熊本高校
君は何を目指すかⅦ 寄稿『挑戦を応援するという学生起業家のキャリアパス』
『挑戦を応援するという学生起業家のキャリアパス』 1. 高校時代の思い出 《早く速くなるための当方もなく地道な積み重ね》 真っ赤なタータン、視界には誰も映らずゴールを走り抜ける。 そんな光景を求めて、寝ても覚めても部活のことだけを考えていたように思います。中学生までサッカーボールを追いかけ回す日々を過ごしていましたが、高校入学とともに陸上部に。走る距離は長いほど得意だと思っていたものの、1年生の総体県予選で800mに出場したことをきっかけに、陸上競技場を2周走る”トラックの格闘技”に魅せられました。…などと振り返ると、いかにも真面目な部員のようですが、総体後すぐに「応援団もおもしろそう!」と感じ、放課後はグラウンドや空き教室、はたまた河川敷で演舞の練習に明け暮れたり…文化祭でもちゃっかり目立ったり…イベントは悉く楽しみ尽くした覚えがあります。それでも突き詰めた800m、高校3年生の総体では優勝を目指した熊本県大会で2位、全国には当然行くものとしか思っていなかった南九州大会で9位となり決勝を走れず…。このままでは終われないと目指した国体も県大会優勝するも国体本戦に出場できず。人生最大の挫折とともに、大きな目標を掲げ日々を懸命に生きることは楽しいということを学びました。 2. 仕事に就くようになったきっかけ 《自分はちっぽけな存在、生かされている存在》 高校生活3年間では学びきれないたくさんのことをもっと知りたい学びたいと、もう1年多く勉強しました。ごめんなさい、強がりました。やっぱりインターハイも国体も…不完全燃焼もとい着火することすら叶わなかったのが悔しく、大学でも陸上競技を続けると決めて、キャリアパスを考えた結果「筑波大学 体育専門学群」が最適だろうと受験。落ちる予定もなかったため私立も後期も出さず得意の一発勝負!見事に…1400点満点中1点足りずに浪人決定。これは本腰入れてなんとかしなければと思い、そもそも筑波に行って何がしたかったのか考えた結果「科学」を学びたいと。では理転せねばということで浪人の1年で理系へ。恩師との出会いもあり無事に第一志望の筑波大学 生物資源学類に…前期で落ちて後期で合格!素晴らしいキャンパスライフを謳歌しまくりな日々で何不自由なく過ごしていた1年生の終わり、2011年3月11日。衝撃でした、自分の無力さに。そして支えてくれた方々の存在に初めて思い至りました。「人と人とを繋ぐこと」を仕事にしようと決めた瞬間です。 3. これから目指しているもの 《10億円の資金調達も5歳児のはじめてのおつかいも》 「あらゆる挑戦に貴賎はなく等しく尊い」これは僕の基本的なスタンスであり、仕事をする上で最も大切にしなければと自戒する言葉です。個人事業主として開業した大学1年生から今に至るまで12年間、人と人とを繋ぐことを目的として、カフェやコワーキングスペース、インキュベーション施設などを次から次へと立ち上げてきました。その中でも特に最近は、スタートアップ支援が主軸になりつつある今、改めて「あらゆる挑戦を応援する」そしてそんな応援し合う文化の醸成に自分の人生を使っていきたいと思っています。あらゆる”はじまり”にリスペクトを、あらゆる挑戦に応援を、そんな文化と世界を。 4. 現役生へ一言 《成功するまで続ければ失敗しない》 あまり綺麗な生き方はしていませんが、だからこそ気づいたことがあります。それは「無理だよ」「辞めときなよ」はいつだってアドバイスであり、アドバイスでしかないということ。最後に決めるのは自分。他人がなんと言おうが、自分が諦めたらそこでおしまい。反対に、自分だけでも諦めなければ続く。続ける秘訣は辞めないことだと感じています。成功するまで続ければ失敗しないんです。今辛いことや失敗だと思うことがあったとしても、中長期の目線で見たり、あるいは見方を変えれば、それは成功への確かな道筋かも。自分の「やりたい」に正直であってほしい。みんなの決断を応援しています!
