏側を作りました。セキュリティについてもインテリジェンスのセキュリティ基準を最初からクリアしておかなければいけないとかなかなかハードルが高かったですね(笑)。

鈴木:
プロダクト開発の順序として細かいことが多かったですよね。あとは、リリース日にあわせるために、フリーランスを一気に増やして開発進めたのも大変だったんじゃないですか。坂村さん5月に入社して、最初のバージョンは10月にリリースしましたもんね。全部が内製は難しいから、サービスサイトやデザインなどは外注しましたね。

坂村:
そうですね。フロントエンドも全然採用できなくて上島さんしかいなかったんですよね。5月に入社してから、何とか10月に「MyRefer1.0」として一部分リリースをして。最終的に12月にフル機能でリリースしましたね。僕1人以外7人くらいフリーランスだったので、まとめるのもすごい大変でした。面白い個性的な人もいっぱいいましたけど(笑)。

鈴木:
最初MyRefer1.0のとき、リクルーターの削除機能なかったですよね。顧客からさすがに「どういうことだ」って言われて。でも、面白いメンバーいっぱいいましたね、ここで語りきれないです(笑)。

MyRefer第二章のはじまりに、半年間口説き続けてアルムナイ入社


――2015年にMyReferを生み出した坂村さんとは、2018年のタイミングで一度別々の道を歩み、今回3年ぶりのアルムナイ入社となりました。

鈴木:
MyReferリリース10カ月で単月黒字を達成して、その後2017年には創業2年目で通期黒字を達成しました。そこから、イノベーションのジレンマに陥ることなく、より我々がスピード感をもって開発していくためにスピンアウトで独立。そのタイミングで、坂村さんはインテリジェンス(現・パーソルイノベーション)のもう一つの新規事業責任者にアサインされたんですよね。

坂村:
そこからは、パーソルイノベーションの新規事業の責任者として働いていました。

鈴木:
でも、坂村さんにはいつでも戻ってきてほしいと思っていたから、たまに「最近どうですか?」ってLINEはしていたんですよね。今回は特に、MyReferの成長を数十倍に加速させるための非連続な新規事業の構想を進めるタイミングで。前提として0→1ができるスキルを持っている人は少ないし、さらに信頼できる、MyReferに愛着がある人というと坂村さんしかいないなと。今後の構想で複数プロダクトを立ち上げていくためには、坂村さんに来てもらわないと困るので、半年くらい連絡を取り合っていました。

坂村:
本人を目の前にして話すのも恥ずかしいですけど、鈴木さんはすごい優秀なんですよ。鈴木さんと別々で仕事をしているときも、「鈴木さんだったらこうしているだろうな」と思うんですよね。だから、鈴木さんともう一回仕事がしたいとは前々から考えていました。

ただ、お話を頂いて嬉しかったんですが、自分としても事業責任者をしていた手前難しいかなと思って迷っていて。ちょうど先日組織改変があったので、一区切りついたかなというタイミングがあって、半年たってようやく鈴木さんにお返事しました。「MyReferに乗せてください。僕はMyRefer初号機パイロット坂村晋弥です」と(笑)。

鈴木:
プロダクトの責任者としての仕事を全うしてから来てくれるのも、信頼されている証拠だと思いましたね。半年間口説き続けてよかったです。

「優秀なタレントの採用」を。新サービスの誕生へ動き出す


――これからのMyReferの構想について伺いたいです。

坂村:
MyReferはMyReferとしてちゃんと成長線に乗っていると感じているので、今は新しい事業でぶち上げたいなと思っています。すごくワクワクしていますね。

鈴木:
2015年に坂村さんと盛り上がった「リンクマップ」の構想ってめちゃくちゃ大きくて、プラットフォームとして日本の転職や採用の概念を変えることを考えていました。でも、それって当たり前だけど簡単じゃなくて、MyReferでチャレンジしたものの、プラットフォームとしてビジネスの売りを立てていくには難しさがありました。そこからピボットをしてB2BSaaSとしてMyReferは軌道に乗っているけれども、HR業界を覆す構想はMyRefer一つには限らないと思っていて。USで採用マーケティングのインフラとなっている「Jobvite」の日本版のポジションを作っていくために、まずは一つめとして坂村さんにプロダクト責任者をお任せしている「MyTalent」というサービスをリリースしていく予定です。

――「MyTalent」についても教えてください。

鈴木:
ざっくり採用マーケティング領域のプロダクトです。我々のケイパビリティを活かすと、リファラル採用の領域から入っているので社員をスコアリングしてファン化していくマーケティング機能に尖っている。さらにリファラル採用で声をかける人は転職潜在層が多いから、タレントプールとの親和性が高い。採用候補者(タレント)をマーケティング機能でファンにしていくプロダクトを柱として作っていきます。

坂村さんもそうですが、優秀な人は3年かけてでも口説くことが重要だと思っています。でもそれって、極めて属人的になるし、人事からするとなかなか優先順位を上げられない。そこのデータを無駄にせずに、もっと科学的に口説いていくことができるサービスです。知らない人に声をかけて一過性で採用する“リクルーティング”ではなく、すでに知っている優秀なタレントをファンにし続けて採用する“タレントアクイジション”の概念を創っていきます。

――最後に、今後のMyReferの組織展望を教えてください。

鈴木:
MyReferはイノベーションを起こし続ける会社を目指しています。その観点で新規事業もどんどん出てくるので、テクノロジーに強い人だけでなく、ビジネス視点を持ったプロダクト開発に強い人がいないといけない。開発責任者として、テクノロジーもビジネスも分かる人がいないと今後のMyReferの進化はないと思っているんですね。坂村さんを第一人者にして、今後プロダクトをスケールさせていく人たちをどんどん集めていきたいですし、「アイデアとテクノロジーで日本のはたらくをアップデートする」ための組織を作っていきたいと思います。

坂村:
MyRefer第二章のキーパーソンとして頑張ります!

アメリカの大学でコンピューターサイエンスを学び、新卒のIT企業でギークに活躍し、起業、フリーランス、技術に尖った会社で数々のプロダクト開発に携わり、MyRefer1.0を立ち上げたスーパーエンジニアの坂村さん。3年ぶりにアルムナイとして戻ってきたこれから、坂村さんが作る新規事業プロダクトが楽しみです。坂村さんと一緒に働きたい方、新規事業を生み出し続けるゲームチェンジを起こす会社で働きたい方、ぜひMyReferを創っていく仲間になっていただけたら嬉しいです!
Invitation from 株式会社TalentX
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社TalentX's job postings

Weekly ranking

Show other rankings
Like Chika Iwata's Story
Let Chika Iwata's company know you're interested in their content