カップヌードルや日清焼そばU.F.O.など国民的な大ヒット商品を多数発売している日清食品。その宣伝部で係長を務める東 鶴千代(ひがし つるちよ)さんにお話を伺っています。
前編では、斬新で挑戦的なCMをリリースしてきた宣伝部の舞台裏についてお話を伺いました。
前編▶︎ 「誰よりも自分がわくわく感を持って仕事にのぞめるか」あの話題の広告が作られる現場を垣間見た − 日清食品ホールディングス 宣伝部の舞台裏
後編では、日清食品と19年間にわたって歩みを共にしてきた東さんの、現在とこれまで、そして未来について紐解いていきます。
“考え抜く” 日常
花形部署である一方、結果を求められるハードさもある日清食品ホールディングスの宣伝部。東さんにとっては2度目の配属となるこの部署で、現在は企画だけでなく、チームをまとめる存在としてプロジェクト全体を監督する業務にもあたっています。
−日々の業務を一言で表現するならば、なんでしょう。
「『考えること』でしょうか。自分の中でいつも自問自答しているので、“考え癖”がついていると思います。それはアイディアについてだけではなく、次の作業はどうしようとか、先に誰に連絡しようとかも含めてです。
同時に何本ものプロジェクトが進行していますから、いつも気を張って、効率的に業務をまわしていかないといけません。イレギュラーなトラブルが起これば、それも対処しなくてはなりませんし」
−思い出深い仕事があれば教えてください。
「宣伝部に戻ってきてから一番しんどかったのは、2016年からスタートした日清焼そばU.F.O. のプロモーション “エクストリーム” シリーズが始まった時期ですね。日清焼そばU.F.O.は毎年3月にリニューアルするのですが、2015年の年末になっても方針が決まっておらず、生みの苦しみを嫌というほど味わいました。年明けでようやく決まるかというときに、よみうりランドさんの「グッジョバ!!」内に日清焼そばU.F.O.をテーマにしたアトラクションを立ち上げるという大仕事も重なりまして…。
プロモーションやコラボレーション施策の立案、諸々の確認作業といった通常の業務だけでも忙しい時期に、これまで経験したことのない遊園地業のようなことまで並走するわけですから、本当にてんやわんやです。さらに、他の企業も巻き込んだエイプリルフールの企画の準備も始まり、企業文化の違う会社同士をひとつにまとめるのも本当に大変で…。あの時期はまったく気が抜けなかったですね。結果的に大きな話題を呼ぶことができたので、それで報われました」
−相当ハードですね。どうやって乗り切ったのですか。
「とにかく、やるしかなかったんですが、やりきったらおもしろいことになるだろうとは思っていました。結局、世に出たときにどれくらい拡散し、話題にしてくれるかという結果がなによりのモチベーションになるので、大きなリアクションが期待できそうな仕事はわくわくします」
−逆に、思うような結果が得られないときは精神的にもきついのではないですか。
「そういうときは、早めに気持ちを切り替えます。次から次へと企画が立ち上がってくるので、いつまでも失敗を悔やんでいても仕方ありません。日清食品グループには『迷ったら突き進め、間違ったらすぐ戻れ』という社員の行動精神があるので、失敗を恐れないでやっていくしかないなと。
ただ、自分としては失敗するとしても、“笑いにできる失敗” をしようという信条があります。『これは大失敗だった!』と話のネタにできるくらいの方が楽しいですし、次に繋がる有益なデータになりますから、苦労のしがいもあったと思うんです。一番してはいけないのは、それさえ言えないような失敗、つまりケアレスミスですね。それは絶対に避けなくてはなりません」
会社の枠に捕らわれない「仕事」をする
−東さんは、お仕事について語られるときにしばしば「しんどい」という言葉を使われますが、「失敗を恐れずに行動すべき」というストイックな姿勢も印象的です。ご自身にとって仕事とは、やはり「“しんどい”だけのものではない」という位置づけなのでしょうか。
「ひとつひとつの業務を思い浮かべると、やはり仕事は“しんどい”ものだと思いますが、その一方で自分のキャリアを一歩引いて振り返ってみると、非常に良い環境でたくさんの貴重な経験をさせてもらってきたと思います。
弊社は、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」で新たな食文化を創造した会社ですから、『ファーストエントリー』や『ブレイクスルー』という概念を重視しています。世の中の“はじめて”にこだわって、今までになかったものを作り続ける。ここではそういう挑戦ができますし、同じ環境で戦っている仲間と共闘できるということは、とても魅力的です。
また、これまでに営業から宣伝、マーケティングからまた宣伝と異動が多く、次から次へと新たな環境に身をおいてきたため、業務に飽きがこなかったんです。これがどうも自分に合っているようですね(笑)。営業を一通りやって販売の現場を知り、宣伝部では媒体担当と制作担当の両方を経験し、マーケティング部ではメーカーとしてのモノづくりの中軸に関わり…。慣れてきた頃に部署が変わると、また1からのスタートにはなるので、それはそれで大変なんですが、逆にいつも新鮮な気持ちでいられたので楽しかったです。そして自身も総合的にスキルアップすることができたなと感じています」
−お話を伺っていても、楽しめないと続かない世界だと思いました。
「40代になってから、自身の仕事観が変わってきたのかもしれません。大学を卒業して入社したてのころは、『仕事はお給料をもらうためのもの』という割り切った考えを持っていたのですが、徐々に一個人としてのあり方についても考えるようになってきました。
今は宣伝部という場所で大きな仕事もやらせてもらっていますが、会社員というのは、一定の限られた期間を勤めて退職すると、“一個人”に戻るわけじゃないですか。仮に肩書きを失っても、自分はこれをやったんだ、これができるのだという確固としたものを身につけておきたいですね。『日清焼そばU.F.O.のテレビコマーシャルを作っていた』ではなく、『(テレビコマーシャルを作っていて)こういうことを考えてこう解決したから、こういう知見を身につけた』というふうに言えるようになれば、自分の人生を振り返ったときに誇りを持てると思っています」
「そう考えると、会社は自分ひとりでは経験できないものが経験できる場所ですし、そうした経験から知見を身につけたりスキルアップすることができる絶好の舞台です。ひとつひとつの経験を大切に積み重ねていきたいと思うようになったんです」
−そのように仕事観が変わったきっかけはあるんですか?
「テレビの報道などを見ていたとき、人生には『会社勤めをするフェーズ』の先に『次のフェーズ』があるなと思ったんです。今、私は42歳なのですが、定年まで残りおよそ20年。その20年を終えたときに、自分は何者になるんだろうと考えたのがきっかけですね。
それからは、仕事に対する意識が少し変化したような気がします。人生において楽しめることはひとつでも多い方がいいなって。今の仕事は、制作会社と新しい企画を打合せしているときの“わくわく感”や、プロモーションがバズったときの満足感は大きいですし、それを自分は楽しめているんだと思います」
働く意味とは何か。働かないと食べていけないという現実がある以上、しばしばその本質が見えにくくなってしまうものですが、東さんのおっしゃる「自分は何者になるのか」という命題にははっとさせられました。
いつか会社を離れるそのときのことを見通し、仕事への取り組み方が変わったという東さんの様子はとてもストイックで、だからこそ仕事は「しんどく」、しかしいつも東さんの糧となってきたのだと感じました。約20年後、東さんがそのキャリアに幕を閉じるとき、一体どんなことを思うのだろう。そのときにはぜひまたお話を伺いたいと思いました。