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株式会社パーク / アートディレクター、クリエイティブディレクター/代表取締役
1979年生まれ。東京造形大学デザイン学科インダストリアルデザイン専攻卒。スタートアップから上場企業までブランディングを軸に活動するクリエイティブファームPARK Inc.代表取締役。アートディレクターとしてCI/VIやグラフィックをはじめ、パッケージ、WEBやUI/UX、IoTプロダクトまで領域を越えたクリエイティブを手がける傍ら、2020年夏より忙しく働く人の“ワークツール”を目指したミニマル・スキンケアブランド『LOGIC』を立ち
クリエイティブの仕事を軸足に置きながら、LOGICにとどまらず新しい価値や選択肢となるようなブランドをつくっていきたい。1000万人に愛されるブランドよりも、熱狂的な10万人に愛されるブランドづくりが理想。個人の使命としては、デザインの力をビジネスで証明できるような挑戦をしていきたい。Airbnbやslackのようなデザイナーのバックグラウンドを持っているから
もともと、独立する気はなかったが、カヤックであまりに素敵な2人と出会い、この3人なら会社を作ってみたいと思い、PARKを設立。 「愛はあるか?」を理念を掲げ、世の中が、愛されるブランドであふれたら、もっと寛容で面白い世界になっていくと信じて、活動しています。
スキンケアの煩わしさを解消する、“ワークツール”としてのミニマル・スキンケア。『LOGIC』は、仕事とプライベートの境界を超えて夢中で働く人のスキンケアの“めんどうくさい”を解消し、仕事のパフォーマンスを向上させる「ワークツール」と位置付けたスキンケアブランドとしてつくりました。
デジタルのクリエイティブのエキスパートになればより武器になると実感し、カヤックのクライアントワーク事業部にジョイン。当時カヤックには制作会社色が強く、アートディレクターが不在だったので、デジタルのことを学ばせてもらいつつ、同じくらい若手デザイナーの底上げやチームづくりに注力しました。
仏Publicisグループの外資系のクリエイティブエージェンシー。30歳までにアートディレクターになれなければこの仕事をやめるつもりで、入社した。今でも師と仰ぐ人にも出会い、グローバルに通用するアイディアとコミュニケーションを学んだ。 担当クライアントは、TOYOTA、citibank、dyson、Callaway、Reebok、Heineken等。
この頃は「海外の広告賞受賞!」を合言葉に、毎日アイデアを死ぬほどひねり出そうと頑張っていました。(結局獲れませんでしたが、、、) リーマンショックや震災、デジタル広告の台頭と、この頃あたりからマス広告は曲がり角に立たされはじめました。その一方で、自分の上司や業界の先輩方はあくまでマス広告に強いこだわりを持ち続けていたので、このままではチャンスが回ってくる前に将来淘汰されるのではないかという危機感を抱き、チャンスが多いデジタルの領域に飛び込む決意を固めました。
クラウドファンディングの先駆け「空想生活」の運営会社。当時TEPCOとの共同プロジェクト、「Swtich the design project」を担当。訳あって未経験のPR業務を担当し、悪戦苦闘しかない日々。ただ、日々数字を追っかけたり、営業的な動きを経験したことで、のちに役立つことに。
国際デザインコンペの審査員だった、エレファントデザイン・西山さんに口説かれて転職。エレファントデザインは、当時デザイン家電でのクラウドファンディングの先駆けとなる「空想生活」事業を行なっていて、その中のプロジェクトの成功のために入社しました。 ところが、事業の状況からまったく未経験のPRマネージャーに。慣れないスーツを着て、雑誌社キャラバンやプレス対応、WEBディレクション担当したりと、これまでのキャリアはほぼ発揮できない環境にもがき苦しんだ時期でした。
グラフィックデザイナー志望だったけど、経済的に現役合格が必須だったので、打算的な理由でより倍率の低い環境デザイン専攻に入学。家電のデザインとかをしつつ、こっそりグラフィックの授業に出たりして作品を作りためた。ゼミでは、サステナブルデザインの第一人者である益田文和先生の薫陶を受け、サステナブルデザインやエコデザインを研究。
当時は就活氷河期の真っ只中。メーカーから広告代理店、制作会社などたくさんの企業を受けていましたが、ことごとく落ちてしまい、結局内定を貰えたのは大学4年生の11月とぎりぎりでした。一時もうデザイナーになれないかもな、と諦めそうになりかけましたが、自分の進みたい業界から内定をもらえて、ようやくキャリアがスタートするんだと嬉しかったのを覚えています。
大学時代に所属していたゼミでは、サステナブルデザインやエコデザインの研究を行っていました。ゼミの教授はサステナブルデザインの第一人者の益田文和先生で、意気揚々と「デザインをするぞ!」と思っていた盛りに、これ以上新しいモノを作らない社会を一生懸命考えていました。 卒業制作では「使えないプロダクト」をテーマに、モノの大切さを逆説的に伝えたくて、本気で使えないプロダクトデザインをたくさん作りました。
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