VR 元年と称されるように、今年は VR(仮想現実)や AR(拡張現実)といった先進的な技術が注目される年となりました。その発展に寄与した技術のひとつに「フォトグラメタリー」というものがあります。これは複数の観測点から撮影した写真の情報を解析し、大きさや形を求める測量技術のこと。この技術を利用すると、人や地形、建築物などのオブジェクトを簡単に 3D 化すること ができると言います。
フォトグラメタリーに注目して、日本で初めてのフォトグラメタリー専用スタジオ『Avatta(アバッタ)』を立ち上げたのが、桐島 ローランド(きりしま ローランド)さんです。桐島さんといえばこれまで20年以上写真家としてキャリアを積み、ユニクロや資生堂といった広告撮影を手がけてきた、いわば写真界の重鎮。すでに大きな成功を収めているにもかかわらず、フォトグラメタリーという新しい分野に参画することを決意した桐島さんの考えとはどのようなものなのでしょうか。今回は桐島さんの仕事観や今後のビジョン、そしてその考え方の基盤となる桐島さんの半生をたどります。
リアリズムを超えたリアリズムを追求するため
Avattaのスタジオがあるのは東京・芝公園。巨大なビルを背景に質朴な建物が違和感と存在感を放ちます。外観からは中の様子が想像できず、この小さな建物のなかに一体どんな空間が広がっているのだろうと好奇心をくすぐられます。
1階部分がフォトグラメタリーのスタジオ兼作業場、2階部分は自然光を生かした撮影スタジオ。スタジオにはたくさんの撮影機材や見慣れない機器が溢れかえり、特別な何かの秘密基地に迷い込んでしまったかのような印象です。
−すごい設備ですね! 後ろにあるのはなんですか?
「あれはフェイシャル用のスキャナーです。今は40台くらいしかカメラがついていませんが、普段は60台くらいついているんですよ。被写体の人に中に入ってもらって顔をいろいろな角度から撮影することで、非常に精細な3Dデータが取れます。奥の部屋には全身用のスキャナーがありますが、そちらは100台以上のカメラで同時に撮影します」
−これがフォトグラメタリーと呼ばれる最先端の技術なんですね。
「技術自体が新しいというより、既存技術をうまく使った新しい手法ですね。このスキャナー自体は誰でも作れますが、どれくらいの角度からどういう設定で撮るかというノウハウがなければきれいなデータが取れません。僕は長らくカメラマンをやってきてそこの知識が豊富だったのでうまくいきました。そういう意味では世界でも最先端のスキャニングのスタジオだと自負しています」
−なるほど。フォトグラメタリーはどういった点で画期的なのでしょうか?
「最近3Dで作られた女子高生のSayaが話題になっていましたね。あれ、すごいですよね。あちらはゼロから作り上げているものなので、制作にはかなり長い時間がかかっているはずだと思うんですが、うちの技術は、それを一瞬でできてしまうというところに利点があります。ただし、前提として人物や物など実物がないと作れないので、そこも大きな違いですが。これは実際に僕の顔からデータをとって作ったフィギュアです」
「このフィギュアはまだビジネスモデルはできてないのですが、サンプルとして作りました。ミリ単位に正確で、毛穴までデータに反映されます。そして一度データを取れば、その人をずっと使えてしまう。これは革命ですよ。AI (人工知能) までいかなくても、その直前のところにいると思っています」
既にTVCMなどでも、フォトグラメタリーの技術で3D化されたタレントがキャスティングされているとのこと。実写だと思って見ていたCMが実は3Dだったということが起きているのです。
「スタジオ名となっている『Avatta』の由来はAvater(アバター)から来ています。サブコピーに『as real as it gets』、つまり『よりリアルに』というのを掲げているのですが、僕たちはリアリズムを超えたリアリズムを追求しているんです。ただ、そういったものを作っていく中で、人間ではないものが人間に近づけば近くほど違和感がでてしまう、いわゆる『不気味の谷現象』と呼ばれているものがあるんですよ。まだ自分たちが作っているものは不気味の谷を越せていないので、そこを越えられるように頑張っているところですね。でもそこもあと5年くらいで乗り越えると思いますし、そのうちハリウッドのように予算のあるところだったら俳優に演技させるよりCGで作るほうが安いという現象が起きる。そうしたら実写を撮る人はいなくなっちゃいますよね。
今はコストや技術面でまだまだ難しいですが、海外では既にスタントシーンはCGだったりしますので、そういう用途が広がっていくんじゃないでしょうか」
誰もやってない、未来のあたりまえに挑戦する
2014年5月のスタジオオープンから2年半。桐島さんは、最近ようやく事業が軌道に乗り始めたと語ります。桐島さんがフォトグラメタリーに注目したのは、2014年にシリコンバレーへ行き最新鋭の技術に触れたことがきっかけ。ここからは当時のお話を伺います。
「たまたま仲間内でシリコンバレーの最先端のテクノロジーを見に行こうという話が持ち上がったんです。元々テクノロジーには明るい方でしたが、実際に最先端の技術を目の当たりにしたらすごく刺激を受けちゃって。帰国してすぐに、自分のこれまでやってきた写真技術を生かしてできることはないかと調べ、フォトグラメタリーに行き着きました。自分ならホログラムも写真もパソコンもできるわけだからいけるのではないかと。ただまずは試しにやってみようということで、Nikonさんに『カメラ貸してください』と言って大量のカメラを借り、1ヶ月間テストしまくったんです。その1ヶ月で3Dデータができたらビジネスにしようと思っていたんですが、蓋を開けてみたら一週間くらいで成功しちゃったんですよね」
手応えを感じた桐島さんは会社にすることを決意。そこからの展開はかなりスピーディなものでした。
「フォトグラメタリーはまだ誰もやってないことだったので、これはおもしろいよねって。その年の5月には会社を設立して、9月にここへ引っ越し、10月にはスタジオをオープンしました。そこから1年は苦労しましたね。新しい技術なのでなかなか受け入れてもらえないことに加え、そのときターゲットになると思っていたのはゲーム業界だったのですが、キャラクターというのはゲームの肝の部分なので外注を嫌がるんですよね。営業に行っては断られて、行っては断られての繰り返しでした。ただ、いろいろなところに行ったおかげで話題にはなりましたね。広告は一度もだしていないのですが、業界内での認知度は高まった1年になりました」
−写真家として成功を収めている中で、新しいことに乗り出す不安はありませんでしたか。
「むしろ新しいことを始めないと。お金を稼ぐためには、業界の先を見ていく必要があるので。昔は、カメラなんてなくて肖像画を買っていたわけですよね。写真が出てきた当初は『魂を吸い取られる』と気味悪がる人もいたようですが、今では写真は当たり前の技術ですし、肖像画家という職業もなくなりました。今僕がやっているこの3Dスキャンも、同じようになると思います。今は全身を精密にスキャンされることに抵抗感がある人もいると思うんですけど、4〜5年後には当たり前のことになって、3Dブースが町中にある可能性もあります。みんな自分の3Dデータを持ち歩いているかもしれないですよ」
「それはなんでも言えることなんです」と桐島さんは続けます。
「iPhoneだって10年前はなかったけれど今は多くの人が当たり前に利用していますよね。カメラだって前はみんなフィルムだったけれど、Canonの5Dが出た瞬間に一気にデジタルになりましたし。僕のクライアントも、以前は雑誌やオールドメディアばかりでデータ入稿したいと言ったら嫌がられたものですが、今フィルムでやりますって言ったら逆に怒られちゃいますから。ずっとそうやってテクノロジーは進化してきたわけです。ただ、そのサイクルが昔より早くなったというのはあります。ある日いきなりなくなっちゃいますから」
学生時代から抱き続ける「危機感」
現状にあぐらをかくことなく、常に業界の先を見据えている必要がある---桐島さんのこのストイックな仕事観の根底にあるものは一体なんなのかと問えば、それは「危機感」なんだそうです。
−桐島さんの抱く危機感とは、どのようなものですか?
「食べていけないという危機感ですね。かっこよく言いたいところですけど、やっぱりお金ですよ。今の時代、カメラマンのギャラは10年前と比べれば半分以下ですし、どんな有名なカメラマンでも稼ぎは確実に半減していますからね。今は誰でも簡単にカメラを手に入れたり勉強できるので、たとえば昔だったらお店の取材をしてこいと言われれば専用のカメラマンがいたものですが、今はライターや編集者が撮っちゃったりするわけです。するとそれを仕事にしていたカメラマンたちが僕たちのいるポートレートのフィールドに参入してきて、それぞれが人間関係を築いて仕事を取っていく。そうなると今度は『これだけやりたい人がいるならもっと安くしちゃおうよ』となってどんどんカメラマンのバリューが落ちていきます。そりゃ危機感も持ちますよ。綺麗事言ってられませんから」
−なぜそのような危機感を抱くようになったのでしょうか。
「母(作家、ジャーナリストの桐島 洋子さん)の影響ですね。すごく自由な人なので。僕はインターナショナル・スクールに行っていたのですが、まわりは裕福なお子さんが多くて、親の仕事を継げる人や財産がある人ばかりだったんです。うちの母は作家ですから当然世襲もできませんし、しかも当時はインターナショナル・スクールを出て日本の会社に勤めるなんてことは絶対に無理でした。母はシビアなので『高校を卒業したら独り立ちしろ』と常々言われていましたし、卒業後どうしたら稼げるんだろうとずっと不安でした。ただ、その危機感が自分のキャリアを支えてきたと思います」
−パイオニアであり続けることにプレッシャーはないのでしょうか?
「むしろ一度『これが来るな』って直感してしまうと、そっちに行かないとかえって怖いくらいですね。デジタルの波が来たときも今と同じように『こっちだ!』と直感したのですが、結果的に見てもやはりいち早くデジタルに移って良かったなと思いますし。
ただ正直、早すぎて損していると思うときはあります。今カメラマンデビューしようと思ったら20万円のパソコンと、カメラのレンズとボディで約40万、それにそこそこの三脚があればなれてしまいますが、僕がやっていたときは元手が1000万は必要でした。先を読みすぎても損しちゃうので、結局二番煎じが一番いい。僕が学んだのはそこですね(笑)」
−(笑) 先を読んでいく方法論があれば伺いたいです。
「常にリサーチすることです。僕は天才タイプではないので、どうやったらチートできるのかということを考えているのですが、興味があることを追求していって、この先どういうふうになっていくのかというのを観察していく必要があるなと。
今はネットにいろいろな情報があふれていたり、道具も安く手に入ったりする中で、そこで稼いでいくというのが難しい時代です。でもそんな中でも稼いでいる人がいる以上それは言い訳にはなりませんし、実際僕も全く知らない分野に入ってきてこうしてやれているわけなので、やり方はあるはず。それを見極めるためにも、やはりリサーチが大切ですね」
時代をリードするということ
−業界に新しいことを取り入れていく役回りというのは、風当たりが強いことも多いと思います。大変だと思うことはありませんでしたか。
「というか、アメリカの開拓者も開拓したくて開拓してたわけじゃないですからね。生きるために開拓していたわけであって。…まあそうは言っても、好きでやっていることなので苦痛ではないです。
新しい技術などを持ち込もうとすると、やはり最初はなかなか理解されないんですが、みんな損してるよ、仲間になろうよっていう気持ちでやっています。今までの経験上、同じことをやる人が10人現れれば一気に状況が変わるんですよ。競合たちが『自分たちも取り入れた方が良い』と気づくタイミングがどこかであって、そうしたら嫌でも彼らも導入せざるを得ないので、そこで一気に続いていくイメージです」
−精神力がすごいですね。
「いや、僕はだめなところはだめですけど、たまたまこの分野は得意というだけです。僕は今40代後半なんですが、僕たちの世代にはテクノロジーが苦手という人も多くて、この20年間大変な思いをした人も多かったと思うんですよね。でも僕はたまたま子供のときからテクノロジーが好きで。ITを取り巻く環境の変化にも抵抗がありませんでしたし、常に新しいものを見つめ続ける努力というのも別にしていなくてただ好きだっただけなんです。それに関しては本当、運がよかっただけ」
−好きなことであれば頑張れると。
「楽しいということが結局大切だと思います。夢があるっていうのが楽しい。大穴当たるかもしれないと思うとワクワクするじゃないですか。3Dでなんでも作れるようになれば、ロケ場所やキャストといった金銭的、現実的に壁になっていた妥協点がなくなる。そうしたらクリエイターとしての言い訳ができなくなりますから。
ワクワクしなかったら、仕事をしてる意味がないですよね。仕事として時給制でっていう考えがあったら、フリーランスとしては危険だと思います。残業という概念もないですし、もちろん稼ぎたいけれどもっと良いものを世の中に出したい、そして時代をリードしたいという気持ちが大きいです」
「運がよかっただけ」と謙遜しながらも強い意志と確信を感じさせる桐島さんの言葉。自分が面白いと思ったものを信じ突き進むカリスマ性が、桐島さんのこれまでのキャリアを築き上げてきたのだと感じました。
後編では、アメリカの大学で写真を学んだ学生時代から、ITが大きく成長した激動の90年代、そして現在に至るまでの桐島さんの半生についてお話していただきます。