1
/
5

流されてきた人生を今ここで変えていく理由

こんにちは。初めまして。てらおです。
顔採用だと思ってますが、どうやらそうではないことを最近気付き始めた27歳です。

株式会社ITプロパートナーズに2016年9月にジョインして、もうすぐ1年が経とうとしております。
現在はエージェント兼CSのミッションを任せて頂き、「自立」に向けて日々奔走しております。

さて、ついに回ってきてしまった私の番ですが、割とアウトローな人生を歩んでいる私の理由を公開することは、会社の広報として迷惑なのでは?と思っている部分があります。

ただ、これを公開することで、いろいろな人生・価値観の人が集まった会社ということが少しでも伝わればと思い、ちゃんと自分の27年を振り返り、今どうしてここにいるのか、何故ここで頑張ろうとしているのかを書いていきます。

読んでてイライラするくらい流されっぱなしの人生ですが、せっかくなのでお付き合いください♡笑

【生まれてから社会人になるまで】

・裕福な家庭で生まれ育ち、整った環境を何も感じず受け入れ、流されていた。

父方の祖父は開業医。父親も医者ではないものの、当時はなんかの社長だったらしいです。
世間における「中の上くらい」の裕福な家庭の中、親戚からも期待される一人娘として生まれ、守られて育ちました。

塾や予備校はもちろん、クラシックバレエ・書道・造形教室・ピアノ・水泳(泳げないけど)。
いろんな習い事を物心つく頃からやっていて、周りが欲しがるようなものは「欲しい」と言ってなくとも何でも買い与えてもらってました。

中学高校は、親や塾の先生がお薦めしてくれた通りの、私立の一貫校に入りました。
模試の成績順にクラス分けが行われる進学校にて、6年間上位のクラスに入ることが出来ていました。
勉強は嫌いでしたが、親や周りの期待に添えないことはできなかったので、無心で頑張っていました。

何度となく「友達を作って放課後遊びたい」と反発したい気持ちもありましたが、
とはいえ「大人の意見は絶対的に正しい」と心の中では思い、そのうち「他の人と私は違う、私は優秀になるべくしてなったんだ」と保身に走り、いつの間にか周りに自分の意見を伝えること・ぶつかることを諦め、逃げました。

・初めての自由。自堕落な選択をし、考えることもせず流され続けた。

大学時に両親が離婚しました。寂しい悲しいというより、やっと開放されたと思いました。

自由になり、とにかく自堕落な生活を送りました。
バイトをして、終わった後そのままクラブに行き、酒を浴びて、朝帰りして昼過ぎまで寝て、またバイトをして、クラブに行く。w

いろんな人に甘えて、自分が傷つく前に相手を笑顔で傷つけて、振り返って考える時間をあえて作らないよう、ずっと遊んでました。
稼いだお金は、ほとんど酒とタバコ、遊びに使いました。髪も変な色の時が多々ありました。
楽して稼ぎたいと思い、株も適当にやってみましたが当然失敗しましたw

・覚悟もないくせに、社会人になれば何かが変わると思っていた。

就職活動の時期になると、周りに流されるように意識高そうな格好だけして就職活動をしました。
あまり深く考えず、当時渋谷の雑居ビルに事務所を構えていた、超ゴリゴリ営業のベンチャーに新卒入社しました。

【新卒入社した会社にて】



数ある会社の中から、その会社に入社した理由は2つ。

・とことんテレアポができるか
・完全実力主義・成果評価か

要は「自分の経歴や肩書、見た目だけで判断されていた」部分を極力排除して、勝負できる環境でないと、また今までの人生同様に、楽でダメな方に流されて、成長できないと考えたからです。

・成果は上げたが、成長はできなかった。気付いたらまた流されていた。

入社してから毎日、350コール/日、ひたすらテレアポをしていました。
成果を上げて、同僚だけではなく先輩であろうとも、数字で分かりやすく優劣がついて、初めて「自分の力」に対して評価をいただくことが出来ました。
初めての「自分自身」へ向けられる評価は、とても嬉しかったです。
ただ、この評価は、「上から言われたことを、無心でひたすらやり続ける」能力に特化した結果としてのみでした。

朝から晩まで電話をかけ続け、セールストークでお客さんに契約を無理やり結ばせました。
やり方を変えようとすると、「考える時間があるならもっと電話をかけろ」と怒鳴られました。
言葉の暴力も、暴力そのものもありました。笑

そんな長時間労働の中、壁に貼られた数字の達成率や受注数字を眺め、「数字は正義で、数字を出している人が誰よりも正しい」と刷り込まれた言葉を頭の中でなぞっていると、
どんなに理不尽な気持ちになっても、また翌日からクリアな気持ちで電話ができました。

お客さんの立場になって考えることも、自分自身を考えることも完全に放棄しました。

・考えないで流され続けた結果、突発性難聴になっていた。

「考えない」ことで、精神面をコントロールすることができるようになりました。
先にダメになったのは精神ではなく、身体でした。耳を酷使した結果の突発性難聴でした。

初期治療が大幅に遅れたことで、完治しないことを医者に通告され、これまで通りの数字を出すことが不可能になりました。最大の武器を失いました。人生最大の挫折でした。

その後は、耳がどんどん悪化する中で、こんな負けは認めたくない・逃げたくないと思い、いろいろな業務を兼任しながら、
障害者に片足つっこみつつも自立して働ける自分のポジションを確立しようと努力し、新卒から約3年半の期間をその会社で過ごしました。

…と書くと立派ですが、今考えるとただ逃げる勇気もなく、周りから言われた雑務の終着地点として全て巻き取り、具現化していくポジションにいただけでした。
自発的に何かを変えようと動いて、成功したことはありませんでした。断ることでのストレスを避け、真の自立もなく、流され続けて生きていました。

【今ここで】

・今度こそ流されず、真の自立をするために。

それまで付き合っていた同僚の方と、2015年8月に結婚しました。(もう結婚して2年経つんですね!w)その後、夫が退職・転職し、日々楽しそうに働いている姿を見て、外の世界を知り、焦りました。

裕福な家庭でのんびり生きてしまった私は、自由を手に入れたら自堕落になるし、厳しい環境に身をおいても流されてしまう。
これ以上堕落しないためには、どんな環境であろうと「自立」をしないといけないと改めて感じました。
そこで、2016年夏に転職活動、ご縁あって9月にITプロパートナーズへジョイン。

今回の軸としては、

・お客さんに本当に自信を持って紹介できるサービス・商品であるか
・外的要因で自信を持つことができなくなった場合、サービスそのものを変えることが出来る環境か
・点ではなく線で、お客さんと関われる環境か
・尊敬できる上司や同僚がいる環境か
・自分が既婚者や難聴者としての枠に囚われず、成長して自立できる環境か

ということでした。

面談時、木村からも上記の環境は全てあるとお伝えいただき、そして実際1年近く働いて、この環境は全てあると実感しています。
懸念していた難聴障害者として扱われるコンプレックスも一切なく、独身時以上に仕事を任せていただいております。w

ただ周りが優秀すぎて、自分が今まで手放してきた成長機会の損失の差を見せつけられ、日々劣等感を感じることも多いです。
心が痛くなったりトラブルに直面すると、他責にして逃げようとしたり、考えることを放棄して無心になってしまう、自分の悪い部分も露骨に出てきます。
また、それを指摘されるまで気付かないことも多く、自己嫌悪のスパイラルにはまる日もあります。
でもこの感情や経験のなかで、やっと自分の人生を歩み始めた感覚を、最近やっとつかめてきました。

人に対して考えを巡らすことの大切さも知りましたし、考えて行った結果が成果として返ってきた時は、今までの評価以上に嬉しいことを知りました。
人から嫌われたくないと逃げていた今まで以上に、人とぶつかってでも信頼関係を構築する大切さも身をもって学びました。

この嬉しさをもっと増やしていくためにも、この一年で成長素地の土台を作り、より高くジャンプするために今ぐっと踏み込んで、これからまた一気に加速して成長していきます!

これまで弊社のブログをご覧いただき、「今までの経歴が立派な方しかいないんじゃないの?」なんて思っている方、ちゃんと気持ちさえあれば、
相当しくじって堕落したこんな私でも、どーんと受け入れて、任せてくれるのが当社です。

その分大変さや辛さはありますが、学べる諸先輩方はとにかく優秀なので、一気に成長できます。
成長痛を感じながら、自分も会社も一緒に成長させていきましょう!

興味持ってくださった方は、ぜひ、お気軽に遊びに来て下さい。
魅力的なメンバーがたくさんいますよ(´・ω・`)

株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)'s job postings
25 Likes
25 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like 詩織 寺尾's Story
Let 詩織 寺尾's company know you're interested in their content