【社長×副社長対談】「インターネットで世界に革命を起こす」Web業界を革新し続けてきたICD代表陣が描く新たな未来とは?
ーー本日は株式会社インタラクティブコミュニケーションデザイン(ICD)の
曽我英治 社長と神農渉 副社長の対談形式で、ICDの設立からこれまで歩んできた道のりについて、そして描いている未来についてお話を伺います。
ーー本日はお時間をいただきありがとうございます。
今回は経営陣のお二人にICD設立の経緯から
どのようにしてこれまで歩んでいらっしゃったのか、
そしてICDのこれからの未来について伺っていきたいと思います。 元々、お二人の出会いはどのようなことがきっかけでしょうか?
神農:同じ高校の同級生という関係です。
クラスも一緒で、私の斜め後ろの席に曽我がいました。
当時はみんな制服を着ているのに曽我は私服で学校に来ていたから「一番後ろになんか不良がいるな」というイメージでした(笑)
曽我:逆に自分は神農に対して真面目そうな人、という印象でした。
髪が短くてスポーツやっているのかなって思ってたら、休み時間にいきなり「サッカーやろうぜ!」って声を掛けてきて
サッカー部に誘ってきたから、本当に爽やかなやつだなって思ったね(笑)
そこから徐々に話すようになり、仲良くなりました。
ーーなるほど!
元々、同じ高校からの長い付き合いなんですね。
普段の業務の中では経営陣としてどのように関わっていますか?
神農:普段はほとんど一緒にいないですね。
ICDの業務全般は曽我に任せていて、私は人事責任者として人事を担いつつ、何かトラブルがあった時に対応したり、周りの社員の話を聞く役割を担っています。
曽我とは別のことをやっていますが、それは付き合いが長いからあえてそのようにしています。
曽我:プライベートでは年に一回しか一緒に飲まないですね(笑)
お互い好きだからこそ、会わないというか仲が悪いわけではなくて、高校の同級生なので信頼関係ができているからこそ、あえて会わないようにしている節はあります。
ーーなるほど!
会社のトップがあえて別々に仕事をしているとは意外です。 そこからICDを一緒に立ち上げるに至った経緯をお伺いしたいです。
神農:元々、私は学校を辞めてから繁華街の飲食店で働いていました。
そこで大手企業に勤めるお客様と知り合って、たくさんお金を使ったり、高級なお店に連れていってくださったりして、いまの生活では彼と同じようなことは出来ないなって思っていました。
そこで、今後どうするか悩んでいたタイミングで曽我に誘ってもらいました。
曽我:1990年ごろですが、自分が当時在籍していた会社で部長職を任されるようになり、ちょうど組織を作るタイミングだったので仲の良い友達を誘おうと思い、神農を誘ったんです。
元々、IT系の会社にいてこれからはコンピューターの時代だと思っていたので、神農に一緒にコンピューターの会社をやろうと声をかけました。
神農:私は未経験だったので、初めは本当に大変でした。
最初はパソコンにもピンと来なかったですし、曽我から本を渡されて、ひたすら勉強していました。
ただ未経験だとしても、会社を続けていくためには収益を出さなければいけないので、曽我とお客様先に訪問してもシステムのプロとしてシステムのことがわかるフリを一生懸命していました(笑)
残業なども多かったですが、お客様先で勉強をさせていただきながらお金をいただいていたので、あまり苦ではありませんでしたね。
ーーなるほど、最初は何もわからない状態から始めて、その後すぐにICDを創業されたのですか?
曽我:いえ、厳密にいうと神農に声をかけてから約7年、2社のサラリーマンを経て、3社目で独立し、ICDを立ち上げました。五反田の川沿いで二人で車に乗りながら、今度は神農の方から一緒にやろうと誘ってくれたんです。
私は前職でずっと取締役として働き、会社を大きくしたいと思っていました。ですが、それが叶わなかったので、他の大手IT企業へ転職しようと考えていました。ただ、やはり私にも「独立して会社を大きくしたい」という夢があり、その当時一緒に働いていた数名の社員がついてきてくれるようだったので、それに背中を押される形で独立しました。
神農:元々、曽我がゲーム開発を、自分はFA(ファクトリーオートメーション)をやっていました。
曽我:ただ、起業にあたっては、これからはインターネットの時代が来ると信じ、インターネットに関わる開発をしようと会社の方向性を定めました。
立ち上げの時には独立資金がなかったので、前の会社の代表の仕事を手伝いながら二人でキャッシュを貯めていました。
神農:その時は自分はお客様先に常駐して仕事をし、曽我が事務所で受託開発で10人月分くらい捌いていましたね(笑)
曽我:毎日ろくに寝ずに働き、1年間で500万くらい貯めることができたので、そのタイミングで有限会社インタラクティブデザインを立ち上げ、その後、2年で2000万を貯めて株式会社インタラクティブ・コミュニケーション・デザインを立ち上げました。
ーーなるほど!ICDを立ち上げる際には、かなり苦しい日々が続いたのですね。設立してからはどのように事業を作っていったのですか?
神農:最初に挑戦したことは曽我に開発実務をさせず、社長に専念してもらうことです。
一番働いていて利益を出していた曽我に開発をさせないのはかなり厳しい判断でしたが、今後成長するうえで、曽我ではなく自分や、新たにジョインするメンバーが売り上げを作ることが重要だと考えました。
曽我:私は”そんなことしたら潰れる”とかなり反対したんですけどね(笑)
神農:曽我の代わりに自分が稼ごうと意気込んで頑張ってみたのですが、そこから1年間の売り上げは前年と変わらない状況でした。
ただ人の採用にはかなり力を入れ、デザイナーやプログラマー、エンジニアなどを採用しました。
そしてWEBではフロントエンド・デザインが重要だと考え、重点的に攻めようと思い、HP制作などの仕事を多く獲得していました。
曽我:あとは、インターネットでECサイト構築の営業を通して様々なIT企業と仲良くなっていたので、うちと組んでインターネットの仕事をしようと誘っていましたね。
神農:最初の頃、私が大手通信会社のモバイルの基地局での仕事をしていたのですが、そこはまさに不夜城という感じで何百人と優秀な若手エンジニアが集まっていました。
携帯電話会社というのは当時、すごく勢いがあり、そこでのメンバーからも私たちと一緒にやりたいと言ってくれる人がいたので採用にも繋げていました。
モバイルの知見がかなり溜まったので、そこからはモバイルとインターネットの2つに絞って仕事を引き受けるようになりました。
ーーなるほど!こうして当社の事業基盤が作られていったのですね。そして前編で曽我社長が言っていたように、”すべての人と人のコミュニケーションが インタラクティブにつながっていく未来のネットワーク社会をデザインし、社会に貢献する企業であり続ける ”
を理念に掲げ、システム開発とデザインの2軸からネットワーク社会の未来に貢献する企業として成長していくのですね。
今ではICDをはじめとして多くのインターネット企業が溢れており、スマートフォンの登場なども続いたことで、インターネットが一般的に当たり前だと感じられるような時代になりました。また、現在ではIoT、AIをはじめとする技術革新により、多種多様なデバイスがインターネットに繋がるような世界へと変わってきています。
しかし新たな問題として、日本のIT化は世界から見ると遅れていると言われており、国内ではDX推進が叫ばれています。
お二人から見て、今の日本のDXについてはどのようなところに課題があると捉えていますか?
曽我:今の日本では、BtoCの取引はスマホで完結するほど、大衆的にはデジタル化が進んできました。
ですが、一方でBtoBでの取引はあまり進んでいないと感じています。そこで、今後は企業間でのシステム連携などが浸透していくと、新たなビジネスの誕生にも繋がっていくと思います。
企業の業務もまだまだアナログのことが多いですよね。
紙や人ベースでやっているものが多すぎると思います。業務を細かく刻んで、自動化していくと効率化がもっと進むと思っています。
あとは最近、AIなどの機械学習がトレンドにあるので、効率化よりも先に人が介在する業務がどんどん減っていくかもしれないですね。
神農:保険領域もDXやデジタル推進が遅れていますね。情報が整理されていないので、どの保険が必要なんだろう、というのがすごくわかりづらいと思います。まだまだ世の中でDXするべきものは多いですね。
ーーありがとうございます!
今後、そんな日本のDXの課題に向けて当社が先陣を切って改善を図っていきますが、改めて今後2、3年後の未来に向けてどのようなビジョンを掲げているか、教えていただけますか?
神農:今、ICDはエンジニアを育て、そこから様々な企業をITで支えています。一方でITには他にも様々なビジネスがあると思っています。今は次世代のデジタル革新を推進する新サービスを立ち上げたいと考えており、その準備を始めているところです。
具体的にはモバイルライフジャパンという子会社では全国の自治体とのコネクションを作り、地域活性化に向けて取り組んでいます。最近では沖永良部島や鹿児島の離島でもプロジェクトを開始するなど、徐々に浸透してきているフェーズです。
また、モバイルライフジャパンとは別の関連会社も新たに立ちあげまして、本格的に保険DX業界に参入していきたいと思っています。
しかし、あくまでもこれらの目的は ”知見の循環” です。
単なる事業の多角化ではなく、新たな事業を子会社でまず打ち出し、その上で子会社の実績・知見を本社に戻すという流れを作りたいと思っています。
今までやってないことを見つけ、専門性を持って別会社で事例を作る、そして知見を溜めて新サービスを つくり、DXで世の中に革新を起こしていきたいと思っています。
曽我:今後はそれらも活かしつつ、多くの事例から知見を吸収し、日本のDX革新に繋がるようなサービスも立ち上げていきたいと考えています。