1980年代半ばに校正者として働き始め、30年のキャリアを重ねてきた西村雅彦さん。仕事を共にする周りのスタッフからは「ナックさん」の愛称で呼ばれている。台東区に拠点を置く校正専門会社「東京出版サービスセンター」に所属しながら(2017年2月に登録解除)、ひとりで、ときに複数で、案件ごとに体制を変えながら、書籍、情報誌、商業誌など200媒体以上、携帯サイトやアプリのコーディングにまで携わってきた。2011年から2016年末までの5年間は、マガジンハウスが発行するファッション誌『GINZA』の校正を担当し、ライターや編集者から原稿が送られてくる月の半ばから月末にかけては、完全に昼夜逆転、夜を徹しての作業が続いた。
そもそも校正とは、書籍や雑誌の原稿を読み、誤字や脱字などの誤りを正すことを指す。60歳を過ぎてもなお一線で活躍できるのは、常に自分が置かれている状況を冷静に見つめ、持続可能なスタイルを開拓してきた結果。中でもDTP(注1)が導入され始めた90年代。「それまでのスタンダードがこの先は通用しなくなるのではないか」と気づいたとき、「サスティナブルな校正者になる」ことを自らに誓ったという。テクノロジーが進化するのに伴い、出版業界も刻一刻と変わる中、西村さんはどのように仕事をしてきたのか、話を聞いた。(2016年11月〜17年2月)
注1 DTP
コンピュータを用いて、原稿の作成、レイアウト、版下作成など出版のための一連の作業を行うこと。デスクトップ・パブリッシングの略。アメリカ西海岸のカウンターカルチャーが産み落とした、自分たちのことは自分たちでやるという思想が埋め込まれている。パーソナルコンピュータ、インターネットはその「成果」である。
「どんなふうに作業を進めるか」が大事
――早速ですが、ナックさんの肩書は校正者ですか? それとも校閲者?
みんなは、校正さんって言う。どっちでもいいんだ。肩書に「さん」をつけるのは好きじゃないけど。
――一般的に、校正は誤字や脱字の誤りを正したり、各媒体の表記ルールに従ってチェックし、校閲は、内容が事実と異なっていないか、事実関係の確認をするのが仕事だと言われていますが、ご自分としてはどちらの方がしっくりきますか?
いろいろな垣根が今は本当になくなってきてる。それはライターだって同じでしょ? 「言われたお題について書きました。あとは知りません」じゃなくて、広い範囲でものを見る。
――書き手としてだけでなく、そのページや企画全体を通して見る編集者としての目線ですよね。
そう。ワークフローについても、「知りません」「興味ありません」じゃすまないよね。ボーダーを踏み越えたところでみんなが混ざり合ってる状態だよね。なおかつその中で各々がやるべき仕事をやっている、そんな広がり方をしてるんじゃないのかな。
――最近は、『GINZA』以外にどんなお仕事をされているんですか?
いろんな仕事が直接来る。でも、だいたい他の人にやってもらってる。
――同じ「センター」の人に仕事を振るということですか?
そうだね。でも、ただ丸投げするんじゃなくて、どういうふうに進めていくか決めてから渡すというのがすごく重要なの。校正の仕事は、昔はどんと紙(ゲラ)の束があって「校正」をするだけだった。つまり分業、部分最適。今は原稿が上がってくるのを待っているだけだと、いつ、どんなボリュームの作業をしないといけないのかが予想できなくて、結果的に「これだけの仕事にこんなに時間がかかってしまいました」ということになってしまうし、持続性がない。時間がかかるということはお金もかさむということだから。
――そこまでくると、プロジェクトマネージャーも兼任している感じですよね。
発信物の狙いはどこにあるのか、どういうふうに進めるのが最適なのか、そういうことを考慮した上でスケジュールまで決めてしまう。「3日後にこうなる予定です」と言われたら「それなら5日後、こういう状態になってから校正に入りましょう」「進行と狙いから、こういう校正にしましょう」とか。「この案件をやってほしい」という依頼は出版社や制作会社の社員編集者からくるけれど、実際に手を動かすのはフリーランスの編集者がほとんどといってもいいくらい。最初に緻密に連絡を取り合って、進行を決めてしまってから、ポンッと(他の校正者に)渡すことが多い。だから、僕らが仕事をする上で関わるのはライター、編集者、デザイナーといろいろだけど、特にフリーランスの編集者と話し合うことが多いかな。
――校正者だけど、窓口というか、仕事のコーディネートのようなことをやっているんですね。
僕が仕事を振った人が、作業にかかった時間に対してできるだけ得になるような仕組みを作ってあげる。で、僕もいくらかもらう。
――渡した分に関してはそれっきり見ないんですか?
見るよ。『GINZA』以外にそういう案件を月に2、3冊担当してる。
――忙しいですね。
でも振られたほうは100ページ、200ページ単位の大量な原稿を細かく見ていかないといけない。僕はその人の仕事の周りを整えてあげて、肝心なところだけをチェックする。たとえば、カバー(表紙)や目次とかは絶対に見る。カバーで誤植が出たら、絶対に刷り直しだから。それだけで何百万円の損害でしょ? そういう単純なところほど必ず見る、あるいは2人で一緒にやるようにしたり。
コストを妥当なものにしていくことも校正の仕事の一部
――コーディネートだけではなく、丸ごと関わる場合、どういった手順で進めていくんですか?
最初に編集者やライターからあがってきたテキストデータ(Wordファイルやテキストファイル)を見て、文字量の大幅なあふれや不足をつぶしたり、本にするための形式に整形する。雑誌にはそれぞれ「店舗情報や洋服のクレジットはこう」「写真を説明するキャプションはこう」というふうに複雑なルールがあって、たとえ毎号レギュラーで書いているライターでも、そのルール通りになっていないことがあるのね。それをコンピュータ・スクリプトを使って一気に同じスタイルに変換していく。そうすることで、そのデータを使って作業をするDTPオペレーターの負担が減る。その後、組版された紙を出力して、一緒に動いているスタッフ2人が読んで、赤入れしてくれるという流れ。
――すでに整った状態だと、スタッフの方も赤字を入れる作業に専念できますね。
雑誌を作る過程の仕事全体のコスト圧縮をしてるんだよね。それぞれが相手のやることまで踏み込むことで、かかる時間を圧縮する。こういうやり方を洗練させてきたのがここ15年くらい。90年代半ば、当時一緒に仕事をしていたある編集者の作るテキストデータがぐちゃぐちゃだったの。改行に統一性がなかったり、いきなり10行空いていたり、見出しがなかったり。そういう編集者のほうがコンテンツは面白いんだけど、それをそのまま印刷所に入れたら初校のクオリティが悪いでしょ。だったら、「僕にテキストデータをそのままください」って、データをフロッピーディスクに入れてもらい、それを自分のパソコンで整えて、そのフロッピーを印刷所に入れるようにしたの。そうすると、上がってくるものが美しい。
――もともとは印刷所が刷ったものをチェックするところからがナックさんの仕事だったんですね。
本当はね。でも、形式も文字の不足やはみ出しも調整されていない原稿に赤字を入れるのは編集者も大変だし、僕もすごく大変なわけ。それに時間がかかると出版社への請求も大きくなるでしょ。これは持続的じゃないなって思うようになったんだよ。80年代だったら話は別で、あの時代は時間がかかればかかるほどいい仕事、汚い原稿ほど大歓迎(笑)。
――お金になるということですね?
出版社側も、いくらお金がかかってもいい。ちゃんと作れればリターンはあるから平気ですって。僕がいくら時間をかけようが、かかった時間の分だけ請求ができた。でも90年代に入って、DTPが登場すると、「そんなはず、絶対にないぞ」ってひしひしと感じたのね。DTPは、DeskTop Publishing。机の上で出版できますよっていうことじゃない? 一人ひとりが発信できるようになっていく。そうすると、校正なんて真っ先にいらなくなるでしょ。一人で発信するなら校正は自分でやる=校正者を雇うわけない。いらないものに、膨大なお金を使うなんておかしいんだから、これからはコストを妥当なものにしていくことも校正の仕事の一部になるんだと思ったんだよね。
――早い時期にそう切り替えたからこそ今があるんですね。
「俺はサスティナブルな校正をするぞ」とは思ったよ。だけど、やっぱりゆくゆくはこの仕事がなくなるものだと考えていた。仲間内の評判は悪かったけど、1995年には「校正の死」という概念を打ち立てていたんだ。
――それはコンピュータにこの仕事を取って代わられるっていうことですか?
そうそう。だってコスト圧縮っていうのは、コストがなくなることに向かうわけだから。5人でできることを3人でやります。あとの2人はいらなくなる。その2人に僕がなるかもしれない。まあ、蛇が自分の尻尾を噛むみたいなもんです。もうウロボロスの蛇だよね。やっていくに従って、なくなってしまう。今でもその過程にあると思ってる。
『校閲ガール』は校正業界の末期症状!?
――そもそも、校正の仕事を始めたきっかけは何だったんですか?
この仕事を始める直前に、会社とまではいかないんだけど、借金を抱えてつぶしてしまったことがあったの。それで、その借金を親に返さないといけなくなり、手っ取り早くお金を稼ぐ必要があった。たまたま中学時代の友達が校正の仕事をしていて、「明日、仕事に行くと2、3万円になるぞ」って。つまり建設労働者と同じだよね。それからズルズルという感じ。
――シンプルな動機ですね。
シンプルだね。もちろん当時はずっとやるつもりはなかったんだけど。校正ってさ、今でも時給がいいんだよ。2000~3500円くらいが相場なの。なんでそんなに高いのかというと、おそらく「やりがい搾取」がないからだと思う。デザイナーやライターはやりがい搾取がある。
――「あなたがやりたいんだから、お金は安くてもいいでしょ」と。
でも、校正にはそれがない。「あなた、校正をすごくやりたいんでしょ?」という前提がないから、時給を高くできる。売り手市場になる。あとは印刷事故というリスクも含まれるかな。まぁ、人数が少なくても成り立つというのも関係しているけれど。
――そうは言っても、知識も必要ですし、資料を探して調べるにも特殊な能力がないとできないんじゃないかと思うんですけど。
ところがね、そんなことないんだよ。今の校正は、多くが情報の校正だから、やったらいけないことを限定すれば、すごく単純で「つまらないこと」がいちばん重要になっている。
――その「やったらいけないこと」というと?
「私は普段こういう言葉を使ってるから、ここは直しちゃおう」とか、そういうことはやらない。言葉は間違っていてもいい。間違っていてもいいっていうのは、ライターはそこに面白さを見いだして書いていたり、たしかにそういう言葉があるのかもしれないでしょう。だからそこには手をつけてはいけないし、ほんとうはそこにこそ、自分の知らない新しい日本語の実験がある。
僕らがやらなきゃいけないことは、「この情報に直して!」という赤字ね。たとえば、営業時間が間違ってるとか、固有名詞が違っているとか絶対に間違ってはいけない部分。そういうことができれば、基本はクリアできちゃう。それにネットは「平等」でしょ。編集者も校正者も読者もいろいろなことをサクッと調べて確認できる。ただ僕は、編集者ともフリーの人とも、校正の仲間とも、仕事について、経済について、ときに世界情勢(笑)についてまで、いつもたくさんのことを話してきた。コンテンツの「共犯者」でもあるという意識でいる。だから、「その考え方に疑問がある」「その説明には論理的矛盾がある」「紋切り型すぎる結論だ」「表現がアップデートされていない」「ネタだったら面白くしようよ」と、時には全体を書き換えたり、見出しをつけかえてしまったりすることもあったのね。編集者からは「変な校正者」と思われていた。そこまでしようがしまいが、とにかく最低限の仕事、「つまらないこと」がいちばん重要。
――なるほど。専門職の印象が強かったので意外でした。もちろん、決して簡単な仕事ではないと思うのですが。
『GINZA』の仕事をレギュラーで担当していると、毎月の半分はその作業で昼夜逆転していて、校了後は数日間寝たきり老人そのものになる(笑)。年齢もあって若者には負けるし、僕はもう実務から離れて、コーディネート側に移行できたらと考えてるんだよね。その代わり、非正規軍の「ジミーズ」を結成するわけ。
――ジミーズ?
ジミにスゴイ!最強女子校閲軍団ね(笑)。今、何百万円の奨学金の返済に苦労しつつも、非正規で仕事をしている子がたくさんいるじゃない? そういう子をかき集めて、「奨学金を3年間で一気に返そう!」ってね。昔、日活と闘って映画を撮れなくなっていた鈴木清順(2017年2月13日に逝去)という素晴らしい監督がいてね、彼に映画を撮らせるために荒戸源次郎(2016年11月7日に逝去)という演劇・映画人が、女の子をかき集めてホステスをやらせて、ある意味でピンハネして、清順の映画の資金をつくったんだ。キャバ嬢でそれをやったらイタいけど、女子校閲軍団はクールじゃない?
――Wantedlyで募集しますか(笑)?
でも、これにはリスクがあって、編集部に可愛い子がいるとどうしてもチヤホヤされるわけ。おじさんにモテまくって、不倫があって、いい気になるとロクなことがないから、そこらじゅうで事故が起こる(笑)。交渉によっては何百万円を払わなくちゃいけない場合も出てきて、そうすると僕は破産しちゃう。これが、『校閲ガール』(注2)の第2シーズン(笑)。実は昨年の夏、編集者からの紹介で『校閲ガール』の制作をやっている人から取材を受けて、ジミーズのことも話したんだ。働き方改革もリアルになってきたし、そこまで踏み込んだブラック・コメディを見てみたいな。
僕は、『校閲ガール』は校正の末期症状だと思ってる(笑)。僕らみたいな裏方が表に出るようになるのは、だいたい終わるときなんだよね。特殊商品が一般商品化するってことだから。校正のコモディティ化だね。はじめは一部の人たちが熱狂的に支持して価値が認められて値段も高くなる。ところがその商品を誰でも作れるようになると差異がなくなってしまう。パナソニック、ソニー、ハイアール、どれを買っても基本は同じで、デザインも似てる。じゃあ、何を基準に買うかとなると価格だよね。その話と同じで、校正も価格だけで選ぶという話になる。
――つまり、これからどんどん時給が下がっていくということですか?
そうなると思う。90年代半ばまでは日本経済全体がぎりぎり持ちこたえていたことが前提で、それ以降の今日に至るまで時給がよかったのは、裏方で人数が少なくても済んだのがひとつ。1人の校正者の仕事が、印刷すれば10万部に化けるから、新聞社も出版社も少人数でやって、そこそこの金額を払えてきたんだよ。70〜80年代にサブカルチャーが花開いて、情報が氾濫して、情報に間違いがあると損害が出てしまうからいろんなところで大量の校正者を使わないといけなくなるでしょ?
――情報の商品化に伴い、校正者も増える。その分、支払われる金額が減っていくということですか?
いや、ちょっと複雑で、情報が貴重な商品で、校正者のニーズが増えていくときは金額が高くなっていく。ところが、情報自体がインフレになって、つまり情報がレアではなくなっていけば、情報のたたき売りになるよね。「正しい」情報自体の価値が下がれば、校正だけじゃない、ライターも編集者もデザイナーも、価格競争に巻き込まれるということ。クリス・アンダーソンの『フリー』(注3)ですよ。もうひとつの理由は、校正という仕事がリスクを負っていたから。ライターが間違ったことを書いても怒られるくらいで済むけれど、最後の出口である校正の場合責任を問われるケースが多い。でも、それも含めてこれからはなくなっていくと思う。
――なぜですか?
本を読んでいると毎日、誤字脱字を見つけない日はないし、1カ月に1つくらいは、歴史の年号とか、著者の意見というにはあまりにもお粗末な事実誤認が見つかる。校正が入っていたとしても、校正の責任を超えた、出版界全体がじわじわディスラプト(崩壊)しているんじゃないかな。制作のワークフローが混乱状態のまま校了していきそうな編集部も実際にあるし。先日の『岐阜信長 歴史読本』(注4)の大誤植事件もその極端な例だけであって、編集、ライター、校正などの分業が機能しなくなって、無責任体制になっているからじゃないかな。「僕がやっていたら大丈夫だったのに」ということじゃない(笑)。僕だって全体のコストから割り出して、この発信物にはどのくらいの「正しさ」がふさわしいかを測定するし、それを間違ってしまうと情報発信事故になる。校正したんだから後は知らない、ということでは、校正料はもらえたとしても、まったく評価されないんじゃないかな。サスティナブルじゃない。
——では、情報やメディアに関わる私たちの未来は?
パソコンをガレージで作り始めたジョブズ世代のグル(導師)だったテッド・ネルソンが『コンピュータ・リブ/ドリーム・マシーン』で、「人びとを電子文書、電子アートのうちに組み込み、それによって人びとがすべての疑問への解答を自分で手に入れ、だれにも人びとを押さえつけておくことができないようにすること」と言っている。この本の出版は1974年だよ! ここで語られた希望の未来はインターネットで実現されてしまった。この考え方をどんどん推し進めていけば、ライターとか、校正とか、その責任とかの概念は全部変わっちゃうじゃない。
注2 『校閲ガール』
2016年10月期に放送された石原さとみ主演のドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』のこと。
注3 『FREE』
米『WIRED』の編集長であるクリス・アンダーソンの著書『FREE フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』(NHK出版)。世界25カ国で刊行され、日本でも16万部を超える大ベストセラーとなった。
注4 『岐阜信長 歴史読本』
KADOKAWAが2017年1月30日に出版した雑誌『岐阜信長 歴史読本』で約30カ所の誤表記が見つかった。
経済の変動とテクノロジーの進化が仕事のあり方・やり方に与える影響に対してどう向き合っていくのか。サスティナブルであることは、きっとひとつの答えだ。後編ではサスティナブルな仕事についてさらに深く掘り下げていく。