Kokoka 日本語チューター
京都大学で働いていた頃、仲良くなった中国人の同僚のJaneから、「なみは、私のめちゃくちゃな日本語でも私が何を伝えようとしてるのかすごくよく解ってくれるね。」と言われたことがあった。彼女の日本語は、確かに完璧ではなかった。でも、彼女の性格、英語で話している時の言葉のチョイスを考えれば、多分今はこういう内容のことをこういう言い方で伝えたいのだろうと想像することができた。 彼女の一言がきっかけとなり、自分はもしかすると海外の人に日本語を教えることが得意なのかもしれないと思い、京都で日本語を教えるボランティアを始める。 日本語のニュアンスは本当に難しい。母国語が日本語の自分でさえ難しいよなぁと思うのに、これを第二言語として習得しようとしているなんて・・!文法が違おうがニュアンスが違おうが、何かを伝えようとするみんなの姿はいつも応援したくなるものだった。 私は、日本語の「文法」については詳しいことは話さなかったが、教科書には載っていないニュアンスについてよく説明するようにしていた。言葉一つ入れるか入れないかで、受け取り方が変わってくるからだ。「私が言いましたよ」「私は言いましたよ」「私言いましたよ」似ているけれど、微妙に違う「が」と「は」問題などなど。何か一つでも、今、彼・彼女たちの実生活に役立っていることを願う。