みなさんこんにちは、新卒第1期2号の藤井健二朗と申します。
同じく同期のしょうごが圧倒的なPV数を叩き出しており、やや戦慄しています。笑
今回は入社理由ということで、大学時代の経験を中心に書いてみました。
タイトルがやや挑発的なところはご了承ください、、僕は極めて温厚です、笑
拙い文章ですがぜひお付き合いください!!
【これまで】
1995年、5月、北海道の札幌市に生まれました。
家族は教師の両親と3歳上の兄がいます。
幸い両親は自分のやりたいことにほとんど口を挟まず見守ってくれたので、スポーツや勉強など自分のやりたいことを何不自由なくやることができました。
特にスポーツでは、周りの仲間や指導者の方に大変恵まれ、様々な舞台に立つことができました。
この経験から、目標に向かって頑張ることは本当に楽しく、逆にそういう状態にない自分はひどくつまらなく情けないと感じるようになりました。
【大学時代】
3年生までずっとラクロスをしていました笑
初心者がほとんどであるため1番を目指せる、あとは競技性がものすごく楽しかったからです。
全日本の決勝でプレーする自分を夢見て、授業にはほとんどでず日々家とグラウンドとパソコン室を往復していました。
苦悩
挫折も味わいながら目標に向かって突き進んでいましたが、2つのことに苦しみました。
・怪我
2年生になり徐々に結果も出始めゴリゴリラクロスを楽しんでいた矢先、夏頃に足に怪我をしてしまいます。その怪我が予想していたよりも重く、その年のプレーを断念。その後もリハビリが終わる頃に新たに不具合が見つかるなど、なんだかんだで翌年の夏まで復帰できないことを宣告されました。
しかし楽観的だった僕は「しょうがないし、怪我の時期はできることをやろう」と思い、リハビリと並行してチームの戦術についてひたすら考えていました。
ところがこれだけでは終わりませんでした。復帰予定の夏に向けてリハビリを続けていったものの、中々痛みが取れませんでした。セカンドオピニオンを多用しましたが予定していた完治には程遠く、結局シーズンの1ヶ月ほど前から無理やり復帰するような状態で、思うようなプレーはできませんでした。
・チーム作り
3年生に上がる頃、4年生に頼み込みなんとか副将的ポジションにつきました。リーグで昇格できるチームにしようと意気込んでいましたが、これは今までの人生の中で経験したことのない、困難なものでした。
ラクロスは大学から始めるスポーツ。バックグラウンドも動機も思いも人それぞれで、ラクロス以外の他のこともやりたい・やらなければならない人が一定数存在します。これまで高い目標を設定しそこに全力注ぐことが当たり前の環境にいた僕にとって、このチームの動機付けは恐ろしく難しいことでした。
結果
シーズン当初は本番までの時間的な余裕、そして自分の怪我の完治の見込みもあったため、意図を持ってチームメイトに接していました。
しかし中々思うように結果が出ず、チームの士気も上がらず、自分の怪我も回復せず、徐々にただ感情をぶつけるだけになっていきました。
「今のみんなへの接し方では絶対に勝てない」
そう思いながらも、自分の誤りを認めることができず時間だけが過ぎて行きました。
本当に腹を割ってチーム全員に話せるようになったのは本番であるリーグ戦の開幕後。当然時すでに遅く、目標としていた昇格どころか降格してしまいました。部の歴史で最も悪い結果となりました。
退部
シーズンが終わって、まず思ったのはチームに対しての申し訳なさでした。
「なんでもっと早く気持ちを伝えなかったんだろうか」
「なんでつまらない体裁ばかり気にしていたのだろうか」
自分がいなかった方がいい結果であっただろうなと何度も思いました。
しかし、今後を考えた時、もうここではやれないなと率直に思いました。それは責任を感じてということではありません。みんなに好き勝手やらせてもらって得た自分の経験は次シーズンにチームに還元するのが道理だとは思いました。しかし、もう1年このチームで自分が昨年以上の熱を捧げる自信が湧きませんでした。正直にいって、本当にかけることができる何かが他にあるとも思いました。
新チーム開始前に同期・チーム全員にそのことを伝え、僕は退部しました。
退部後
退部後はとにかく自分について考えました。
これまでどんな時に結果が出てたのか、大学時代はどうすれば結果が出たのか、自分は今後何をするのか。本を読んだり、人に会ったり、これまでやったことのないことにもチャレンジしました。
この時期は小学校からノンストップで何かに取り組んでいた自分にとって、初めて自分を考える機会となりました。
就職活動
退部後の時期を経て、3つ考えたことがあります。
・自分は自分本位
これは本当に言いたくなくかっこいいものではないなと思います。人のために行動できる人に憧れ、何度もそういった行動を取りたいと思いました。しかし、どうしても苦しい時・切羽詰まった時に、自分は自分を優先してしまいます。今はひとまず、動機は考えず周りの人が喜ぶくらいの結果を出そうと考えています。
・周りのために頑張ること
例え自分の成果を追い求めた場合でも、周りの人たちのために力を注ぐべきだと思いました。そもそも組織の結果が出ない状態で個人の結果が出る可能性は少ないです。全体の水準が上がり士気が上がり結果が出て初めて自分の成果にも繋がると思います。この考え方が自分には必要であると感じました。
・戦い続けたい
これはそのままです。初めて数ヶ月もの間歩みを止め、過去を振り返り未来を考えましたが、やはり何かに全てをかけ結果を出すことが一番楽しいし、そんな自分でいたいなと思いました。
上記の考えがぼんやりでた時点で就職活動をスタートしました。
社員の方全員が組織のために動いていて、その本気度がめちゃくちゃ高い企業を探しました。
その過程でたまたま部活動の先輩である壮司さんに誘っていただきました。壮司さんと初めてご飯を食べた時のことを僕は一生忘れません。
ものすごくニコニコしていました。
こんなに自分の組織をニコニコしながら語る人は後にも先にも見たことがありませんでした。
もちろん即決したわけでなく、多くの社員の方に会わせていただきました。
最終的に数社で迷いましたが、この壮司さんの表情はおそらく自分にとって大きなものでした。
【現在】
僕はずっと、社会に出ることはとてもつまらないものだと思っていました。
実際僕の周りには、学生時代何かに懸けていたにも関わらず、社会に出た途端戦うことをやめてしまう人がたくさんいました。ずっとスポーツだけにのめりこめればなと思っていました。
しかし、就職活動を通して、色々な方とお会いする中でその考えは変わっていきました。
「働くことも自分にとってのスポーツと同じようなものになるにではないか」
時間を忘れ、取り憑かれたように、あらゆるものをかけて挑むべきものになるのではないか。
結局自分次第なのではないか。
僕は10月から内定者インターンとして週4日働いています。
目標に向かって毎日を生きる人々に囲まれていることが本当に幸せです。
この組織を日本トップの企業に押し上げられるよう、目の前のことに全力で取り組みます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!