国内最大手のタクシー会社「日本交通」の三代目である川鍋一朗さん。2000年に30歳で入社後、2005年から2015年まで代表取締役社長として舵を切ってきました。2015年、子会社「JapanTaxi」の社長に就任し、現在は日本交通の会長と兼任しています。
前編▶タクシーにしがみついていたら、僕をここまで連れてきてくれた。
2012年にアメリカを視察で訪れた際、Uberを見た川鍋さんは、ITを取り入れた優れたサービスに大きな衝撃を受けたと振り返ります。このままではいられない。この出来事がITを活用したサービスを生み出すきっかけになったのです。
Uberを通して気付いた自社の強み
「サンフランシスコで初めてUberを見たとき、『ITに喰われる』って思いました。Uberには何でも揃っているのに、うちには何もないって相当へこんだんです。そこから4年戦ってきたわけですが、その中で気付いたのはUberに勝てるということ。Uberは、ITに強く徹底して顧客重視。乗務員(オペレーション)にまであまり手が回っていない。一方でうちの場合は、ITには弱いけれど、オペレーションを重視してきた。最初は『何もない』って思っていたけれど、我々にはオペレーションがあることに気付いたんです。目指すべきは、彼らの強いITと我々の強いオペレーション、その両方を兼ね揃えること。つまりUberも我々も同じ山の頂きに向かって別の登り口から登っているようなものなんです」
Uberがいい着火剤になったと。
「ある意味そうですね。10年後くらいにはUberに感謝していると思いますよ。国内の話でいえば、タクシーのニーズの95%は日本人によるものなんです。この割合が変わらない限り、土着産業はローカルが強いので我々の勝率が上がります。Uberのような世界の最大公約数的な素敵でかっこいいものを追い求める敏感な人もいるけれど、そういう人を除けば『タクシーを使えばいいじゃん』と思うでしょうし。とにかくITとオペレーションの掛け算が重要で。もう少し言うとITとオペレーションとハードウェアの3要素が優れていないとお客様のユーザーエクスペリエンスの最適化はできないですよ。とにかく我々はカスタマーサティスファクション(顧客満足度)を伸ばしていかなければという状況です」
素早い判断に必要なのは、過去の記憶を更新すること
ときに従業員の満足度を気にするあまり、新しいサービスを始めるのを戸惑うこともあると川鍋さんは言います。アイデアを練り、そのメリットを検証できたとしても、現場がなんと言うだろうかと不安がよぎるのだそうです。これまでも幾度となく厳しい声を浴びてきた分、慎重にならざるをえないのだとか。
「日本交通には乗務員の労働組合あるのですが、その存在は大きいです。全国タクシーのアプリをリリースしたときは、お客様に指定された場所に向かったのにお客様がいなかったということもあり、現場から不満の声が上がりました。タクシーを待っている間に別のタクシーが目の前を通るとそっちに乗って行ってしまう方がいるようなんです。『お客様に指定された場所に行っても、誰もいないんだよ。3回に1回はそうだって知ってるか?!』というようなことを言われました」
川鍋さんの心配をよそにすんなりと事が進むこともあるのだという。例えば陣痛タクシーのリリース時は、反対意見が飛んでくるだろうとリリースを先延ばししていたが、「少なくとも半年は早くリリースできた」と振り返ります。
「陣痛タクシーを思いついたのは、僕がたまたまコールセンターに入っていて、ベテランのスタッフと話をしていたときでした。そのスタッフが急に緊迫した感じで話し始めたので『どうしたの?』と聞いたら、相手が陣痛のお客様だったんです。それで『へぇ、珍しいね』と返したら、1日20件くらいあることを教えてもらってびっくりして。電話を受けるスタッフも、乗務員も焦るので、普段なら『日赤病院ね〜』とスムーズにいくところ、どぎまぎしてしまうというんです。それならきちんと整備をして、サービスとして打ち出した方がいいと思いました。でも、陣痛タクシーをスタートさせることで、これまで以上に陣痛のお客様が増えるだろうし、もしそうなれば『ばかやってくれるな!社長は運転しないからいいけど』といったハレーションが起きるんじゃないかと考えてしまったんです。結果、ハレーションは起きないどころか、整備すれば焦ることなく対応できるからと話はまとまりました。長くひとつのことをやっていると以前とは状況も人々の心も変わっているにもかかわらず、ダメだったという記憶に引きずられて判断が鈍くなることがある。こうしてこういう罠にはまりがちなんですよね」
ITとどう付き合う?気持ちがないまぜになった2年間
Uberを見て、ITを取り入れようと動き始めてから、心境はどう変化していったんですか?
「2012~2013年はITを過大評価して、自分の持っているものを過小評価してしまっていました。正直に言えば、『ITは俺の領域じゃない』という気持ちが先立って、自分の中でも『あくまで軸足はタクシーです。ITは必要だから一応やっています』という感じだったんです。そこから『もう得意とか不得意とか言っていられない。嫌いなものも飲み込んで、それを消化できる丈夫な胃を作らないと』と思えるまでに2年くらいかかりましたね。このままだと会社として、経営者としても未来がないと思ったんです。それで2014年頃から、軸足をオペレーションからITにグッとずらすことにしました。会社のヒト・カネ・モノ、そして情報の比率を増やしたんです。さらに息を止めて突っ込んでいったのが、その1年後の8月くらい。日交データサービスからJapanTaxiに名前を変えて、服装もスーツをなくし、オフィスもここ(紀尾井町)にこようと決めました。並行してJapanTaxiにエネルギーを注ぐために、日本交通の社長を引き受けてくれる人も探しました。自分の心の中で折り合いがついて、一皮二皮むけていく感覚っていうんでしょうか。そのプロセスは必要なものでした」
JapanTaxiでの業務は、それまで培ってきた経験では太刀打ちできないことも少なくなく、転職したような気分になったと言います。「正直一から出直しです」と苦労を話してくれました。
「この1年でいろんな新しい技術を身につけてきたなと自分でも思います。それまで接したことのなかったエンジニアとのコミュニケーションもそのひとつで、僕の判断基準とIT界の判断基準が全く違って難しいんですよ。たとえば日本人が走るときに『歯を食いしばれー!笑うなー!』となるところ、アメリカ人だと『Oh no ! タノシマナクテ ドウシマスカ!』という感じといいますか、それくらい違うんです。最初はエンジニアに対して言いたいことをどんどん言っていたんですけど、それだけだとうまくいかないことがわかって、あそこはもうちょっと言うべきだったな、あれについては言わなくても大丈夫だったなとその都度振り返り、少しずつ修正しているところです。最初はエンジニアと話すだけで心臓が波打っていたのに、だいぶなじんできたなという実感はありますし、そういう意味では新しい世界が見えてきたなと」
テクノロジーについても明るくなってきたということですか?
「そこはたいしたことはないんですけど、そういう場所に自分がいて、違和感がなくなってきたことが大きいです。そうなればわからないことも堂々と聞けるし、発言も出来るし。エンジニアにはタクシー会社として必要なものを伝えながら、業界の未来を作れるのは我々なんだということを力説したい。今は、仕込み段階で作業に追われ、エンジニアも辛い時期だと思うんですけど、これからもプロダクトがどんどんリリースされますから、彼らももっと自信を深めると思うんですね」
バッターボックスに立ち続けるために
自分の仕事について小気味よく、ユーモアたっぷりに話す川鍋さんの姿からは、仕事を心から楽しんできた人特有のオーラのようなものを感じます。ところがそういうモードに入ったのはわずか2年前からなのだそう。それまでは楽しく働いている人を見て、「世の中そんなに甘くねえんだぞ」と思っていたのだと言います。
「朝起きて、すすんで会社に行きたいと思う人の話なんかを聞いて、絶対に嘘だと思っていました。嫉妬心も混じって『そんなわけねえじゃんって。なんで綺麗事言うの?』って。でも、去年の夏からは自分の心を解き放てている感じがありますね。『どうやったらもっと楽しく仕事ができるんだろう?』『笑いながら金メダルをとるにはどうしたらいいんだろう?』って考えるし、それを自分で実践して、味わって、体現していかないといけないなとも思っています。組織の在り方、休暇の取り方、家族の幸せとか相当考えるようになりましたよ。究極を言えば、どんなときも素の自分でいられるのが一番いいはずで。組織としてやらなければならないことをどういうバランスでやるのか。『笑いながら金メダルをとるにはどうしたらいいんだろう?』と思うなら、ふわふわしていても結果なんて出せないんですよ。Facebookを立ち上げたマーク・ザッカーバーグだって最初は寝食を忘れていろいろやっていたわけだし。
1万時間の法則という言葉もありますが、なんらかの成果を出すにはある程度の時間が必要だと思うんです。人間の時間は有限なので、若い時に一生懸命やることは大事だと思います。夢中になれるかどうかはさておき、目の前のことに全力を尽くしみたらいいと思う。夢は夢で大事にしながら、現実との折り合いをつけることは決して悪い事ではないし、全力を尽くすことで自分の可能性が広がって、高い到達点に辿り着けると思います」
川鍋さんの仕事への向き合い方は、エンジニアとの仕事を通して、はっきりしていった部分もあったのだそうです。
「エンジニアの仕事って、それぞれが独立しているので、『定時でできる範囲でやります』というタイプもいますし、それができる職種だと思います。もちろんそれはそれでいいのですが、周りと一緒になって必死に仕事をするという経験をすると、仕事だからこそ得られる喜びを感じられるはず。人生の満足度を上げるには仕事の存在ってとても大きいし、自分の手で運命を握れる場というのが必要ですよね」
最後に川鍋さんにとって仕事とは?
「はじめにも言いましたが、自分の人生を磨く手段ですね。僕の尊敬する弁護士先生から言われた言葉に『仕事を通して徳を残す』というものがあります。お金や名誉は一生懸命働けばついてくる。でも、徳はついてこないから、残すようにと。僕が入社したときは会社には莫大な借金がありましたが、その後、数年で再建を確信できた。そのときに先生がお話ししてくださったのは『自分の長い経験の中で、ここでヒットが出れば逆転という場面で、三振で終わる会社とヒットが出る会社に分かれる』と。そこには特徴があって、ヒットを打てるのは世の中に必要とされている会社であり、徳を残してきた会社なんだと。だから、もう1度バッターボックスに立つことができる。『君は徳を残しなさい』と言われ、社是も『徳を残そう』に変えたんです」
夢中になれるかどうかはさておき、目の前のことに全力を尽くすことの重要性を話してくれた川鍋さん。その仕事観は、「好きなことを仕事にしよう」といった言葉を耳にし、「好きなこと」を懸命に探している人にとっては意外であり、ひょっとすると受け入れたくないものかもしれません。しかし、40代に入ってようやく「仕事が楽しくなってきた」と語るその姿を見ていると、好きなことばかりを追求する前に、たくさんの可能性の種が撒かれているのかもしれない、と気づきました。どう水をやり、その種を育てていくか。種の選び方だけにこだわっている人は、育て方を考えてみることで見えてくるものがあるかもしれません。