茨城大学 / 工学部 情報工学科
プログラミングの基礎などを学ぶ
主にプログラミングの基礎などを学びました。 ただ正直に申し上げると、今ではプログラミングができるとは全く言えません。 当時は自分のなりたい姿を描き、人生の方向を模索していました。
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品川自動車タクシー株式会社 / タクシードライバー
ライフワークとしていずれ取り組みたいテーマ:「当たり前のつながりの大切さを実感してほしい」 1990年生まれ、今年34歳。やりたいことはたくさんある!びびってるだけ! ・責任感と誠実さを持って行動し、主体的になりたい。
「書いて伝える仕事」がしたく副業でライターを始めました。 目標:2024年末までにライターで独立し、生計を立てる。
タクシードライバーとして運転及び接客業務に従事しております
創業会社を抜け、タクシー業務を続ける必要はなくなりました。副業をする時間はあるものの一歩を踏み出せずに現在に至ります。他の会社へ転職したっていいのに、変化を面倒がって現状維持してしまいます。でも、そんな自分をいい加減変えたい。
リムジンタクシー株式会社で社内プロジェクトとして進めていた新規事業が、親会社の意向でストップ。事業を引き継ぐ形で、エルフューチャー株式会社を起業しました。 エルフューチャー株式会社を軌道に乗せるべく、シフトの自由度と平日日中にも時間を確保しやすいタクシーの業務を続けることを選びました。 ただし、リムジンタクシー株式会社では副業が禁止だったため、別のタクシー会社(品川自動車タクシー株式会社)へ転職することに。
きっかけは前職の会社の新規事業を引き継いだことでの起業でしたが、そこには、以下のような気持ちがありました。 「住む場所に関わらず、自分の力で稼ぎたい」 「やったことないことに挑戦したい」 「一回くらい起業して会社を経営してみたい」
新規事業立ち上げに伴い、以下の業務を遂行しました。 ・税理士との折衝や契約管理といった経理事務業務全般 ・関係者とのコミュニケーション、期待値調整 ・旅行プランの策定 ・観光施設や飲食店への提案営業(サイト掲載) ・贈答用フルーツブランドの展開・立ち上げ ・農家との交渉、商品値付け ・ブランド認知施策の検討 ・発注管理等 ・自社サイトの運営管理(WordPress、Stores) ・IT関連ツールの導入を推進(Dropbox、GoogleDrive、Notion、Slack、VoicePing)
「20代30代の若者でこれからの日本を盛り上げていこう!どんどん稼いでいける会社だよ」という勢いのある会社を紹介してもらいました。
タクシードライバーとして運転及び接客業務に従事しました。 また、チームリーダーとしてマネジメントも実施しました。 チームリーダーとしての業務は以下の通りです。 ・チーム及び部下の数値管理(売上、実車率等) ・接客指導(言葉遣いやルート選定・提案などのフィードバック、改善策立案) ・運転技術向上のための同乗指導 役職を設け縦型組織を実現したり、運行終了後もリーダー同士でメンバーの対策を検討したりと、当時のタクシー会社では珍しい形態でした。
リムジンタクシー株式会社の自社サイトは元々、IT部門を担っているグループ会社が運営管理していました。しかし「各グループ会社でIT担当を育成しよう」のプロジェクトが始まり、プログラミング経験のある私がIT担当に抜擢されました。 グループ会社のエンジニアの方に補助してもらいながら、自社サイトの編集・管理を担当。 使用ツール及び言語はWordPress、HTML、CSSです。
この時期には、以下のような職種を経験しました。 ・プログラマー(AccessやCOBOLを少し) ・テレアポ(不動産売買のアポ取りまで) ・テレアポ(某光回線への切り替え営業) ・営業(SNSを使った投資スクールの斡旋) ・飲食店ホールスタッフ(キャバクラのボーイ)
株式会社ザ・キッス時代では、自分の実現したい未来(「当たり前のつながりの大切さを実感してほしい」)のために接客販売の業務に従事していました。 しかし、そのときの自分自身が「当たり前のつながりの大切さ」を実感できずにいました。 濁さずに言えば、当時同棲していた彼女と関係が上手くいっておらず、分かれる寸前でした。 「他人へ幸せを分けてあげるには、自分から溢れた分しか、分けてあげることができない」と感じてしまったのです。 加えて私は、お客様と向き合い、直に自分の言葉で実現したい未来を広めたいのだと気づきました。 ただ、業界や会社を踏まえると、接客業のままでは大切な人を守れるだけの十分な収入が得られないのでは?と思い、本社で業務をしたら直にお客様と向き合えないと気づき、この会社にいても自分が幸せになれないと考え、転職を決意。 その後、1年以上、迷いながら生きていました。
「自分のビジョン」と「会社のビジョン」がほぼ一致していたので、内定をいただき即決しました。初年度は渋谷ロフト店へ配属され、業務内容はペアアイテムを中心としたアクセサリーの接客販売でした。
大学3年の夏から就活を始め、就職先を決めるにあたって、「自分を形成している概念」や「どんなことにやりがいが持てるか?」を大切にしたいと考えるようになりました。 そして、大学4年になる頃、有料のセミナーへ参加することに。 そのセミナーを経て、自分の中でしっくり来た人生のテーマ(実現したい未来)が「当たり前のつながりの大切さを実感してほしい」ということでした。 「ありがとう」は漢字で書くと「有り難う」であり、有ることが難しいということ。 「有り難い」ことがいつも起こるようになると、「当たり前」になってしまい、人は感謝する心をおろそかにします。 私の両親の一部分を反面教師とし、私自身は「当たり前のことにこそ感謝できる人になりたいし、皆に対して、当たり前にいる家族への感謝をしてほしい」と心の底から思うようになりました。
大学の学部学科選びでは、当時学びたかったものと将来性のありそうな業界のかけ算をして、「プログラミング」を専攻することにしました。
主にプログラミングの基礎などを学びました。 ただ正直に申し上げると、今ではプログラミングができるとは全く言えません。 当時は自分のなりたい姿を描き、人生の方向を模索していました。
茨城大学 / 工学部 情報工学科
主にプログラミングの基礎などを学びました。 ただ正直に申し上げると、今ではプログラミングができるとは全く言えません。 当時は自分のなりたい姿を描き、人生の方向を模索していました。